12月7日(土)、午前8時半、前泊した長野駅近くのホテルを出発し、駅前でレンタカーを借りて、再度、戸隠神社・奥社に向かいました。11月26日の前回の長野訪問の時とは異なり、今回は周りは雪景色でした。雪道を慎重に運転しながら約1時間で戸隠神社・奥社の駐車場に着きました。

伴侶の方は、いつもの同行してくれる太陽と月のツインの龍神の姿の饒速日命(にぎはやひのみこと)と瀬織津姫(せおりつひめ)に加えて、大国主命と羊蹄山で英気を満たした龍神の姿の建御名方神(たけみなかたのかみ)をエネルギー体として一緒にお連れしていました。
そして、羊蹄山から来た沢山の精霊たちも伴侶と一緒でした。私たちは雪道仕様の恰好をしてきました。駐車場に車を停めて、戸隠神社・奥社の大鳥居をくぐり、参道を歩いて行きました。雪がちらつく寒い朝でしたので、参拝客はまばらでした。
隋神門の手前の森林植物園の遊歩道を左に進みました。雪の積もった道を20分くらい歩いたでしょうか、ようやく2つの石像のところに着きました。私は近づいて行こうとした時、「ちょっと待って。エネルギー体が居るので近寄る前に目的を伝えた方がいい」と伴侶が助言してくれました。
私たちの両脇にはツインの龍神たちが守護してくれていました。「この地を開きに来ました。どうか九頭龍大神を解放してください」と私は伝えました。白い雪に覆われた2体の石像は離れて向き合っていました。老女だと思ったら、良く見ると1つは杖を突いた女性で、もう一つは弓矢を手にしている武士でした。
後日調べてみると、2体の石像は、戸隠の鬼女紅葉狩伝説の美女紅葉と紅葉の討伐の勅命を受けた平維茂(たいらのこれもち)ということでした。しかし、私にはこの2体の石像が封印している番人だと感じていました。
「もうお役目は終わりですので、光に還ってください」と伴侶もその女性に対して説得していました。そして、番人の女性は、「よかろう、ここを開こう」と伝えてきたといいます。私は光の柱を降ろしました。「九頭龍さんが上に昇って地下に潜った」と伴侶が伝えてきました。
2つの石像の間に九頭龍大神は封印されていたようでした。光の柱を通じて、番人の闇の部分が昇天していったといいます。2体の石像の先に天命稲荷神社がありました。この稲荷神社が九頭龍大神を封じている大元だと感じて、光の柱を降ろしました。
天命稲荷神社の由緒を調べてみると、昭和37年に、戸隠修験道系の公明院というお寺の尼僧の方が創建したそうです。そして、尼僧の前に神の姿をした老人が現れて、自分を天命稲荷として祀れと言われて、その姿を石像にして神社を建てたというのです。
九頭龍大神の封印解除を終えて、私たちは戸隠神社・宝光社に向かいました。車で15分程で現地に到着しました。車を駐車場に停めて、鳥居をくぐり杉木立の長い石段を登って行きました。宝光社は御祭神が天表春命(あめのうわはるのみこと)で、戸隠神社五社の中で最も古い社といいます。
石段の参道の右手奥に何の案内もない古い石祠がいくつかありました。その近くに木製の鳥居と小さな祠がありました。東北で見たアラハバキ神をお祀りしている祠の感じでした。私はお参りをして光の柱を降ろしました。「可愛らしい女の子が出て来た」と伴侶は教えてくれました。
「ありがとう、ありがとう」とお礼を伝えて来たといいます。彼女が名前を聞くと、「あんず」と答えて来たといいます。あんず姫は土地神様なのでしょう。ようやく社殿に到着し、お参りをしました。封じられている感じがしましたので、社殿後ろの山裾の辺りに光を降ろしました。
「青い龍神が出て来た」と伴侶が伝えてくれました。私たちは宝光社の封印解除を終えて、諏訪大社に向かおうと思いましたが、公明院というお寺が気になりましたので、公明院を探しに行きました。戸隠神社・中社の駐車場に車を停めて、徒歩で公明院を目指していきました。
「さっきから重たいと思ったら何か背中に乗っかっている」と伴侶は気づいて伝えてきました。どうやら封印の番人の女性の光の部分が伴侶の背中に乗っているようでした。30分以上迷いながら歩いて、遠いと分かり、車で公明院に行くことにしました。カーナビを頼りに車を走らせたのですが、何故か近くの道が表示されないのです。
何度も道に迷った末にやっと公明院に到着しました。境内のスペースに車を駐車して、お寺の境内を散策していたところ、住職と思われる方が御堂に招いてくれました。お参りするためにお堂を拝見するとお二人の尼僧の方の写真が飾ってありました。住職さんはお寺の由緒など色々なお話をしてくれました。
私たちは境内の庭園などを見て回りました。供養塔やカラス天狗、お不動さんなどの石像、そして稲荷大権現の石の祠もありました。やはり、この場所は先程の天命稲荷神社と繋がっている感じでした。伴侶は石像のエネルギー体たちに向かって言い聞かせていました。
「お役目ご苦労様でした。お役目はもう終わりですので光に還ってください」。ツインの龍神たちは浄化の働きをしてくれていました。私は封じていると思われる一帯に光の柱を降ろしました。「大きな供養塔のエネルギー体がバキっと割れた」と彼女は伝えてくれました。
供養塔の一番奥にお墓と思われる塚がありました。「番人の二人の光が離れて、塚の中に収まった」と伴侶は教えてくれました。この場所を光にするために働いてくれると感じました。これで戸隠の地が開かれ、本来の自然のエネルギーが流れて行くでしょう。
私たちは公明院を後にして、諏訪大社・秋宮に向かいました。長野自動車道を通って、1時間程で現地に到着しました。車を駐車場に停めて、境内を歩いて行きました。暫くすると、「諏訪湖の龍神様が離れて行った」と伴侶が伝えてきました。
大国主命も大きくなって空中に浮かび、息子の建御名方神が諏訪湖の方に戻るのを見送っていたといいます。私たちも、同様に、元気になった建御名方神が、この諏訪の地で、本来のお役目をされるのを願っていました。私たちは秋宮を後にして、最後の目的地に向かいました。
下調べの段階で、諏訪湖を封印している大元と感じていた白狐(びゃっこ)稲荷神社です。ナビに従って車を走らせたのですが、またしても、なかなか目的にに着きません。公明院の時と同じように何か邪魔されている感じでした。
時刻は15時をまわり、陽が傾いて来ました。30分以上掛かって、ようやく現地に到着しました。白狐稲荷神社は中門川の中州のところにありました。道路脇に車を停めて、白狐稲荷神社の境内に入りました。入った途端、激しい鳥肌が立ちました。
石碑には霊場と記されていました。「形のない得体の知れない闇になっていて、かなり凄いので鳥居の手前でやった方がいい」と伴侶がアドバイスしてくれました。既に、ツインの龍神たちが放たれて浄化してくれていました。
お社に向かって、この地を開きに来た旨を伝えて、光の柱を降ろしました。「精霊たちが川に放たれていった」と伴侶が教えてくれました。中門川を浄化し、諏訪湖にエネルギーを満たすために羊蹄山の精霊たちが流れて行ったのです。
「虹の龍神が出て行って、川の上流と下流を行き来して、諏訪湖に虹を敷き詰めている」と伴侶が伝えてきました。虹の龍の出番は最期の仕上げです。諏訪湖一帯を虹の絨毯を敷き詰めて、闇を光に反転してくれました。
「ああ、良かった」と私たちはホッとしました。中門川は諏訪湖に通じています。川は光やエネルギーが流れる大切なルートですので、諏訪湖を封じるために川の側に稲荷社が置かれていると感じました。ちょうど日が暮れようとしていました。
今回の訪問を機に、戸隠と諏訪の地が開かれ、富士山、阿蘇山、岩木山、羊蹄山、大雪山と繋がるエネルギーラインが通ることを願っています。戸隠と諏訪の地での浄化と解除の仕事を無事に終えて、私たちは安堵の内に家路についたのです。
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