12月11日(水)、午前8時30分頃、北九州市小倉駅をレンタカーで出発しました。最初の目的地は、足立山妙見宮(あだちさんみょうけんぐう)。妙見宮は最初の訪問計画にはありませんでしたが、前日、伴侶が知人に案内されていたので、急遽、訪れてみることにしました。

足立山妙見宮は妙見神社や御祖(みおや)神社とも呼ばれています。770年に和気清麻呂によって創立されたと伝えられています。主祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみみずびのかみ)の造化三神といいます。
小倉駅から25分で現地に到着しました。駐車場に車を停めて鳥居をくぐり、参道の石段を登って行きました。平日の朝ということもあり、参拝客は私たちだけでした。境内の手水舎で浄めて、先に進むと左手に石碑と龍が描かれた碑がありました。龍が涙を流しているように見えました。
龍神が封印されていると感じました。さらに石段を登ると正面に拝殿、右手に朱色の稲荷神社が三社ありました。大学稲荷社、高倉稲荷社、玉姫稲荷社です。足立山は大事な山なんだと感じました。私たちは拝殿でお参りをして、この地と山を開きに来た旨をお伝えしました。
封じる役目の3つの稲荷社を解除するために、それぞれのお社の前で、光の柱を降ろしました。伴侶の体からはツインの龍神たちが浄化の役目を果たすために放たれていました。「さっきの石碑のところから白龍が出て来た」と伴侶は教えてくれました。
「こっちの御堂にも沢山のエネルギーがいる」と彼女は伝えてきました。稲荷社の隣にある薬師堂にも封じる番人としてのエネルギー体がいるようでした。「お役目ご苦労さまでした。もうお役目は終わりですから光に還ってください」と伝えました。
そして、私は薬師堂を含めた一帯がすべて入るように、お祈りしながら大きな光を降ろしました。封印の番をしていたエネルギー体の存在たちは天に昇って行きました。すると、「富士山に髭が生えたような神様みたいな人が山から出て来た」と伴侶は伝えてくれました。
伴侶がお連れした大国主命も大きくなって、足立山の上でその神様と話しているというのです。恐らく富士山のような神様は足立山の神様なのでしょう。「虹の龍神が出て行って虹を敷き詰めている」と彼女は教えてくれました。虹の龍が空を飛んで、最後の仕上げとして足立山と小倉一帯を虹の絨毯で浄化してくれていました。
これから足立山が開かれ、北九州一帯にエネルギーが流れていくでしょう。妙見宮を後にして、私たちは次の目的地である宮地嶽(みやじだけ)神社に向かいました。九州自動車道を車で走らせて1時間程で到着しました。福津市にある宮地嶽神社も最初の計画にはなく、当日、訪問することを決めた場所でした。
福津市の宮地嶽神社は、全国にある宮地嶽神社の総本社であり、宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多いといいます。有名な注連縄は日本一大きいと称されています。主祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)、配神として勝村大神・勝頼大神をお祀りしています。
駐車場に車を停めて、商店街を通り、石段の参道を登って行きました。宮地嶽神社はかなり大きな神社でした。御本殿でお参りをして、この地を開きに来た旨をお伝えしました。案内板を見ると稲荷神社がある奥の宮八社が気になりました。奥の宮の方に歩いて行きました。
伴侶についているツインの龍神たちは、すでにガードしてくれていました。奥の宮八社の境内には、七福神社、稲荷神社、薬師神社、水神社、万地蔵尊、三宝荒神、恋の宮、不動神社の夫々のお社がありました。気になる社は稲荷神社、水神社と不動神社でした。
稲荷神社、水神社にお参りして、光の柱を降ろしていきました。そして、一番奥にある不動神社に行きました。目に入ったのは、薄暗い中にある不動明王像でした。お祈りしながら不動神社の社全体に光を降ろしました。伴侶が変化に気づきました。
「お不動さんたち、5人くらいが私たちの後をついてくる」というのです。不動明王のエネルギー体が解放されたようでした。私たちの解除と浄化の仕事を近くで観たいということでした。「ちょっと付いてきてください」と伴侶は彼らに伝えていました。
お不動様たちが見守る中で、私は奥の宮の山全体に光の柱を降ろしました。「開いた」と伴侶は伝えてきました。お不動さんたちは、私たちを見送ってくれました。私はとお辞儀をしながら、「これからは光の仕事をお願いします」とお不動様たちにお伝えしました。
宮地嶽神社の解除を終えて、私たちは志賀海(しかうみ)神社を目指しました。車を走らせて約50分で志賀海神社の駐車場に到着しました。あいにく、小雨が降り出していました。私たちは傘をさしながら、鳥居をくぐり、石段の参道を歩いて行きました。
志賀海神社は玄界灘に突き出した、金印で有名な志賀島の小高い山の上に鎮座していました。御祭神は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)の綿津見三神です。
また、志賀海神社は、「龍の都」「海神の総本社」とも言われています。楼門前には山の神の社がありました。拝殿でお参りをして、この地が開きに来た旨をお伝えしました。拝殿の後ろに秋葉社、松尾社の摂社末社がありました。稲荷社もあり、光の柱を降ろしました。
ツインの龍神たちは、伴侶の体から離れて、境内を浄化し、摂社末社の社を突き抜けて行きました。 拝殿右手には、遥拝所として、鳥居の下に2つの亀石がお祀りされていました。遥拝所からは海の景色が見えました。ここも封印されていると感じました。
「海の方に向かってやった方がいい」と伴侶から助言をもらい、私は光の柱を遥拝所のところに降ろしました。「海の方で蓋が開いて、龍神が出てきている」と彼女は教えてくれました。まるで、シンクロナイズドスイミングのように一列になって沢山の龍神が海の水面から飛び出してきているというのです。
「等身大の大国主さんが私たちの横で龍神たちが出てくるのを見ている」と伴侶は伝えてくれました。長い間、海神としての龍神たちは自由を封じられて海の底に閉じ込められていたのでしょう。解放された龍神たちを見ている大国主命の気持ちが伝わってくる感じでした。
志賀海神社の解除を終えて、私たちはこの日の最後の目的地である熊本県菊池市にある神龍八大龍王神社に向かいました。九州自動車道を経由して約2時間で現地に到着しました。道路の脇に車を停めて、鳥居をくぐって階段を下りて行きました。
竹藪の中の参道をくだっていくと鳥居の向こうに小さなお社が見えてきました。社殿の手前には、神社の由来を示す石碑があり、「この神竜八大竜王神様は宇宙最高の神であり、今より約三百八十年前即ち天正 三年(暦1575)旧五月六日世界の平和を 祈念され此の地に天下られる」と記されていました。
社殿の裏側は川が流れていました。河原に降りて神龍八大龍王神社の社殿を見ると、社殿の裏側に二股に幹が分かれた大きな杉の木がありました。御神木の夫婦杉でした。神龍八大龍王神社が鎮座する菊池市竜門には、男龍(おりゅう)と女龍(めりゅう)の伝説があるといいます。
竜門ダムの近くには、「雄龍」と「雌龍」が棲 んでいたといわれる男龍と女龍の二つの淵 があるそうです。社殿の手前左手には、白字の布に黒く「愛染明王」と記された垂れ幕が掛かった祠がありました。私は鳥肌が立っていて、これが封じている主だと感じました。
愛染明王の隣には、十一面観音像もお祀りされていました。私はお参りをしながら、この地を開きに参りましたと伝えました。そして、祠全体が入る程の大きな光の柱を降ろしました。伴侶についてくれているツインの龍神たちも浄化をしてくれていました。
「番人のエネルギー体たちは余り抵抗なく、上に昇って行った」と伴侶が教えてくれました。その後、社殿の後ろにある夫婦杉の御神木から2頭の龍神が飛び出て行ったといいます。「黒龍と白龍だったと思う」と彼女は伝えてきました。夫婦の龍神は御神木に封印されていたのです。
以前のヒプノセラピーで伝えられた、「パートナーシップの解除」はこの神龍八大龍王神社の夫婦龍神の封印解除から繋がってくると感じました。この日は密度の濃い一日でした。私たちは全ての予定を終えて、安堵の内に熊本の宿への帰路についたのです。