2014年05月04日

沖縄 旧海軍司令部壕 〜巡礼の旅(35)〜

地下壕に留まる沖縄戦で命を落とした方々の御霊が光の柱に沿って天に昇った旧海軍司令部壕での慰霊と大きな岩から玉が取れて、エネルギーポイントが解放された末吉宮での封印解除

1月27日(月)から4日間、沖縄を訪れました。沖縄本島の中部から北部までの土地の浄化と封印解除を行うための巡礼の旅です。昨年9月の沖縄訪問時は南部の戦争跡地を主にまわりました。戦争で命を落とした多くの方々を慰霊し、彷徨える御魂が天に還るようサポートすることが目的でした。

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1月27日(月)12時頃に那覇空国に到着して、レンタカーを借りて、最初の目的地の旧海軍司令部壕に向かいました。車で約15分で駐車場に着きました。旧海軍司令部壕は、沖縄戦において大 日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕であり、現在は一般に公開されています。

駐車場から歩いてビジターセンター・資料館に向かいました。小高い丘に建てられたビジターセンター・資料館 の受付で入場料を支払って館内に入りました。資料室内には、銃器や軍服など壕内より発掘された遺品や家族へ宛てた手紙など、旧日本海軍についての資料が展示されていました。

壕入口から105段、30m程の階段を降りて、通路が縦横に張りめぐらされた壕内へ入って行きました。蒸し暑さと圧迫感を覚え、鳥肌も立ってきました。また、沢山の御魂が残っていると感じました。伴侶の体からはツインの龍神たちが放たれて、浄化の働きをしてくれていました。

海軍司令部壕は、1944年、日本海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていたといいます。

壕内は枝分かれした坑道と作戦室、幕僚室、司令官室、暗号室、医療室、上士官室、兵員室、発電室の部屋からなり、砲撃に耐えられるよう重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されています。坑道の壁には建設時につるはしで削っていった跡が残されていました。

伴侶は右手をかざして、ラファエルの光で歩いていく坑道内を癒していきました。亡くなられた方々の御魂は私たちの後について来ていました。司令官室の所に来ると、「軍服を着た3人の方が壁の方に向かって立っている」と伴侶が教えて くれました。

当日の大田司令官をはじめとする上官の方たちのようでした。肉体の命を終えても、その方々の御魂は沖縄戦のさなかのままでした。「お勤めお疲れ様でした。もう戦いは終わりましたので、安らかに天に還ってください」とお伝えしました。私は慰霊塔の前で光の柱を立てる予定でした。

坑道の見学を終えて、私たちは地上に出て来て、ビジターセンターの手前に創設されている海軍戦没者慰霊塔の前に着きました。沖縄海友会によって海軍戦没者慰霊之塔が建立されました。1953年、壕内からは大田司令官をはじめとして800名以上の遺骨が収集されました。

1958年には更に1500名以上の遺骨が収集されたといいます。私は慰霊塔の祭壇の前に立ち、手を合わせ 、お祈りをしながら光の柱を降ろしました。「皆、上に上がって行っている」と伴侶が伝えてくれました。上官の人たちは最後まで残って、皆が上がるのを見届けて昇天したといいます。

私は安堵してその場に立っていました。「去年、一緒に来た龍神がそこに来て観ている」と伴侶が教えてくれました。横浜の瀬戸神社の封印解除の際に彼女が授かり、北海道の羊蹄山で元気になり、沖縄のひめゆりの塔の浄化の時に、放たれた龍神でした。

タツノオトシゴのように空中で立ち泳ぎの姿勢になっているといいます。光の柱が立ってので、私たちの様子を見に来てくれたようでした。私たちは龍神に再会の挨拶をしました。旧海軍司令部壕の慰霊と浄化を終えて、私たちは次の目的 地である末吉宮に向かいました。

約30分で末吉宮のある末吉公園の駐車場に着きました。末吉公園は、ヒカンザクラなどの植物園と運動場を併せたようなアップダウンのある総合公園でした。車を停めて、道を下り、再び登って行きました。途中で宜野湾御殿の墓に行きつき、浄化をしました。

10分程歩いて、「史跡 末吉宮跡」の石碑に着き、道なりに坂を登って行くと、石段の上に朱色の社殿の末吉宮がありました。末吉宮の御祭神は熊野三社の熊野権現。私たちは社殿の上の山道を進んで行きました。左手に2つの石碑が置かれた御嶽(うたき)がありました。

御嶽は琉球の信仰における祭祀などを行う施設のことです。土台の石には「末吉町」と記され ていました。「この地を開きに来ました」と私はお伝えしました。浄化する必要を感じ、光の柱を降ろしました。「白い服を着た女の人が3人出て来た」と伴侶が教えてくれました。

どうやらノロの方たちのようでした。ノロは琉球の信仰における女司祭で、地域の祭祀を取りしきり、御嶽を管理していたといいます。「3人の白い服の女性は大国主さんと何か話している」と伴侶は伝えてきました。大国主命は、恐らく、本来の自然の姿に戻すために来たと伝えたのでしょう。

その後、3人の白装束のノロの方たちは私たちについて来ることになりました。さらに、山道を上って行くと頂上の平地に来ました。「「子ぬ方(にぬふぁ)入口」と刻まれた石碑がありました。その奥に 行くと2つの御嶽がありました。とても重要な場所だと感じました。

1つの御嶽には大きな岩の下に、「宇天火ぬ神」と記した石碑と神々の名前を記した石碑がありました。ここには何か封じられていると感じました。この地を開きに来た旨をお伝えして、光の柱を降ろしました。虹色の光を降ろしたつもりでしたが、炎が燃えるような赤の光を感じました。

「大きな玉が現れた」と伴侶が教えてくれました。玉が取れたのです。この場所は大事なエネルギーポイントでした。大岩の横には御神歌の石碑がありました。「子(に)ぬ方(ふあ)御座元に 黄金軸立てゝ 寄して来ゆる産子 頭上(ちぢ)ん優て」と記されていました。

沖縄の言葉ですが感覚で訳 すと「北の方角に光の柱を立てると生まれ変わる」というような感じでしょうか。「黄金軸」という言葉が気になります。その奥にはもう一つ御嶽がありました。向かって左に「黄金軸」と記された小さな石碑と五芒星のついた大きな石碑がありました。

大きな石碑には、左から「宇天十二神」「宇天親加那志」「子ぬ方軸ぬ神加那志」と記されていました。五芒星のある神社などは宇宙に繋がるエネルギーポイントだと過去のヒプノセラピーで伝えられていました。私はこの御嶽には光の柱を降ろしました。「開いた」と伴侶が言いました。

末吉宮と末吉宮周辺にある御嶽は、このエネルギーポイントを封じる役割をしていたのだと感じます。この場所が解放され、本来のエネルギ ーが流れることを祈りながら、私たちは沖縄巡礼の旅の初日の仕事を終えて、宿泊先への帰路についたのです。
posted by 地球の子 at 00:00| 沖縄県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする