1月28日(火)、午前8時、那覇市のホテルをレンタカーで出発して、安座真港(あざまこう)に向かいました。最初の目的地は久高島です。約45分で安座真港に到着しました。9時の「高速船ニューくだかV」に乗船して、約15分で久高島特仁港に到着しました。高速船は思ったよりも揺れました。

下船してレンタル自転車を借りる予定でしたが、歩いた方がいいかなと感じて徒歩で久高島を回ることにしました。安座真港でもらった地図を頼りに歩いて外間殿に着きました。外間殿は、緑色の芝生の庭に白色の壁にオレンジ色の瓦屋根の家が2軒並んでいました。
外間殿には、太陽、月、竜宮、植物、健康、国の創造、その全ての総帥の天の神の7つの神様が祀られてお り、重要な祭祀場といいます。久高島の神々にお参りをしようと家の中を覗いていると、地元の方がお参りできるように戸を開けてくれました。
私たちは、祭壇に向かって「この場所を開きに来た」旨をお伝えして、お参りをしました。末吉宮で伴侶の体に入って来た3人の白装束のノロの方たちは、ある意味でよそ者の私たちを久高島を含めた沖縄の地に案内してくれる役割を持っていると感じました。
外間殿を後にして、次に大里家を訪れました。石垣の塀の中にはある民家には御嶽所として整備されているようでした。大里家はいろいろな話が伝わる久高島で一番古い家だといいます。大里家の見学の後、久高殿に向かいました。歩いて数分のところにありました。
久高殿も外間殿と同じ感じの白い壁にオレンジの屋根の家屋でした。久高殿の隣にはイラブー(エラブ海蛇)を燻製にする「バイカン小屋」がありました。私たちが久高殿の前で見学していると軽トラックに乗った地元の男性が話しかけてきて、久高殿について説明してくれました。
琉球王朝時代、久高島には「ムトゥ」と呼ばれる始祖家が2つあったそうです。東西を縦に2分し西が久高、東が外間を中心に家が集まっており、司祭者を外間ノロ、準司祭者を久高ノロとしていたと伝えられています。現在、久高ノロは不在ということです。
外間殿、久高殿はそれぞれのノロが出た家で、それ以降、久高島の祭祀の主祭場となっているといいます 。私は光が必要だと感じて、本来の姿になるようにお祈りしながら光の柱を降ろしました。私たちは、次の目的地のクボウ御嶽を目指して、一本道をひたすら歩いて行きました。
その日は晴天で気温が高かったこともあり、伴侶は疲れた表情をしていました。「早く帰りたい」と彼女は口にしました。神の島と呼ばれている久高島は癒しの地には程遠い感じがしました。自然はありますが、エネルギーが枯渇しているように感じていました。
15分程歩いてクボウ御嶽に着きました。クボウ御嶽は、沖縄の七御嶽の一つで、最高の霊地といいます。琉球の創生神・アマミキヨが住んだというクボウ御嶽の拝所小さな祭壇の奥が森になっていました。クボウとはクバの木の意味で、御嶽は「神の鎮まる森」という意味だそうです。
私たちは感謝の気持ちを心を込めて祈りました。「白い着物の服を着た人が現れた」と伴侶が教えてくれました。私はノロの人たちだと感じました。その内の一人が「この役割は、もはや終わった」と話して来たといいます。ノロの役割、御嶽の役割は終わったことだと私は感じました。
伴侶は癒しが必要だと感じて、ラファエルの光でクボウ御嶽を癒しました。「優しい光を降ろした方がいい」と彼女からアドバイスをもらって、私は光の柱を降ろしました。「クボウ御嶽のノロの人たちが昇って行った」と彼女は教えてくれました。
クボウ御嶽を後にして、私たちは久高島での最終目的地のカベール岬に歩いて向かいました。伴侶は疲れた様子で歩いていました。「厳しいことを伝えるメッセージが来た」と彼女は話しました。私は直観的に宇宙の人からのものだと分かりました。
「この地を癒しなさい。この地を歩かせたのも意味のあること。だからそうさせた。歩いて周ることに意味があったのだ。労を惜しんではいけない。だから健康な身体を与えている」。久高島を癒すために歩くことになったというものでした。
約15分程で久高島の先端にあるカベール岬に着きました。クバの林があり、岬にある小浜は、昔、アマミキヨの到着した霊地と伝えられます。岬までの道はカベールムイと呼ばれるクバの森が続いていました。岬から海が一望できる素晴らしい場所です。
私は岬の先端まで行き、その先の海の方に光の柱を降ろしました。久高島が本来の自然を取り戻し、生き生きした島に蘇ることを祈りました。私たちはカベール岬を後にして、特仁港への帰り道を歩いて行きました。特仁港の近くのお店で沖縄そばの昼食を取り、13時発のフェリーくだかに乗船しました。
久高島の巡礼は終わりました。20分間の乗船の後、安座真港に到着しました。私たちは斎場御嶽(せーふぁーうたき)に向かいました。斎場御嶽は、琉球開闢(かいびゃく)伝説にも現れる琉球王国最高の聖地と伝えられています。
私は斎場御嶽には3度目の訪問になりますが、浄化や解除の目的で訪れるのは初めてでした。10分程で駐車場に着きました。そこから5分程歩いて 斎場御嶽の入口に着きました。入場料を払い、パンフレットをもらって中に入りました。
前回来た時よりも改装されて新しい展示室が整えられていました。御門口(ウジョウグチ)を通って道を進み、大庫理(ウフグーイ)の拝所に着きました。伴侶は癒しが必要と感じて、ラファエルの光を手から放って癒して行きました。
奥に進むと、石段の舞台がある寄満(ユインチ)に着きました。私はお祈りしながら光の柱を降ろしました。続いて、一番奥の神域である三庫理(サングーイ)に進みました。二本の大きな鍾乳石が寄りかかり、三角形の空間を作っている所です。
三角形の空間の突き当りに行くと両側に拝所がありました。左手には久高島を臨むこと ができました。「ここは光を欲しがっている」と伴侶が伝えてきました。私は目を閉じて祈りながら光の柱を降ろしました。「ありがとうと言って白い服の人たちが昇って行った」と彼女は教えてくれました。
ノロの方たちが光に還ったと感じました。斎場御嶽の浄化と解除は終わりました。まだ、時間があるので、私たちは首里城公園に向かいました。レンタカーで約40分で首里城公園の駐車場に到着しました。車を停めて、首里杜館の受付で地図をもらいました。
首里城公園内の御嶽の浄化と解除を行うために、受付の係員の方に場所を尋ねました。具体的な場所は分からないが、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、首里森御嶽、京の内の三か所にあると教え てもらいました。
まずは、園比屋武御嶽石門に行きました。石碑のある後方に小さな森がありました。そこに光の柱を降ろしました。次に、すぐ奥の所にある第32軍司令部壕跡の所に来ました。前回来た時には、洞窟の中に光を入れたために闇の反撃を受けた所です。
今回は首里城公園全体の浄化と解除を行うと最期に虹の龍神が発動してくれると感じていました。伴侶に付いている太陽の龍神(ニギハヤヒ)と月の龍神(セオリツヒメ)が浄化のために洞窟の中に入って行きました。第32軍司令部壕跡の浄化は龍神たちに任せて、弁財天堂に向かいました。
円鑑池にある弁財天堂の前で光の柱を降ろしました。続いて、龍譚通りの向こうにある円覚寺跡地に行 き、高台のところから光の柱を降ろしました。次に、里森御嶽と京の内を回りました。案内板はありませんが、御嶽と思われる所に光の柱を降ろしていきました。
そして、首里城の全体が見晴らせる見晴台に登り、首里城全体を被うように光の柱を降ろしました。「虹の龍神が出て行って虹の絨毯を敷き詰めている」と伴侶が伝えてきました。第32軍司令部壕跡の洞窟も虹を敷き詰めたといいます。
「末吉宮とも繋がった」と彼女は教えてくれました。沖縄巡礼の旅の第2日は久高島、斎場御嶽、首里城公園という琉球王国の象徴的重要な場所を回りました。2日目の浄化と解除の仕事を無事に終えて、私たちは宿泊先のホテルへの帰路に着きました。


