2014年05月19日

東京 寛永寺 〜巡礼の旅(46)〜

開山堂と上野大仏で虹の龍神が発動して闇を光に転化し、不忍池辨天堂の神社に光を降ろして龍神を解放した上野の寛永寺(かんえいじ)での浄化と封印解除

2月27日(木)、午前中に明治神宮の解除を終えて、JR原宿駅から山手線に乗ってJR鶯谷駅まで行きました。そこから徒歩で寛永寺に向かいました。寛永寺は東京都台東区上野にある天台宗関東総本山の寺院です。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海僧正であり、御本尊は薬師如来です。

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JR鶯谷駅から10分程歩いて、寛永寺根本中道に着きました。1698年、現在の上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は、1868年、幕末の戊辰戦争(上野戦争)で焼失したといいます。境内を散策していると地蔵や石仏があり 、エネルギー体もいました。

私たちは、エネルギー体たちにもう役目を終えて光に還るように伝えて行きました。上野戦争慰霊碑もありました。戦争で なくなられた御魂も留ま っている感じでした。私は慰霊碑の前でお祈りしながら光の柱を降ろしました。「みんな天に昇って行った」と伴侶が教えてくれました。

境内には、僧侶の像を安置した小さなお堂もありました。黄檗宗の僧(了扇禅師)と案内書に記されていました。私はこの地を開きに来た旨をお伝えしました。「お坊さんは苦しかった言っている。光に還ることは承知している」と伴侶が伝えてくれました。

写真を撮ろうと構えると、「撮らないでほしいと言っている」と伴侶が伝えてきました。私は僧侶の意を汲んで写真を撮るのをやめました。そして、了扇禅師像の前で光の柱を降ろしました。了扇禅師のエネルギー体は昇天していきました。根本中道の御堂の中に入りました。

御堂の前には、御本尊の 薬師瑠璃光如来像がお祀りされていました。私はこの地を開きに参りましたとお伝えして、御堂全体に光の柱を降ろしました。根本中道の解除を終えて、私たちは徒歩で徳川歴代将軍霊廟を訪れました。

霊廟には六名の将軍(四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定)が埋葬されています。国指定重要文化財になっていますので、立ち入り禁止になっていました。私は霊廟の外から全体に光を降ろしました。

寛永寺の諸堂は飛び地に残されています。元々の寛永寺の境内地は広大なものでした。最盛期には現在の上野公園を中心に約三十万五千坪にもおよびました。現在の上野公園の中央部分には、壮大な根本中堂が建立され、本寺には名園が作庭さ れました。

さらに清水観音堂、不忍池辯天堂、 五重塔、開山堂、大仏殿などの伽藍が競い立ちました。徳川将軍家の菩提寺も兼ねて歴代将軍の霊廟も造営され、国内最大級の寺院となりました。ところが幕末の戊辰戦争で、戦場と化し、全山の伽藍の大部分が焼失してしまったといいます。

次に、私たちは開山堂に向かいました。歩いて10分程のところにありました。開山堂は、慈眼大師(じげんだいし)天海僧正をお祀りしているお堂です。慈惠大師良源(じえだいしりょうげん)僧正もお祀りしているところから、一般に「両大師」と呼ばれ信仰されているといいます。

開山堂の境内を散策して、最初に阿弥陀堂に行きました。奥の方に端正な阿弥陀坐像が収められていましたが、その前に地蔵菩薩立像と虚空蔵菩薩坐像の巨 大な2体が並んでいました。私はお役目を終えて光に還るようにお伝えしました。

「凄く抵抗が強い。聞く耳を持たない」と伴侶が伝えてきました。私は御堂の外に出て、全体に光を降ろしました。そして、本堂の全体にも光の柱を降ろしました。「虹の龍神が出て行った」と彼女が教えてくれました。虹の龍神が阿弥陀堂の菩薩のエネルギー体を光に還したのです。

開山堂を後にして、上野公園に入って行きました。しばらく歩いて行くと上野大仏(パゴダ)がありました。元々、上野の大仏があったといいます。度重なる罹災と第二次大戦により顔の部分だけがお祀りされ、パゴダ(仏塔)も建立されたといいます。

仏塔の中には、御本尊として薬師三尊像 が祀られていました。敷地内には重苦しいエネルギーが感じられました。「薬師さんが不自由になっている」と伴侶が伝えてきました。私は仏塔を含めた上野大仏の敷地全体に光の柱を降ろしました。

「また虹の龍神が発動した」と彼女が教えてくれました。闇が深いので虹の龍神に虹の絨毯を敷き詰めてもらうほかに方法はないようでした。私たちは上野公園を不忍池方面に歩いて行きました。五條天神社と花園稲荷神社に着きました。

それぞれの拝殿でこの地を開きに来た旨をお伝えして、光の柱を降ろしました。花園稲荷神社の境内の中には穴稲荷がありました。洞窟の中に稲荷社が祀られていました。私は鳥肌が立っていました。ここもかなり闇が深い場所でした。私は 一人で洞窟の中の稲荷社に入り、光を降ろしました。

次に、不忍池の中之島にある辨天堂を訪れました。不忍池辯天堂は、天海僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて、不忍池に中之島を築き建立したといいます。御堂の中に入り、この地を開きに来た旨をお伝えしました。外に出てお堂全体に光を降ろしました。

辨天堂の周りを散策していると、「不忍池に龍神さんがいる気配がする」と伴侶が伝えてきました。すると、右手の目の前に神社がありました。鳥居の前に鉄製の門があり、カギを掛けられていました。神社の名前や由緒などの案内は全くありません。

ここに龍神が封じられていると確信しました。私は門の外側から光の柱を降ろしました。「大きな龍 神が出て来た」と伴侶が教えてくれました。大事な場所は隠されている場合が多いです。不忍池辨天堂を解除して、寛永寺の全体の境内地の浄化を終えました。

今回、初めて寛永寺を訪れたのですが、これ程、広大な寺院だったとは思いませんでした。東京の地を本来の姿に戻すためには、この寛永寺の解除が必須だったと感じます。私たちは安堵の内に家路につきました。
posted by 地球の子 at 00:00| 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする