2014年09月22日

北海道 定山寺 〜巡礼の旅(103)〜

開祖・美泉定山記念碑の前で、光の柱を降ろして美泉定山のエネルギー体を光に誘い、境内の社にて、僧侶と思われるエネルギー体が、「ありがとう」と言って昇天していった定山寺での封印解除

6月5日(木)、琴似神社の解除を終えて、定山渓神社に向かいました。1時間程、車で走って定山渓神社に着きました。定山渓神社は、北海道札幌市南区定山渓温泉にある神社で、1905年に地元民が守護神として天照大神を祀ったのが始まりだといいます。定山渓温泉は、古くからアイヌに知られており、江戸時代には和人が入り、1866年に美泉定山が温泉宿を開いたと伝えられています。

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定山渓神社の祭神は、大己貴神、少彦名神、大山祇神、罔象女命(みつはのめのみこと)、金山彦神(かなやまひこのかみ)、美泉定山命(びせんじょうざんのみこと)といいます。駐車場に車を停めて、両側に狛犬が置かれた参道を進み、定山渓神社の境内に入りました。山の麓の森に入って行くような感じでした。

急勾配の赤色の三角屋根の社殿の前にて、この地を開きに来た旨を宣言しました。境内を注意深く散策していくと、鳥居の奥に小さな祠が祀られていました。祠の右奥には馬頭観音と刻まれた石碑がありました。「ここに封印されている」と感じて、光の柱を降ろしました。「近くの川から2頭の龍神が出て来た」と伴侶が教えてくれました。

社殿全体にも光の柱を降ろしました。定山渓神社の解除を終えて、私たちは近くにある定山寺に向かいました。定山寺は、北海道札幌市南区定山渓温泉にある曹洞宗の寺院で、山号は「大徳山」といいます。1866年頃より定山渓温泉を整備して温泉宿を造営した美泉定山によって開基されたと伝えられています。

定山寺に到着して、本堂に祀られた美泉定山の像に、この地を開きに来た旨を伝えました。本堂の前には石仏が5つ並んでいました。石仏のエネルギー体に対して、役目を終えて光に還るように促して、光の柱を降ろしました。その隣には、開祖美泉定山記念碑がありました。「重い重い、重いから引き上げてくれと定山さんが言っている」と伴侶が伝えて来ました。

「お疲れ様でした。光の柱を降ろしますので、安らかに昇ってください」と私は伝えて、光の柱を降ろしました。「みんな昇って行った」と伴侶が教えてくれました。石仏の奥に木造の社があるのに気づきました。行ってみると何かが祀られているようでした。私は社の前で、この地を開きに来た旨を伝えました。

「どうしてここに祀られたのか、苦しかったと誰かが伝えて来た」と伴侶が言いました。「あなたは定山さんですか?」と尋ねると、「違う」と答えてきました。どうやら僧侶のエネルギー体の感じでした。「昔、温泉権で争いがあったみたい。エゴのぶつかり合いがあった」と伴侶が教えてくれました。私は社の前で光の柱を降ろしました。

「ありがとうと言って昇天していった」と彼女が言いました。私たちは良かったと安堵しました。定山寺の解除を終えて、次にニセコ町を目指して車を走らせました。1時間程、車で移動して、真狩(まっかり)神社に立ち寄りました。真狩神社は、訪問予定にはありませんでした。真狩神社は、虻田郡真狩村にある神社です。

祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大己貴命、少彦名命、大山積命、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、菅原道真といいます。車を停めて、社殿の前で、この地を開きに来た旨の宣言をしました。境内を散策して行くと社殿右奥に「山神」と記された小さな石祠がありました。私は光の柱を降ろしました。

「干乾びた白龍が出てきて羊蹄山の方に行った」と伴侶が教えてくれました。いつもならば、干からびた龍神は伴侶の体に入るのですが、ここは羊蹄山がすぐ側ということで、元気のない龍神が自らエネルギーを満たす場所に向かって行きました。真狩神社を後にして、私たちはニセコの寺院に向かいました。

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posted by 地球の子 at 08:00| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする