2014年11月05日

鎌倉 建長寺 〜巡礼の旅(122)〜

三門にて僧侶のエネルギー体に取り囲まれ、南宋から来た禅僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)らと対話し、光の柱を降ろして僧侶のエネルギー体たちが光に還った、建長寺での解除と浄化

7月7日(木)、光照寺の解除を終えて、私たちは建長寺に向かいました。しかし、気になっていた明月院(めいげついん)に先に立ち寄ることにしました。15分程歩いて明月院に到着しました。過去に2回程、明月院には訪問していました。最後に訪問した際に、山裾の壁に彫られた穴や石仏がとてもネガティブな感じを受けていました。

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明月院は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院で、山号を福源山といいます。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)と伝えられます。明月院は、紫陽花(あじさい)の名所として知られ、「あじさい寺」の名前で知られています。明月院の総門で拝観料を支払い、参道を歩いて行きました。

紫陽花の季節の明月院ということで、平日にも関わらず多くの参拝者が訪れていました。参道の両側には、盛りの過ぎた青や紫の紫陽花の花が咲いていました。本堂の前にて、この地を開きに来た旨を伝えました。その上には、目的の場所である開山堂(宗猷堂)がありました。開山堂を取り囲むように壁穴があり、石仏や石碑が祀られていました。

「明月院やぐら」と呼ばれる岩を掘りぬいた墓室だといいます。「ネガティブな感じがする」と伴侶が伝えて来ました。開山堂には密室守厳禅師の像が祀られていました。私は開山堂の前で、この地を開きに来た旨を宣言し、光の柱を降ろしました。「この者たちを上げてくれ・・私はこの地を守る」と伴侶は伝えて来ました。

「あなたは光の存在ですか?」と私は尋ねました。「私はこの地を守る・・それで良いな」と伴侶を通じて答えて来ました。どうやら、密室守厳禅師のエネルギー体のようでした。光の存在と思わせる口ぶりでした。「いいえ、あなたの役目は終わりです。あなたを含めて光に還っていただく必要があります。どうかこの地を解放してください」と私は伝えました。

そして、伴侶の合図とともに、再び光の柱を降ろしました。「虹の龍神が出て虹色の光を当てている」と伴侶が伝えて来ました。密室守厳禅師のエネルギー体は光に強制送還されて、石仏たちのエネルギー体たちも昇天していきました。開山堂の右手には、蓋がされている「瓶(つるべ)の井」と呼ばれる井戸がありました。

「龍神さんが出て来れないから光を降ろしてあげて」と伴侶が井戸を指さして、伝えて来ました。私は瓶の井に光の柱を降ろしました。「青色の龍神が解放された」と伴侶が教えてくれました。明月院の解除を終えて、私たちは建長寺に向かいました。徒歩で15分程で建長寺に到着し、入口で拝観料を支払って境内に入って行きました。

建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山です。山号を巨福山(こふくさん)と称し、正式な寺号は、建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)というそうです。建長寺は鎌倉五山の第一位に列せられており、創建は鎌倉時代の1253年、本尊は地蔵菩薩といいます。

建長寺の開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧(ごったんふねい)と伝えられます。私たちは建長寺の楼門をくぐって、左手にある稲荷堂に移動しました。小高い丘の上にある稲荷堂の前で、解除する宣言をして光を降ろしました。

稲荷堂から法堂に移動して、法堂の中を拝観しました。内部には千手観音坐像の他に、数体の僧侶像がありました。この地を開きに来た旨を伝えて、お堂全体に光の柱を降ろしました。開山堂へ移動しようとしましたが、立入禁止区域になっているために行けませんでした。代わりに、山門の所で、遠隔にて光の柱を降ろしました。

「10人くらいの僧侶のエネルギー体に取り囲まれている」と伴侶が伝えて来ました。建長寺を開山した蘭渓道隆などの由緒ある僧侶たちでした。「皆さんと争うために来たのではなく、この地を開くために来ました」と私は訪問の目的を告げました。「誰が言う、誰が言うと僧侶たちが話し合っている」と伴侶が教えてくれました。

そして、一人の僧侶が伴侶を通じて、「私たちは漂っている」と伝えて来ました。僧侶たちは大陸から来た中国の僧侶たちでした。「あなたたちのお気持ちは分かります。定まらないのですね」と私は伝えました。「そうだ。定まらないのだ」と僧侶は言いました。「皆さんが光に還られるのをお手伝いしてきました」と私は伝えました。

「日蓮上人、伝教大師(最澄)など宗教各派の長としての僧侶の方々も光に還られました。どうぞ皆さまも役目を終えて、光の世界へお還りください」と私は続けました。「私たちは違う」と僧侶は伝えて来ました。「しかし、仏陀の教えを伝え広めるという原点は同じではないですか」と私は言いました。

「どのようにして行けば良いのか」と僧侶は尋ねてきました。「光を降ろしますので、ただ、あなたがたが行くと決めれば光に還れます」と私は伝えました。伴侶の合図とともに、私は僧侶たちが光に還ることを意図して光の柱を降ろしました。「みんな天に昇って行った」と伴侶が伝えてくれました。宋から来日した僧侶たちの苦労や思いが伝わって来ました。

建長寺は鎌倉幕府5代執権・北条時頼によって創建された禅宗寺院です。北条時頼が熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していたために、開山の蘭渓道隆を中国の宋から呼び寄せたのでしょう。僧侶が「漂っている」と伝えて来たのは、故郷の中国を離れて、命がけで異国の地の日本に渡り、生涯を終えた故の言葉だったと感じます。

日本の仏教には各宗各派がありますが、当時から禅宗は仏教他宗派とは異なり、つながりが薄く、孤立していた感じがします。私の実家も臨済宗のお寺の檀家ですが、建長寺での解除の経験を通じて、はじめて禅宗とは何かを肌で感じたのです。円覚寺や建長寺が開かれ、鎌倉の地が本来の姿を取り戻すことを願いながら家路につきました。

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posted by 地球の子 at 09:40| 神奈川県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする