2014年11月30日

奈良 談山神社 〜巡礼の旅(132)〜

「長い長い長い時だった。私も光のことは知っている。覚悟は出来ているか?」と伝えた藤原不比等のエネルギー体が光の柱に乗って昇天して行った、光の時代の幕開けを象徴する談山(だんざん)神社の十三重石塔での浄化と解除

9月10日(水)、興福寺の解除を終えて、談山神社に向かいました。50分程、車で走って談山神社の駐車場に到着しました。談山神社は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社で、祭神は藤原不比等の父親である中臣鎌足(談山大明神・談山権現)といいます。談山神社は桜と紅葉の名所としても有名です。

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談山神社は、神仏分離以前は多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という寺院だったそうです。駐車場に車を停めて、藤原不比等の墓を目指して歩いて行きました。駐車場から降りていくと「淡海霊廟(たんかいれいびょう)」の案内板がありました。藤原不比等は淡海公と呼ばれていたといいます。土の小道を歩いて進んで行き、淡海霊廟に着きました。

藤原不比等の墓は、木々が茂る小高い丘にひっそりと十三重石塔として祀られていました。「不比等さんのエネルギー体がいる」と伴侶が教えてくれました。私は石塔の前で、「長い間の役目、お疲れ様でした。この地を開きに来ました。役目を終えて光の下にお還りください」と伝えました。

「長い長い長い時だった・・・私も光のことは知っている」と不比等は伝えて来ました。私たちの周りには、妨害のためか、蜂が飛び回っていました。「覚悟はできているか?」と不比等は伴侶を通じて質問してきました。この時、不比等は伴侶にも「覚悟はできているか?」と問うてきたといいます。

「はい。覚悟は出来ています。そのための役割です。闇の時代の幕を上げるときが来ました。どうぞ安らかに昇ってください」と伝えました。石塔の墓に光を降ろすと、「さらばだ・・・」と不比等は言って昇天した行ったのです。私は談山神社全体とその周りの山々が本来の姿になることを意図して、大きな光の柱を降ろしました。

藤原不比等は純粋の闇の役割です。純粋な闇は光と通じます。光を大きくするための闇の役割なのです。不比等が伝えて来た覚悟を問う言葉は、これから日本が変化していくことを意味しています。「これから日本が大きく変化するために、色々な出来事が起きるが覚悟はできているか?」ということなのです。

闇の時代が終わり、光の時代が始まります。闇の時代が終わるということは、闇の時代に必要だった仕組が要らなくなることです。闇の環境を保つためのシステムが崩壊していくことです。現在も藤原不比等が構築した律令体制は現在も政治体制として続いています。

これから、闇の時代に必要だった政治や経済の仕組も大きく変わっていくでしょう。闇のための仕組のみならず、闇のための人間も要らなくなるのだと思います。奈良の地が本来の姿になり、光が広がる拠点に変わって行くことを願っています。

日本の土地が開かれ、日本の人々が暗闇のトンネルから出て目覚めて行き、日本が光の時代を平穏に迎えることができるようお祈りしています。私たちは談山神社を後にして、大神神社(三輪明神)に向かいました。

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posted by 地球の子 at 09:30| 奈良県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする