2014年12月08日

奈良 玉置神社 〜巡礼の旅(136)〜

大国主命に指示され末社・玉石社に光を降ろし、闇のエネルギー体と対峙して虹の龍神が光に強制送還した、玉置神社での闇の解除と封印解除

9月11日(木)、天河大弁財天社の解除を終えて、玉置神社に向かいました。山裾の細い道を2時間半程、車で走って現地に到着しました。玉置神社は、奈良県吉野郡十津川村にある神社で、大峰山系の霊山の一つである玉置山(標高1076.4m)の9合目に位置しています。大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の靡(なびき)のひとつであるといいます。

tamakijinjya_convert_20141204230822.jpeg

靡とは修行場のことです。玉置神社は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する修験道の中の75箇所ある修行場のひとつだそうです。玉置神社の祭神は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、天照大神、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)といいます。

社伝によると、玉置山山頂近くに露頭する玉石を神体とする末社・玉石社を玉置の由来とし、地主神または奥の院と位置づけており、山容を神奈備(かんなび)として崇拝することが起源であったといいます。玉置神社は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称)の奥の院とされ、霊場として栄えていたと伝えられています

私たちは、玉置神社には2013年2月に初めて訪問し、今回が2回目となりますが、封印解除、闇の解除を目的とした訪問は初めてでした。玉置神社と奈良県の神社の中でも特に重要な神社であり、闇のエネルギー体と対峙すると感じていました。駐車場に車を停めて、鳥居をくぐり、長い参道を歩いて行きました。玉置山全体が神域であり、参道は森林の中の道のようでした。

境内には、樹齢3000年と推定される神代(じんだい)杉、常立(とこたち)杉、大杉などの巨樹が聳えていました。石段を登って、社殿のある境内に着きました。私は社殿の前にて、この地、玉置山を開きに来た旨を宣言しました。「赤い目の立派な龍神がいる」と伴侶が伝えて来ました。赤い目の龍神は、国之常立神ではないかと私たちは感じました。

太陽の龍神(ニギハヤヒ)と月の龍神(セオリツヒメ)は伴侶の体から出て、境内社の解除をしてくれていました。「大国主さんと太陽と月の龍神さんと赤い目の龍神さんが頂上の方に行っている」と伴侶が教えてくれました。私たちは、山の頂上の境内社を目指して、山道を登って行きました。玉石社の所で、伴侶が口を開きました。

「大国主さんがここに光を降ろすように言っている」。大国主命が直接、指示するのは初めてのことでした。玉石社の祭神は、大己貴命(おほなむちのみこと:大国主命)です。大国主命に成りすがった闇のエネルギー体がいると感じました。玉石社は社がなく、鳥居の木柵の向こう側が木々の間に白い玉石が敷かれた敷地になっていました。

私は玉石社に光の柱を降ろしました。「ここは私が守るから、お前たちは立ち去れ」と伴侶が言いました。闇のエネルギー体が姿を現したのです。大国主命に成りすました闇の存在は、光であぶりだされたのです。「私たちはこの地を開きに来ました。あなたも分かっているでしょう」と私は伝えました。

「お前などの分際で、この私に話ができると思っているのか」と傲慢極まりない口調で、闇の存在は言いました。「あなたの闇としての役目は終わりです。自分の意志で光に還ってください」と私は言いました。「私は神だ。いいから立ち去れ」と闇はしぶとく言い張りました。エゴの塊のような闇のエネルギー体でした。

「あなたはどのような神ですか。あなたは愛や光とは反対な存在で・・・」と言いかけた途端、虹の龍神が発動して、闇のエネルギー体に虹の光を当てて、強制送還しました。これまで出会った闇のエネルギー体の中でも、傲慢さとエゴの大きさは屈指の存在でした。その後、玉置山全体に大きな光を降ろしました。

「黒龍や沢山の龍神たちが解放された。円山から来た若い龍神たちも放たれた」と伴侶が教えてくれました。私たちはホッとした気持ちになりました。玉置山が開かれて本来の姿になり、光が広がって行くことを願いながら、私たちは玉置神社を後にして、熊野本宮大社に向かいました。

【関連記事】
三重 伊雑宮 〜巡礼の旅(67)〜
宮崎 都農神社 〜巡礼の旅(70)〜
神戸 六甲阪神稲荷大神 〜巡礼の旅(82)〜
posted by 地球の子 at 09:30| 奈良県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする