2014年12月15日

奈良 飛鳥寺 〜巡礼の旅(139)〜

飛鳥寺の蘇我入鹿の墓にて、蘇我入鹿のエネルギー体と対話して光に誘い、石舞台(いしぶたい)古墳、都塚(みやこづか)古墳を訪れて光を降ろして、古墳が闇のアンテナであり、闇の楔(くさび)として役割があると感じた奈良・明日香村での巡礼の旅

9月12日(金)、吉野山の金峯山寺の解除を終えて、明日香の飛鳥寺に向かいました。30分程車で走って飛鳥寺の駐車場に着きました。飛鳥寺は奈良県高市郡明日香村にある寺院で、現在は真言宗豊山派の寺院となっています。飛鳥寺は、蘇我氏の氏寺であり、日本最古の本格的寺院でもある法興寺の後身であるとされています。

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本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来であり、開基(創立者)は蘇我馬子といいます。蘇我氏は、古墳時代から飛鳥時代(6-7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣(おおおみ)を出していた有力豪族です。車から降りて、拝観料を支払って、飛鳥寺の境内に入りました。御堂の中は、修学旅行の生徒たちや観光客で混雑していました。

御堂の前で、この地を開きに来た旨を伝えました。私たちは境内の外にある蘇我入鹿の首塚に移動しました。首塚の石塔に近づくと、「エネルギー体がいる」と伴侶が教えてくれました。蘇我入鹿のエネルギー体でした。「私たちはこの地、明日香村と飛鳥寺を開きに来ました。どうぞ安らかに光の世界へ還ってください」と伝えました。

「私も黒いことをしてきた。大陸の人たちと上手くやろうとしたが、向こうの方が勝っていた」と蘇我入鹿が伴侶を通じて伝えて来ました。蘇我入鹿の言う「向こう」とは、中臣鎌足(藤原鎌足)のことです。中臣鎌足は藤原不比等の父親です。蘇我入鹿は、大化の改新の時、中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足らによって暗殺されました。

大化の改新によって、天皇の宮(首都)を飛鳥から難波宮に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされます。飛鳥時代の日本は既に暗闇のトンネルに入っていましたが、大化の改新を境にして、本格的な闇の時代へ突入したと言えます。大きな闇の役割である藤原不比等が政治の中枢で活動するための土壌を作ったのです。

「大変な時代に生き、お疲れ様でした。全ての思いを手放して安らかに天に昇ってください」と蘇我入鹿のエネルギー体に伝えて、光の柱を降ろしました。蘇我入鹿は昇天して行きました。「奈良には闇の柱が3本降ろされた」と伴侶が伝えて来ました。纏向(まきむく)、吉野、明日香の三箇所だと感じました。

私は明日香村全体に、この土地が全て開かれて本来の姿になるよう祈りながら、大きな光の柱を降ろしました。「若い龍神たちが出て行った」と伴侶が言いました。円山から伴侶と一緒に来た若い龍神たちが放たれたのです。大国主命が明日香村の山の方に移動していったといいます。飛鳥寺を後にして、石舞台古墳に向かいました。

7分程、車で移動して、石舞台古墳の駐車場に到着しました。石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳です。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたといいますが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しており、埋葬者としては蘇我馬子が有力視されています。

車を降りて、受付で拝観料を支払って、石舞台古墳の現場に歩いて移動しました。石舞台古墳は巨石が積まれた石室の形になっていました。約30の石が積まれ、その総重量は2,300トンに達すると推定されているそうです。私たちは石舞台古墳の周囲を散策しました。「闇のアンテナとしての役割があった」と伴侶が伝えて来ました。

「闇の柱を降ろし、闇の楔(くさび)を打つために古墳を作った」と私は直観しました。神社や寺院が出来る前、古墳は土地を封じて光が広がるのを抑えるためのものだと感じました。私は石舞台古墳全体に光の柱を降ろしました。石舞台古墳の解除を終えて、私たちは都塚古墳に向かいました。

車で5分程走って、現地に着きました。都塚古墳は、奈良県高市郡明日香村にある方墳だといいます。「金鳥塚(きんちょうづか)」とも呼ばれ、代表的な後期古墳と言われており、発掘調査の結果、日本では全国でも例を見ないピラミッド状の古墳であることが確認されました。車を道端に停めて、都塚古墳に歩いて移動しました。

発掘作業をしている人たちが何人か居ました。こじんまりとした古墳の感じでしたが、石棺が柵の向こうに見えました。ここも闇の楔としての古墳だと感じました。ピラミッドの形状をしているのは、エジプトを含めた世界各地のピラミッドと共通しているのでしょう。光を隠す、光を抑えるためのピラミッドであると感じます。

都塚古墳の場所が本来の姿になるよう、大きな光の柱を降ろしました。3日間に渡る奈良・和歌山の巡礼の旅を無事に終えることができました。藤原不比等、弘法大師という大きな闇の役割の御魂が光に還り、闇の拠点としての奈良の地に光を降ろしました。奈良と和歌山の地が本来の姿になり、光の拠点となることを祈りながら、家路につきました。

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posted by 地球の子 at 16:30| 奈良県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする