2015年02月14日

広島 広島城址公園 〜巡礼の旅(166)〜

光を降ろした岩屋山で闇の宇宙存在と対峙し、広島城址公園の中国軍管区司令部原爆慰霊碑にて、光の柱を降ろして戦没者の御魂を光に誘った、広島巡礼の旅

昨年11月17日(日)、広島巡礼の旅の一環として尾道市の岩屋山を訪れました。当日、午前10時頃、広島空港のレンタカー店から車を借りて、40分程車を走らせて岩屋山の駐車場に着きました。岩屋山は広島県尾道市向東町ある標高102mの山で、山頂付近には巨大な磐座などの巨石群が点在していることで知られています。

hiroshimajyoshi_convert_20150213201015.jpg

車を降りて山道を登って行きました。所々には石仏も祀られていて、エネルギー体たちに役目を終えてついてくるように伝えました。山のあちこちに巨石があり、頂上付近の巨石の下には祠が祀られていました。事前調査の段階から岩屋山はポータルの山だと感じていました。巨石がある山はポータルの山の特徴です。

こうした重要な山は、昔の僧侶や修験者によって封印されているのは、これまでの経験から分かっていました。頂上の薬師堂の側で、封印を解除するために光の柱を降ろしました。「エネルギー体が昇天して行って、山が開かれた」と伴侶が教えてくれました。円山原始林で会った地底世界のオロさんの姿も見えたといいます。

突然、「宇宙船が見える。グレーの宇宙人たちから助けると伝えられた」と伴侶が言って来ました。「誰を助けるのか」と尋ねると、「人類を導く」と伝えて来ました。巡礼の旅では初めてのことでした。私は直観的に「おかしい」と思いました。山が開いて、自由に出入りできるのに、「人類を助ける」と言ってくるのはおかしなことでした。

闇の役割の宇宙存在であり、言葉巧みに人間を騙す語り言葉だと感じました。「あなたたちの助けは要りません」と私は拒絶しました。伴侶の合図とともに再び光を降ろすと、彼らは撤退して行きました。当日の巡礼の旅は無事に終え、ホテルへの帰路につきました。

翌日の11月18日(月)、広島城址公園を訪れました。当日、午前9時半頃、ホテルを出発し、20分程歩いて広島城址公園に着きました。広島城址は広島県広島市中区基町にある、毛利輝元によって築城された日本の城の跡です。広島城は名古屋城、岡山城と共に日本三大平城とも言われています。

また、広島城は、近代において軍都広島の中心施設でありました。日清戦争時に、本丸に大本営が置かれたという稀有な歴史を持っていといいます。道路から繋がる橋を渡って歩いていくと広島護国神社に着きました。鳥居をくぐって参道を進むと左手に中国軍管区司令部原爆慰霊碑がありました。

原爆慰霊碑の隣には、中国軍管区司令部の地下通信室の跡がありました。ここには半地下式の作戦司令室、通信室が設けられていました。昭和20年8月6日午前8時15分、原子爆弾の一閃により中国軍管区司令部は壊滅しました。当時、女学生が広島の壊滅を通信したのが、広島の原爆被災の第一報といわれています。

慰霊碑に近づいていくと鳥肌が立ってきました。慰霊碑の前で、肉体の命を失くして地上に留まっている御魂が光に還るよう意図しながら光の柱を降ろしました。「太陽と月の龍神たちが地下壕跡に入って浄化している」と伴侶が教えてくれました。私たちは、慰霊碑から護国神社を通って広島城跡の方に歩いて移動して行きました。

途中で、伴侶が「誰かがついてきている」と伝えて来ました。「どなたですか?」と私が尋ねると「戦没者の地位の高い方」と彼女は言いました。「どうしてついてきたのですか?」と聞くと「本当の光がありがたかった」とその方は答えました。「戦争の時代に生きてお疲れ様でした。どうぞ、安らかに光に還って次に行ってください」と伝えて光を降ろしました。

「天に昇って行った」と伴侶が教えてくれました。先人たちのおかげで、今の私たちがあることを忘れてはいけません。広島城本丸跡と広島大本営跡に移動して、広島城址公園全体に光の柱を降ろしました。私たちは、広島市の地が本来の姿になり、光の拠点となることを願いながら帰路につきました。

【関連記事】
沖縄 平和祈念公園 国立沖縄戦没者墓苑 〜巡礼の旅(1)〜
沖縄 ひめゆりの塔 〜巡礼の旅(2)〜
沖縄 白梅の塔 〜巡礼の旅(3)〜
posted by 地球の子 at 09:00| 広島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする