2014年12月7日(日)から12日(金)の期間で、福岡県、山口県、佐賀県、長崎県を訪れ、巡礼の旅を行って来ました。山口と北九州は近代日本の闇が深い場所であり、光を降ろす必要がありました。約1年半に渡る巡礼の旅もクライマックスを迎えており、重要ポイントが多くある九州の地が最期の訪問場所になっていると感じていました。

12月7日(日)、午前10時半頃、福岡空港近くのレンタカー店で車を借りて、元寇神社に向かいました。元寇を含めて、多くの人たちが海で亡くなっているので、犠牲者の御魂をあげるために、博多湾に光を降ろす必要があると感じていました。約30分、車で走って元寇神社の近くに来ましたが、駐車スペースがないために愛宕浜中央公園に移動しました。
愛宕浜中央公園は、福岡県福岡市西区愛宕浜にある百道の海岸沿いの大きな近隣公園です。駐車場に車を停めて、海辺に歩いて移動しました。元寇や海での戦で犠牲になった御魂が光に還るよう意図して、博多湾全体に光を降ろしました。「そうゆうことだけやってろと誰かが伝えてきた」と伴侶が教えてくれました。
語り手は闇のエネルギー体でした。北九州の地で決着をつける時が近づいていると感じていました。愛宕浜中央公園を後にして、崇福寺に向かいました。崇福寺は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗大徳寺派の寺院です。崇福寺には、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の主人公である黒田官兵衛の墓所がある、慰霊のために訪れました。
黒田官兵衛は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将です。豊臣秀吉の軍師(参謀)として活躍し、戦国の三英傑に重用され筑前福岡藩祖となりました。20分程、車で移動して崇福寺の駐車場に着きました。車から降りて、境内を観察しながら散策して行きました。かなり深い闇だと感じました。
境内に入って左手に稲荷があり、多数の石仏が並んでいました。役目を終えて光に還るよう伝えて、光の柱を降ろしました。地蔵堂でも解除の宣言して光を降ろしました。奥には墓地があり、その先に黒田家の巨大な墓石が並んでいました。その中に官兵衛の墓がありました。大河ドラマでその名が知られ、訪問者が多くいました。
しかし、ここでも平将門首塚と同じ光景がありました。手を合わせて祈るのではなく、写真を撮っているのです。ブームだから来ているとしか感じませんでした。私は墓所の前で、慰霊に来た旨とやすらかに光に還るよう伝えました。そして、少し離れた所から黒田家の人々と官兵衛の御魂が光に還るよう意図して光を降ろしました。
官兵衛のエネルギー体は、「ありがとう」と伴侶を通じて伝えて来ました。「別の時代に生まれたかったと言っている」と伴侶が教えてくれました。人の命を奪い合う戦国の世の大変さが伝わって来ました。「ドラマの主人公になって注目を浴びるようになった。心地よいものではない。滑稽だ」と官兵衛は言ってきました。
テレビで注目を浴びた途端に、手厚くされるようになった感じがしました。自らが大きな看板となって、ブームに乗った多くの人々を集めていることを本意に思っていない感じでした。境内の中に官兵衛まんじゅうの新しい店が建っているのにも驚きました。人間が大切なものを忘れるとどうなるのか再認識させられる機会でした。
私は、再度、黒田官兵衛と黒田家の人々の御魂が昇天するよう光を降ろしました。崇福寺での解除を終えて、太宰府天満宮に向かいました。約30分、車で移動して現地の近くの駐車場に到着しました。太宰府天満宮は、福岡県太宰府市にある神社で、祭神は菅原道真といいます。駐車場から徒歩で境内に歩いて行きました。
境内は参拝客で混雑していました。拝殿の中には色々なお店があり、行列になっていました。境内を注意深く散策していくと、拝殿後ろの夫婦楠が気になりました。夫婦楠の前には境内社の社殿が並んでいて、龍神が封印されていると感じました。拝殿右手の山に登って、そこから夫婦楠に光の柱を降ろしました。
「白龍が出てきた」と伴侶が教えてくれました。白龍が解放されたからには、黒龍がこの山に封じられていると感じました。封じるために、山裾にも多くの境内社が並んでいました。私は、山に向かって、全てが解放されるよう意図して光の柱を降ろしました。「まだ足りない」と伴侶が伝えて来たので、再度、黒龍の封印解除を意図して光を降ろしました。
「黒龍が解放された」と伴侶が伝えて来ました。「闇のエネルギー体がやめろ〜と言ってきたけど、光の柱と虹の龍神によって消滅した。何も話す時間がなかったみたい」と彼女が教えてくれました。山から下りて、樹齢3000年の大楠の神木の所に移動しました。かなりの老木で、人間の手で倒れないように補強されていました。
朽ちかけた根元の空間をコンクリートで固められているのが非常に痛々しい感じでした。「本当はもう逝きたいと伝えて来ている」と伴侶が教えてくれました。もう、寿命を迎えている老木を人間が無理やり生き延ばしているようでした。私は癒しの思いを込めて、大楠の神木に光を降ろしました。太宰府天満宮の地が、本来の姿になるよう祈りながらホテルへの帰路につきました。
【関連記事】
○京都 晴明神社 〜巡礼の旅(41)〜
○京都 豊国廟 〜巡礼の旅(160)〜
○広島 葦嶽山 〜巡礼の旅(167)〜