2015年03月22日

山口 秋吉台 長者ヶ森 〜巡礼の旅(181)〜

壇の浦古戦場址にて、源平合戦、下関戦争で亡くなった御魂が光に還り、源平の大元の日本の2大勢力のカルマの闇が解消されるよう意図して光を降ろし、秋吉台・長者ヶ森にて地球の女神が解放され、松陰神社にて吉田松陰からの新しい日本の幕開けのメッセージに気づいた、山口巡礼の旅

12月10日(水)、彦島の清盛塚を後にして壇の浦古戦場址に向かいました。約20分、車で移動して現地に到着しました。壇の浦古戦場址は、山口県下関市の「みもすそ川公園」の中にありました。国道9号と関門海峡に挟まれて立地し、源平合戦の最後の舞台・壇ノ浦に面しており、幕末の下関戦争時の長州藩の砲台跡でもありました。

chojyagamori_convert_20150224000835.jpg

駐車場に車を停車して、道路を渡って公園に移りました。長州砲のレプリカ、壇ノ浦古戦場址碑、安徳帝御入水之処碑、源義経と平知盛像などが置かれていました。公園の左端に移動して、最初に源平の合戦で亡くなった平氏と源氏の武将たちの魂が光に還るよう意図して光の柱を降ろしました。

次に、幕末の時の下関戦争など外国との戦いなどで亡くなった長州の人たちなどの魂が昇天することを意図して光の柱を降ろしました。最後に、源平のカルマの大元の闇に光が入るよう祈りながら大きな光を降ろしました。「昇って行った」と伴侶が教えてくれました。太陽の光と宇宙のサポートを受けて手のひらがとても熱くなっていました。

この下関の海は、日本を分断する2大勢力が対立するカルマの闇のために、幾たびも戦いが起こったと感じます。そこに光を降ろすことで、分断された2つが統合されて本来の姿になることを祈りながら壇の浦古戦場址を後にしました。私たちは秋吉台にある長者ヶ森に向かいました。約1時間、車を走らせて、長者ヶ森駐車場に着きました。

秋吉台は山口県美祢市の中・東部に広がる日本最大のカルスト台地です。地表には無数の石灰岩柱とともに多数のドリーネ(擂鉢穴)を有するカッレンフェルトが発達し、地下には秋芳洞、大正洞、景清穴、中尾洞など、400を超える鍾乳洞があります。車を降りて、長者ヶ森に徒歩で移動しました。

11月のヒプノセラピーの中で、「日本列島は、北九州と下関付近から、光と闇とに分かれたように2つに分断されている」と伝えられ、「秋吉台」という地名が出て来ました。この時、私は秋吉台・長者ヶ森を訪れる必要があり、何かが封印されていると感じました。秋吉台・長者ヶ森には、2年前に一度訪れていました。

長者ヶ森は、秋吉台の中にあるひときわ目立つ大きな森です。この森は鳶の巣集落の「杜さま」として守られていたといいます。かつては一切の木を動かしてはならない神聖な場所だったと伝えられています。長者ヶ森に近づくと女神が封じられていると感じました。壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落ち武者などの説明がありましたが、すり替えられている感じがしました。

円形の森の中に入ると、石が積まれた丘に祠が祀られたいました。私は長者ヶ森の祠の前で、この地を開きに来た旨を宣言しました。「ガガアルの闇の宇宙存在たちは撤退したけど、闇の人間の息がかかっている。それも一番トップのボスがここを封じている」と伴侶が伝えて来ました。まず、私は祠の前で、長者ヶ森全体が開けれるよう意図して光を降ろしました。

「薄い青色の光の女神様が出てきた。地球の女神を感じる」と伴侶が教えてくれました。「この秋吉台と地球の裏側まで光が通った」と伴侶が続けて言いました。次に、闇の人間のボスを意図して光を降ろしました。「解放の人が発動した」と伴侶が伝えて来ました。解放の人は、背中に大きな鎌を担いだ黒マント姿で、源から派遣された光の存在です。

最後に、秋吉台全体が開かれるよう意図して光を降ろしました。「封印されていた存在たちが解放された」と伴侶が教えてくれました。秋吉台・長者ヶ森での解除を終えて、私たちは萩市の松陰神社に向かいました。1時間程、車で移動して、現地に到着しました。松陰神社は、山口県萩市椿東にある神社で、祭神は吉田松陰といいます。

吉田松陰は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家であり、一般的に明治維新の精神的指導者として知られています。車を降りて、境内を散策して行きました。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台である松下村塾跡もありました。松下村塾は、幕末に吉田松陰が講義した私塾です。

さらに奥に進むと社殿のある境内に着きました。社殿右側で、全てが開かれるよう意図して光を降ろしました。「松陰さんがメッセージを送ったと言っている」と伴侶が伝えて来ました。「東京の松陰神社の解除の時に、松陰さんがサポートについたのかもしれない」と続けました。松下村塾の門下生の御魂が光に還るよう意図して光を降ろしました。

そして、萩の地が開かれるよう意図して光の柱を降ろしました。解除を終えて、車に戻る時に、吉田松陰さんが伝えたというメッセージに気づきました。それは、幕末、明治維新に活躍した人たちや志士たちの御魂をあげることをしていた時に伴侶が受け取ったものでした。

『君たちに志があるか 熱い思いがあるか 命をかけて貫きたいことがあるか 

この国の行く末を真剣に考えて欲しい この国の未来は君たちが創るのだ 誰かではない

君たち一人一人なのだ 君たち一人一人が決めるのだ その決意が無いものは上に立ってはいけない 

いやもはや 立てないだろう まがいものの世は終焉を迎えているのだ 

新しい日本の幕開けが近づいている 龍の魂を引き継ぐ者たちよ どうか志をもって熱く生きて欲しい 

あきらめず真剣に生きて欲しい 新しく生まれ変わる日本の姿を共に描こう』

日本が闇の時代から光の時代に変わる時、人々は何を大切にしたら良いのかを伝えています。日本の国をより良くしようという志を持った人たちが目覚めて、動き出す時が来ていると感じます。私たちは、山口の地が本来の姿になり、日本全体に光が広がることを祈りながら帰路につきました。

【関連記事】
東京 松陰神社 〜巡礼の旅(174)〜
藤沢 白旗神社 〜巡礼の旅(157)〜
福島 鶴ヶ城 〜巡礼の旅(54)〜
posted by 地球の子 at 12:50| 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする