2015年04月09日

奈良 太安万侶の墓 〜巡礼の旅(190)〜

太安万侶(おおのやすまろ)の墓にて、光を降ろして太安万侶の御魂が仲間と一緒に光に還り、竹林寺の行基の墓前にて、光を降ろして行基の御魂が昇天し、竹林寺古墳から縄文の女神が解放された、奈良巡礼の旅

1月18日(日)、私たちは唐招提寺での解除を終えて、太安万侶の墓に向かいました。太安万侶の墓への訪問はきっかけがありました。昨年11月、岡山巡礼の旅の際、ホテルに宿泊した夜、「枕元に誰かが立っていた」と伴侶が言いました。私は直感的に、太安万侶だと思いました。闇の役割としての日本書記を編纂した藤原不比等も光に還りました。

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古事記を編纂した太安万侶も還る時に来ていると感じていました。約30分、車を走らせて、現地近くの駐車場に着きました。太安万侶の墓は、奈良県奈良市此瀬町にある茶畑の中にありました。車を停めて、案内板に従って茶畑の中にある急こう配の坂を登って行きました。5分程歩いて、「史跡 太安万侶の墓」と記された石碑に着きました。

一面の茶畑が見渡せる高台にありました。円形の石垣が作られてその前に石碑がありました。「この地を開きに来ました。どうぞ安らかに光の世界に還ってください」と墓前で伝えて、光の柱を降ろしました。「よく来てくれた。待っていた」と伴侶が言いました。太安万侶のエネルギー体でした。

「この地は良いところだ。私も好きだ。君も分かっているだろう。私は楽しかった。女の人が言ったことを記した。みんなでやった。正しいものとしてやってきた」と太安万侶のエネルギー体は伴侶を通じて伝えて来ました。「私たちは歴史で習っていますが、女の人とは稗田阿礼さんですか?」と尋ねました。

「うん、まあ〜。女の人だ」と答えて来ました。太安万侶のエネルギー体ははっきりとは言いませんでしたが、稗田阿礼とは創作された人物だと感じました。太安万侶は、仲間の人たちと一緒に、女性がチャネリングした内容を紙に記していったのです。女性がつながった先は、藤原不比等と同じ闇の宇宙存在である闇の帝王だと感じました。

「他にお仲間の方はいらっしゃいますか?」と私が尋ねると「どうしてだ」と太安万侶は答えました。「光を降ろして昇ってもらうためです」と私は伝えました。「私が一緒に連れて行く」と太安万侶が答えました。「どうぞ、仲間の皆さんと一緒に天に昇ってください」と言いながら、光を降ろしました。「昇天していった」と伴侶が教えてくれました。

太安万侶の墓を後にして、私たちは竹林寺に向かいました。約30分、車で移動して、現地の駐車場に着きました。竹林寺は、奈良県生駒市有里町にある律宗の寺院で、奈良時代の僧・行基の墓があります。佐賀県の竹崎城址展望台を訪れた時に、「日本の土地が開かれる」と伝えて来たのが行基であり、行基の御魂をあげる必要があると感じていました。

車から降りて、石段の参道を登って行きました。本堂の右手に行基の墓はありました。私は墓前に移動して、「今日、この地を開きに来ました。どうぞ安らかに天に還ってください」と伝えました。「行基さんは分かっている。九州で私たちのやってきたことを見ていた。日本の土地が開かれると言ってきた人は行基さん」と伴侶が伝えて来ました。

私が光の柱を降ろすと、ビューっと風が吹きました。「昇天して行った」と伴侶が教えてくれました。竹林寺の本堂と境内全体にも光を降ろしました。車に戻る途中に、左手に「竹林寺古墳」と記された案内板がありました。何か封印されていると感じ、古墳が開かれるよう意図して、光の柱を降ろしました。

「うす水色の美しい女神様が出てきた」と伴侶が教えてくれました。縄文の女神が解放されたのです。「大国主さんと一緒にどこかに行った」と伴侶が伝えて来ました。やはり古墳は、神社仏閣と同様に封じる役目があると分かり、鹿児島での封印解除の前触れでした。私たちは竹林寺での解除を終えて、宿泊先のホテルへの帰路につきました。

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posted by 地球の子 at 16:00| 奈良県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする