2015年04月21日

鹿児島 熊襲の穴 〜巡礼の旅(196)〜

「この地は天と繋がる場所。真実を伝えて欲しい」と熊襲と呼ばれる九州の先住民の長からメッセージを伝えられ、先住民の人たちの魂が光の柱に沿って、天に昇って行った、熊襲の穴での浄化と解除

1月22日(木)、鹿児島神宮の解除を終えて、熊襲(クマソ)の穴に向かいました。約30分、車を走らせて現地の駐車場に着きました。熊襲の穴は、鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にあり、妙見温泉街の中にありました。熊襲の首領である川上タケルが日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に殺された場所だと神話では伝えられています。

kumasonoana_convert_20150421223322.jpg

古代の南九州にはクマソと呼ばれる人々が住んでいました。クマソは熊のように猛々しく、勇ましい人々であったといわれ、古事記では「熊曽」、日本書紀では「熊襲」と書かれています。熊襲の穴はクマソ族の首領の川上タケルが住んでいたところで、女装した日本武尊に殺されたと伝えられています。

計画段階からこの場所は、神話ですり替えられた場所だと感じていました。「熊襲」という言葉自体に差別の意図があり、九州の先住民の人たちを蔑視するものだと思っていました。神話は勧善懲悪をベースとして、支配を広げようとする朝廷は正義の味方、抵抗する先住民の人たちは非道の悪者という構図で創られています。

熊襲の穴は、200メートルほど登った山腹にありました。駐車場に車を停めて、山道を登ろうとした時、熊襲の穴に行ってきたばかりの男性に話しかけられました。「バックや上着を置いて行った方がいい」など、執拗なアドバイスを伴侶が受けていました。私は、「何かの邪魔が入っている」と感じていました。

長い階段を昇って、ようやく熊襲の穴に着きました。そこは、洞窟になっていました。清浄な空気を感じて、熊襲の人たちにとっての神聖な場所だと感じました。「この地を開きに来ました」と宣言をして、本来の姿になるよう意図して、光の柱を降ろしました。「真実を伝えて欲しいと誰かが言って来た」と伴侶が教えてくれました。

メッセージを伝えて来たのは、先住民の長のようだといいます。「真実とは何ですか」と私が聞くと、「あなたが感じてきたことを伝えて欲しい」と言いました。熊襲の穴の案内板に記された内容は真実ではないといいます。「この地は天と繋がる場所」と長が伝えて来ました。感謝と祈りを捧げる祭祀場であったのでしょう。

沢山の魂たちがこの地にと留まっていると聞き、全ての御魂が光に還るよう祈りながら光を降ろしました。「みんな昇って行っている」と伴侶が伝えて来ました。熊襲の穴は、光の拠点であるが故に、封印する必要がありました。そのために、神話をつくり、真実を隠したのです。闇の原点は光を封じることであり、真実を隠すことです。

光を隠すことで、闇のつくられ、広がります。九州の先住民の熊襲の人たちに限らず、北海道の先住民のアイヌ民族や東北地方の先住民の蝦夷(エミシ)の人たちも同じように歴史を作られて来ました。神話で上塗りされて、真実が隠されました。だからこそ、闇の時代になったのです。

光を知るためには闇を知る必要があります。大きな光になるためには、深い闇を経験しなければなりません。全ては私たちの魂の成長のための闇の時代です。しかし、今はもう、闇の時代が終わり、光の時代に移行しています。多くの人々が真実に気づき、光が広がる時が来ています。

熊襲と呼ばれる九州の先住民の長は、その真実を多くの人たちに知ることを望んでいるから、メッセージを伝えて来たと感じます。日本の人たちは、真実を知り、小さな箱から広い世界に出る時に来ています。私たちは、熊襲の穴での解除を終えて、可愛山稜(えのやまのみささぎ)に向かいました。

【関連記事】
岩手 達谷窟毘沙門堂 高館義経堂 〜巡礼の旅(13)〜
北海道十勝 チョマトー 〜巡礼の旅(142)〜
北海道 シャクシャイン記念館 〜巡礼の旅(153)〜
posted by 地球の子 at 22:44| 鹿児島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする