2015年05月31日

千葉 阿久留王塚 〜巡礼の旅(213)〜

阿久留王塚(あくるおうづか)にて光を降ろしても何も変化がなく、阿久留王や日本武尊(やまとたけるのみこと)が創造物であると感じ、鋸山(のこぎりやま)山頂にて光を降ろし、光が出てきてポータルが開いた、房総半島巡礼の旅

4月14日(火)、白鳥神社での解除を終えて、私たちは、 阿久留王塚に向かいました。上総国(かずさのくに)には、日本武尊が東征の際訪れ、先住民の豪族の阿久留王と戦い征伐したという伝説があります。阿久留王塚には阿久留王の胴体が葬られたといわれています。約10分、車で移動して現地に到着しました。

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計画段階で、先住民の豪族という阿久留王は架空の人物であると感じていました。日本武尊の東国遠征の神話自体が創作されたものであり、ヤマト王権が領地拡大のために地方の先住民を制圧していったことを正当化するための神話だと推定していました。岩手県の達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやびしゃもんどう)の話と同じでした。

達谷窟毘沙門堂は、蝦夷のアテルイが籠った場所だと伝えられていました。アテルイは、「分かって欲しい」と伝えて来たのです。東北地方の先住民・蝦夷の人たちが坂上田村麻呂の東征によって制圧された話の中に悪路王という名前が出て来ます。阿久留王は、悪路王と同じです。勧善懲悪のストーリーの中で、悪者を創りあげたのです。

ヤマト王権や中央政府が地方の先住民を制圧したのを正当化する話を作ったのです。ただ単に、地方を制圧したのではなく、縄文時代から続いて来た光の拠点を封印していったと感じています。封印したのは、日本武尊や坂上田村麻呂という架空の人物ではなく、実働部隊は渡来人たちだと感じていました。

車を道端に停めて、案内板に従って、森の中の道を歩いて行きました。阿久留王塚は、小さな築山の前に木の柵があり、祠が祀られていました。祠の前で、解除の宣言をして光を降ろしました。「何も変化はない」と伴侶が伝えて来ました。箱物でした。阿久留王の胴体を祀っているという場所でしたが、やはり創作もののようでした。

ヤマト王権が縄文の神や黒龍などの光を封印した真実を隠すために、日本武尊の神話として勧善懲悪の物語を創作したと感じました。阿久留王塚を後にして、鋸山ロープウェイに向かいました。35分程、車で走って、現地の駐車場に着きました。鋸山は、千葉県安房郡鋸南町と富津市の境に位置する標高329mの山です。

鋸山は凝灰岩から成り、建築などの資材として適しているため、古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われたといいます。その結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから鋸山と呼ばれるようになったそうです。車から降りて、貸切状態のロープウェイで山頂に移動しました。

鋸山山頂には、日本寺(にほんじ)の岸壁仏があり、鋸山を封じていると感じていました。ロープウェイを降りて、日本寺の方に歩いて行きました。日本寺は、千葉県安房郡鋸南町にある曹洞宗の寺院で、開山は行基といいます。日本寺の岸壁仏を回るのは1時間以上かかるので、途中の場所で光を降ろすことにしました。

鋸山が開かれるよう意図して光の柱を降ろしました。「開いた」と伴侶が教えてくれました。次に、鋸山に封印されている存在が解放されるよう意図して光を降ろしました。「光が出てきた。ここはポータル」と伴侶が伝えて来ました。奈良の竹林寺で光に還った行基が、鋸山を封じる役目をしていました。鋸山を後にして、沖ノ島に向かいました。

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posted by 地球の子 at 23:10| 千葉県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする