2015年06月13日

千葉 海南刀切神社 〜巡礼の旅(218)〜

海南刀切(なんかいなたぎり)神社にて闇が生まれる磐座に光を降ろして黒龍が解放され、下立松原神社で光を降ろして黒龍と2頭の龍神が解き放たれ、大福寺にて崖観音に光を降ろして、ポータルである船形山が開いて光が放たれた、南房総巡礼の旅

4月15日(水)、船越鉈切神社の解除を終えて、海南刀切神社に向かいました。当初の予定にはなかったのですが、気になったので立ち寄ることにしました。海南刀切神社は、船越鉈切神社の県道を挟んだ海側にありました。かつては両社はひとつの神社として信仰されていたといいます。車で1分程で現地の駐車場に着きました。

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海南刀切神社は館山市見物にある神社で、祭神は刀切大神(なたぎりおおかみ)といいます。小雨が降る中、車から降りて境内の中に歩いて行きました。社殿の右手に磐座と稲荷社、左手には磐座がありました。磐座の前には、古い石祠が祀られていて、明らかに封印している感じでした。磐座の前で、解除の宣言して、光の柱を降ろしました。

風が巻き上がり、龍神が解放されたと感じました。「黒龍が出てきた」と伴侶が教えてくれました。「この岩は闇が生まれる場所」と続けて言いました。磐座の表面をよく見ると甌穴があり、神居古潭や沖ノ島の岩と同じでした。館山の地には闇の湧く岩が2ヶ所もありました。本来、光の拠点であるがゆえに、闇で封じられていたのです。

社殿の両側にある磐座には言い伝えがありました。神様が船から上陸した時道を通すため手斧で割ったとか、人々を苦しめる大蛇を鎮めるため蛇の住みかである紫ノ池の水を抜こうとして、鉈で切ったといいます。いずれにしても、闇のエネルギーを生んでいた岩は光を降ろしたことで闇の役割は終わりました。

海南刀切神社の解除を終えて、下立松原神社に向かいました。下立松原神社は、千葉県南房総市にある神社で、祭神は天日鷲命(あめのひわしのかみ)、天太玉命、天富命(あめのとみのみこと)、伊弉諾命、伊弉册命といいます。天日鷲神は天太玉命に従う四柱の神のうちの1柱だといいます。

天日鷲神は、阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波忌部氏の祖神とされます。下立松原神社も、忌部氏に所縁のある神社でした。約30分、車で移動しました。細い道で途中で車を停めて、徒歩で現地に向かいました。5分程歩き、長い石段を登って社殿のある境内に到着しました。古い神社の雰囲気でした。

社殿の前で、この地を開きに来た旨を伝えて、境内全体に光を降ろしました。「2頭の龍神が解放された」と伴侶が伝えて来ました。下立松原神社の解除を終えて、車に戻る帰り道に背後の山全体に光を降ろしました。「黒龍が解放された」と伴侶が教えてくれました。車に乗って、最後の訪問場所である大福寺に向かいました。

約40、車を走らせて、現地の駐車場に着きました。大福寺は千葉県館山市船形にある真言宗智山派に属する寺院で、正式名は普門院船形山大福寺です。境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、本尊の十一面観世音菩薩は、船形山の崖の中腹にある祠に刻まれており、崖観音で知られています。

養老元年(717年)に行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。車から降りて、境内に歩いて行きました。この日は、あいにく修復工事中で崖観音は拝観できませんでした。

御堂の前で解除の宣言をして、船形山を含めて境内全体に光を降ろしました。「山から光が出て来た」と伴侶が教えてくれました。船形山は、鋸山と同様にポータルだと感じました。大福寺での解除を終えて、2日間の千葉巡礼の旅を無事に終了しました。南房総の地に光が広がるのを願いながら家路につきました。

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posted by 地球の子 at 18:20| 千葉県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする