5月20日(水)、午前9時頃、三宮駅近くのレンタカー店で車を借りて、大避神社に向かいました。約1時間半、車で走って現地の駐車場に着きました。大避神社は、兵庫県赤穂市坂越にある神社で、祭神は、大避大神(秦河勝)、天照皇大神、春日大神といいます。大避神社を選定したのは理由がありました。

これまでの巡礼の旅を通じて、光の時代の縄文時代を封印して、闇の時代を作って行ったのは、渡来人だと分かって来ました。日本を封じる渡来人の先駆けとして「徐福」があり、その末裔として「秦氏」がいました。徐福は稲作と稲荷神社を日本に持ち込みました。人間のエゴを強めて、エゴで土地を封印して暗闇を広めたのです。
秦氏と同様にキーパーソンとなるのが「忌部氏」です。古代朝廷の祭祀を担当して、神話に基づく神社を広めて行きました。日本全国に船で渡り、先住民や村人を制圧して、光の拠点を封じて行ったのです。徐福、秦氏、忌部氏は、日本を封印するための闇の役割を担っていました。船を巧みに操る渡来人に縁ある神社は船をお祀りしています。
大避神社は、秦河勝を祀る秦氏と縁が深い神社です。秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされています。秦河勝は秦氏の族長的人物であり、秦河勝の御魂を上げる必要があると感じて、大避神社を訪れました。大避神社の周辺は忠臣蔵を看板とした観光地でした。
観光駐車場に車を停めて、数分歩いて大避神社に到着しました。石段を登り、境内を散策して行きました。日本の神社というよりは大陸から影響を受けている感じがしました。社殿の中には、いくつかの船も祀られていました。社殿の前にて、この地を開きに来た旨を宣言して、大避神社が本来の姿になるよう意図して光の柱を降ろしました。
その後、背後の宝珠山が開かれるよう意図して光を降ろしました。「金色のものがあって光っている」と伴侶が伝えて来ました。「何か光の存在が封じられているのだろうか」と思いました。秦河勝の御魂をあげないと宝珠山は開かないと感じました。秦河勝の墓は大避神社の神域である生島にありました。
生島は禁足地であるので、遠隔で光を降ろすことにしました。生島が眺められる山門の所に移動して、生島の秦河勝の墓に光を降ろしました。「お前たち、覚悟はいいか」と伴侶が言いました。秦河勝からでした。「はい。そのためにここに来ました」と私は答えました。「もう、そういう時代になったのだな」と感慨深そうに秦河勝は言いました。
「あなたの役目は非常に重要だったことは分かっています。お疲れ様でした。どうぞやすらかに光に還ってください」と私は伝えました。「一門の者もつれて行く。お前の光を信じる」と秦河勝は言って来ました。秦河勝をはじめとする秦氏一族の御魂が昇るよう意図して光を降ろしました。「みんな昇って行った」と伴侶が教えてくれました。
「山から金色の玉が取れた。それが京都若狭湾を頭にしている大きな青龍の手に戻った」と彼女は続けて言いました。大きな青龍とは、慈覚大師が昇天する際に、教えてくれた、京都の地下にいる大きな青龍のことです。若狭湾の方を頭にして、京都府と兵庫県にまたがって地下に封じられている大きな青龍です。
地下に封印された大きな青龍が金色の玉を持って、光の金龍に変わるのかもしれないと私は直感しました。龍は玉があって初めて本来の役割を果たすことができます。秦氏は、光の金龍から金色の玉を分離して、闇の青龍として京都の地下に封印しました。そして、今、再び闇の青龍が光の金龍に戻る時に来たのです。
大きな青龍を封じていたポイントを解除し行き、最終的には、ゼロポイントの岡ノ山古墳を開くことが、光の金龍を解放することにつながるとも感じました。私たちは大避神社を後にして、闘龍灘に向かいました。
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