2015年07月22日

京都 広隆寺 〜巡礼の旅(228)〜

広隆寺・上宮王院太子殿にて、光の柱を降ろして、聖徳太子の闇のエネルギー体と対峙し、闇の宇宙存在であるアヌンナキの宇宙船が闇のエネルギー体を撤収していった、京都巡礼の旅

7月4日(土)、京都府にある秦氏関係の神社仏閣の解除をするための巡礼の旅を行いました。当日、午前9時頃に大阪伊丹空港に到着し、近くのレンタカー店で車を借りて、最初の目的地の笛吹神社に向かいました。笛吹神社は、京都府南丹市日吉町にある神社で、祭神は大山住命(おおやまずみのみこと)といいます。

kouryuji_convert_20150722224209.jpg

推古天皇の御代に秦氏の族長的人物である秦河勝が霊夢のお告げに従い、この地を訪れて欅(けやき)の大木を見つけ、それを伐採して筏で京都まで運び広隆寺を建造したと伝えられます。笛吹神社は秦氏がその礼にと、欅のあった場所に祠を建てたのが起源とされています。約1時間10分、車で走って、現地に到着しました。

車から降りて、鳥居をくぐりました。笛吹神社は、山間にある小さな神社でした。社殿の前で、解除の宣言をして、背後の山が開くことを意図して光を降ろしました。「ここと対の所があると誰かが伝えてきた」と伴侶が教えてくれました。今回、行く予定の秦氏関係の神社や寺院だと感じました。笛吹神社を後にして、広隆寺に向かいました。

約1時間、車で移動して、現地の駐車場に到着しました。広隆寺は、京都府京都市右京区太秦にある真言宗の寺院で、本尊は聖徳太子(上宮王院本尊)といいます。渡来人の氏族である秦氏の氏寺で、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院とされます。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺院です。

日本書記には、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを御本尊として建立したとあります。計画段階から広隆寺は渡来人である秦氏の闇を解除する重要なポイントだと感じていました。創作された聖徳太子の闇のエネルギー体がいる可能性があると予想していました。駐車場に車を停めて、境内に歩いて行きました。

古い時代の寺院である故に、物売りの売店もなく、比較的エゴが少ないと感じました。奈良の唐招提寺と同じような静寂な寺院で、参拝客もまばらでした。受付で拝観料を払って、新霊宝殿の中に入りました。国宝の弥勒菩薩や沢山の仏像が展示されていました。「みんなエネルギー体がいる」と伴侶が伝えて来ました。

仏像のエネルギー体たちに、光を降ろすのでついて来るように伝えると、私たちの後に付いて来ました。新霊宝殿を出て、上宮王院太子殿に移動しました。太子殿の前にて、この地を開きに来た旨を宣言して、光の柱を降ろしました。「私は王子だ。人々を守るためにいる。そなたは何のために来たのだ」と伴侶が言いました。

私は、聖徳太子のエネルギー体だと感じました。「あなたの役割は終わりです。私たちはそれを伝えに来ました。どうぞ自分の意志で還るべき所に還ってください」と伝える。「分からない。どういうことなのだ・・」と聖徳太子のエネルギー体が伝えて来ました。「アヌンナキが宇宙船で迎えに来ているからもう一度光を降ろして」と伴侶が伝えて来ました。

私は再度、光を降ろしました。「アヌンナキが連れて行った。仏像のエネルギー体たちも昇天していった」と伴侶が教えてくれました。アヌンナキは、闇の役割の宇宙存在です。藤原不比等が繋がっていた闇の帝王であり、徐福、秦氏、忌部氏、山丹人など日本を封じる闇の役割の渡来人たちをサポートしていました。

遠隔の解除を行って行く中で、渡来人たちの起源は、シュメールだと分かって来ました。シュメールは、チグリス川、ユーフラテス川があるメソポタミア文明が興った地域で、現在のイラク、クウェート南部を占めるバビロニアの南半分の場所です。シュメールは、今の闇の時代の大元だと感じています。

シュメールの社会は、六十進法という時間の概念、王や奴隷という階級制度などを導入した闇の社会の原型になっていました。アヌンナキは地球を暗闇にする役割でした。光の地球にアヌンナキによって闇の柱が降ろされ、シュメールを起源とする渡来人によって光の縄文時代が封印されたのです。

縄文時代の日本は、各地域に大きな光が点在していました。世界のどこよりも輝く光であった日本だからこそ、封じる必要があったのです。闇の帝王・アヌンナキは自分たちが作り出した闇のエネルギー体を撤収している感じでした。広隆寺の解除を終えて、私たちは大酒神社に向かいました。

【関連記事】
奈良 唐招提寺 〜巡礼の旅(189)〜
東京 増上寺 〜巡礼の旅(55)〜
福島 慧日寺 〜巡礼の旅(53)〜
posted by 地球の子 at 23:00| 京都府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする