2013年9月の沖縄訪問をスタートとして、各地の土地の封印解除や闇の解除を行う巡礼の旅は、1年半を過ぎた頃から新しい段階に入って来ました。現地に足を運ばずに、地図や画像を見て、遠隔で光を降ろす段階に入ったのです。日本の険しい山や深い森など足を踏み入れることが困難な場所にも光を降ろし始めるようになったのです。

6月15日(月)、夢の中で自分の両腕が出てきました。右腕は日本列島の房総半島であり、左腕は能登半島だと感じました。朝起きると、左腕の付け根の表面に痛みがあったので解除が必要だと感じました。解除する必要のある場所は、夢や体の痛みなど様々な方法で伝えられます。いずれにしても、自分の感覚と直感に素直に従うことが大事です。
左腕の付け根辺りは、石川県の能登半島の付け根であり、ネットで調べてみると気多大社がありました。まずは、気多大社から解除することにしました。気多大社は、石川県羽咋市にある能登国一宮としての神社で、祭神は大己貴命 (おおなむちのみこと:大国主命)です。大国主命が単独で祀られている神社は全国でも数少ないです。
静岡県の小國神社(おぐにじんじゃ)もそうです。広大な古代の森がある小國神社は、大国主命の拠点の一つでした。この気多大社にも、鎮守の森である「入らずの森」があり、大国主命の拠点だったと感じます。神社は、秦氏や忌部氏といった渡来人たちが作ったものです。本来の神を封印しながら、神を祀っていると謳う神社を作ったのです。
大国主命は、大国一族共々、海路を通じて南から北上する渡来人たちから逃れて、最期は北海道の円山で封印されたと感じています。日本海側の能登の地にある気多大社の「入らずの森」は、渡来人に光を封じられてすり替えられた場所だと感じました。気多大社を調べてみると、境内社に太玉神社がありました。
太玉神社は、忌部氏の祖神である天太玉命を祀る神社です。間違いなく忌部氏が関わった神社だと感じます。もう一つ、重要だと感じた境内社は、入らずの森の中にある素盞鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀る奥宮でした。入らずの森は禁足地になっています。太玉神社を意図して光を降ろしました。
「入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、入らずの森の中にある奥宮に光を降ろしました。「いいと思う。やっぱりここは、大国主さんの拠点だったみたい」と伴侶が教えてくれました。気多大社の境外社として、近くに大穴持像石神社 があり、霊石として祀られる地震石が気になりました。
画像を見ながら、意図して光を降ろしました。「白龍が出た」と伴侶が伝えて来ました。気多大社の西北にある眉丈山があることに気づきました。調べてみると、眉丈山の山中に雨宮古墳群がありました。古墳が眉丈山の光を封じる役目をしていると感じました。地図から光を降ろしました。
「山から光が出てきた」と伴侶が教えてくれました。私には、地下深く長いトンネルに光が入るビジョンが見えました。能登半島の中央部の気多大社の周辺は重要な場所でした。渡来人たちが制圧して拠点としていた場所だと感じました。能登半島、房総半島の付け根を結ぶライン上周辺にある古墳を本格的に解除していくことにしました。
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