佐賀県・金立神社を解除し金立山を開き、徐福と渡来人の御魂を上げた後、秦の始皇帝の御魂をあげる必要があると感じました。始皇帝は、中国戦国時代の秦王で、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げた最初の皇帝です。始皇帝も、徐福と同様に、シュメールを起源とする闇を広げる闇の役割の人だったと感じます。

中国統一という名の下に、人民を支配して国家という形態を作り、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者となりました。始皇帝は、従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制という官僚制度へ改革しました。国家単位での貨幣や計量単位の統一を行いました。
法による統治を敷き、人民の思想を統制する焚書坑儒を実行しました。万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設など巨大プロジェクトも実行し、多くの人民に犠牲を払わせました。秦の始皇帝の下で、強制労働を強いられて亡くなった人々の御魂をあげるために、万里の長城の画像を観て光を降ろしました。
「青龍が4頭、こっちに来た」と伴侶が伝えて来ました。青龍が光に還るよう意図して光を降ろしました。「昇天して行った」と伴侶が教えてくれました。始皇帝は、光を封印する青龍の使い手でもあったようです。次に、始皇帝の墓である秦の始皇帝陵の画像を観て、光を降ろしました。始皇帝のエネルギー体が伴侶の口を通じて伝えて来ました。
「私には力がある・・肉体をなくしてもまだ、力があるのだ・・・もう一度、生まれ変わると言ったのに・・裏切られた」と始皇帝は伝えて来た。私は、自らの意志で光に還るよう促したましたが、傲慢になったエゴの闇のエネルギー体に対しては無理でした。再度、光を降ろすと、虹の龍神が発動して、始皇帝のエネルギー体を光に強制送還しました。
翌日の5月9日(土)、「富士山をやった方がいい気がする」と伴侶が伝えて来たので、富士山に光を降ろしました。「光が入った。青龍がいたような感じがする。心臓がバクバクする」と伝えて来ました。次に、徐福が訪れたとされる太神社に移りました。太神社は、山梨県富士吉田市小明見にある神社で、祭神は天照大神、須佐之男命といいます。
太神社の画像を観て行くと、徐福祠と記される徐福の墓がありました。開かれるよう意図して光を降ろしました。「入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、津軽半島の権現崎に移りました。航空写真地図から権現崎を確認して光を降ろしました。「入らない」と伴侶が伝えて来ました。他に封じている場所があると感じて調べると稲荷山がありました。
航空写真地図を観て、稲荷山に光を降ろしました。「入ったと思うよ」と伴侶が教えてくれました。稲荷山の南にも稲荷神社があり、権現崎を両端で封印している感じでした。航空写真地図を観て、稲荷神社に光を降ろしました。「入った。ばっちり開いた。輝いている」と伴侶が伝えて来ました。「光のポイントみたい。心臓がバクバクする」と彼女は言いました。
権現崎は、光が放たれるポータルであり、徐福によって青龍で封じられていました。封印されていた権現崎が開かれました。次に、靄山(もややま)は、解除した稲荷山、稲荷神社の南方にあるピラミッドだと言われている標高152mの山です。画像を観て、靄山に光を降ろしました。「手ごたえがない」と伴侶が伝えて来ました。
山頂にある神社を解除しても同じでした。フェイクかもしれないと感じました。「岩木山と同じ山を作ったのだろう」と伴侶が伝えて来ました。いずれにしても、山梨県、青森県・津軽半島などの徐福が封じた地が開かれて、光が広がり、本来の姿になっていくことを願っています。
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