2015年12月17日

山形 瀧山神社 〜巡礼の旅(264)〜

「蔵王山を開くために、蔵王山を封じる役割の蔵王山神社、酢川(すかわ)温泉神社、瀧山(りゅうざん)神社、刈田嶺(かったみね)神社を解除して行った。慈覚大師(じかくだいし)の御魂をあげるために、比叡山慈覚大師霊廟に光を降ろした。京都に巨大な青龍が封印されていると伝えられた。」

5月11日(月)、東北にある蔵王山を解除することにしました。蔵王山の正式名は蔵王連峰です。蔵王連峰は、東北地方の中央を南北に連なる奥羽山脈において、宮城県と山形県の両県南部の県境に位置する連峰です。玄武岩、安山岩の成層火山群の活火山であり、常時観測対象の47火山に含まれています。

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蔵王連峰の主峰は山形県側に位置する熊野岳(1841m)です。古くからの名は刈田嶺、不忘山(わすれずのやま)といいます。蔵王の名称は、白鳳8年(679年)、大和国・吉野山から役小角が蔵王権現を現在の不忘山(宮城県側)に奉還し、周辺の奥羽山脈を修験道の修行の場としての「蔵王山」と称したことに由来します。

蔵王山を封じていると思われる神社を調べると、山形県に蔵王山神社、酢川温泉神社、瀧山(りゅうざん)神社、宮城県に刈田嶺神社がありました。順番に光を降ろして行くことにしました。蔵王山神社は、山形県山形市上宝沢の蔵王連峰主峰・熊野岳山頂にある神社で、祭神は須佐之男命といいます。

画像を観て、蔵王山神社に光を降ろしました。「光が入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、酢川温泉神社に移りました。酢川温泉神社は、山形市蔵王温泉にある神社で、大国主神、少名彦名神、須佐男神、迦遇土神(かぐつちのかみ)、大直日神(おおなおびのかみ)、神直日神(かんなおびのかみ)といいます。

航空写真地図で酢川温泉神社を確認して、光を降ろしました。「光が入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、瀧山神社に移りました。瀧山神社は酢川神社の奥宮で、瀧山(1362m)の山頂に祀られている神社です。画像を観て、瀧山神社に光を降ろしました。「光が入りにくい感じがする」と伴侶が伝えて来ました。

瀧山神社についてネットで調べて行くと、瀧山神社、瀧山寺があり、共に、慈覚大師が開基していることが分かりました。慈覚大師は、正式名を円仁といい、下野国(しもつけのくに:栃木県)生まれの天台宗の僧侶です。40代半ばで中国に渡り、帰国後は天台宗の座主となり、密教など持ち帰った新しい仏教を広めました。

慈覚大師が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされます。目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺、東京の浅草寺、長野の善光寺、日光の輪王寺などがあります。慈覚大師は、北日本の山や土地を封印する役割を持った人だと感じます。

慈覚大師の霊廟を探していくと比叡山にありました。比叡山慈覚大師霊廟の画像を観て、光を降ろしました。「待っていた。待って待って待っていた」と伴侶を通じて、慈覚大師が伝えて来ました。「遅くなってすみません。どうぞ一門の方々を連れて上がってください」と伝えて、再度、光を降ろしました。

「慈覚大師は昇って行った。京都の地下に大きな青龍がいる」と伴侶が言いました。慈覚大師が教えてくれたといいます。「若狭湾の方を頭にして京都全体に横たわっている大きな青龍」といいます。これが加古川沿いの兵庫県と京都府に跨る巨大龍の封印解除につながりました。瀧山神社に、再度、光を降ろしました。

「光が入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、刈田嶺神社の里宮と奥宮に移りました。刈田嶺神社・里宮は、蔵王連峰の宮城県側、刈田岳東麓の遠刈田温泉にある神社で、祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)といいます。刈田嶺神社・奥宮は、刈田岳の山頂にあります。

航空写真地図を観て、刈田嶺神社の里宮と奥宮に光を降ろしました。「入った」と伴侶が教えてくれました。蔵王山を封じている役割の神社の解除を終えて、蔵王山全体に光を降ろそうとしましたが、五色がつく名前である五色岳と五色沼(御釜)が気になりました。五色岳と火口湖である五色沼に光を降ろすことにしました。

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posted by 地球の子 at 14:13| 山形県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする