2015年8月11日(火)、安曇野の地で穂高古墳群を解除する必要があると感じました。穂高古墳群は、長野県安曇野市穂高にある古墳の集まりをいいます。 すべて円墳であるといいます。ほとんどが西山山麓に分布し、烏川や中房川の扇頂部にあり、安曇野市指定史跡となっています。有明古墳群と西穂高古墳群などに大別されます。

解除した魏石鬼窟(ぎしきのいわや)も有明古墳群に入ります。航空写真地図から穂高古墳群を確認して、光を降ろしました。「光が入りました」と伴侶が伝えて来ました。次に、安曇氏の発祥地である福岡の志賀海神社の摂社を解除していくことにしました。志賀海神社は2013年12月の巡礼の旅の中で、現地で解除しました。
志賀海神社は、福岡県福岡市東区志賀島にある神社で、祭神は、表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)、仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)といいます。全国の綿津見神社、海神社の総本社を称されます。古代氏族である安曇氏ゆかり地として知られています。
ワタツミ三神は記紀においては安曇氏の祖神または奉斎神とされています。安曇氏の読み「アズミ/アヅミ」もまた「アマツミ(海津見)」の略とも見られるように、この神を奉斎する安曇氏は海人集団を管掌する伴造氏族であったといいます。ワタツミ以外の主な海の神としては、スミヨシとムナカタがあります。
スミヨシは住吉三神であり、住吉族が奉斎し、ムナカタは宗像三女神であり、宗像族が奉斎したことが知られています。九州北部にはそれぞれを祀る住吉神社と宗像大社があります。志賀海神社・摂社は、沖津宮(おきつぐう) から始めました。沖津宮は、福岡市東区勝馬にある神社です。画像を観ると、海岸沿いにある古墳のようにも見えました。
出雲の稲佐の浜と同じような感じでした。航空写真地図を観て、光を降ろしました。「良く分からない」と伴侶が伝えて来ました。今度は、沖津宮の画像を観て、再度、光を降ろしました。「誰か上に昇って行った。本家の安曇氏の親方だと思う」と伴侶が教えてくれました。次に、仲津宮(なかつぐう)に移りました。
仲津宮は、福岡市東区勝馬にあり、沖津宮の手前にある神社でした。航空写真地図で仲津宮を確認して、光を降ろしました。「開いたと思う。何人か昇って行った」と伴侶が伝えてくれました。次に、弘天神社(ひろてんじんじゃ) に移りました。弘天神社は、福岡市東区弘にある神社です。航空写真地図から見ると古墳のようでした。
光を降ろしました。「光は入ったと思う。ここは古墳だよ」と伴侶が伝えて来ました。次に、大嶽神社(おおたけじんじゃ) に移りました。大嶽神社は、福岡市東区大岳にある神社です。画像を見ると、稲荷社があり、磐座もあることから大事な場所だと感じました。大嶽神社の画像を見て、開かれるよう意図して光を降ろしました。
「海坊主みたいな縄文の神様が出て来た」と伴侶が教えてくれました。志賀海神社・摂社の解除を終えました。安曇氏は海人集団をまとめる役割があったと感じます。住吉族、宗像族も九州を拠点にしていたことから、南から北上して日本を封じて行ったと感じます。安曇氏が封じた場所は、開かれて福岡の地に光が広がることを願っています。
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