2016年03月10日

茨城 筑波山 〜巡礼の旅(279)〜

「筑波山の男体山と女体山を解除して行った。女体山に光を降ろすと、空洞の中に大きな足が見えて、封印されている光の存在の足だと感じた。筑波山の近くの富士山に光を降ろすと、煌びやかな服装をした渡来人のエネルギー体が3人現れ、対峙した。我々の役割だと言い張り、虹の龍神の光で強制送還された。」

筑波山の解除の3日目、筑波山大御堂(おおみどう)から始めました。筑波山大御堂は茨城県つくば市筑波にある真言宗豊山派の寺院で、本尊は十一面千手観音といいます。坂東三十三箇所第25番札所であり、東京都文京区大塚にある真言宗豊山派大本山護国寺の別院です。

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延暦年間(782年 - 806年)徳一の開山により創建され、その後空海が入山し知足院中禅寺と号したとされます。筑波山(筑波山神社)と神仏習合により信仰され、江戸時代には多くの寺領を有したといいます。航空写真地図で筑波山大御堂を確認して、光を降ろしました。「光が入った」と伴侶が伝えて来ました。

次に、紫峰杉(しほうすぎ)に移りました。紫峰杉は筑波山にある、高さ約40m、幹回り7m、推定樹齢800年の巨樹で、男体山、女体山の間にある御幸ヶ原と呼ばれる広場から徒歩1分の場所にあります。 紫峰杉の画像を観て、光を降ろしました。「2本の光が出て来た」と伴侶が教えてくれました。

次に、紫峰杉の近くにある男女川(みなのがわ)源流にも光を降ろしました。「光が流れ出た感じがする」と伴侶が伝えて来ました。次に、筑波山に移りました。筑波山は茨城県つくば市北端にある標高877mの山で、西側の男体山(なんたいさん:標高871m)と東側の女体山(にょたいさん:標高877m)から成ります。

富士山と対比して「西の富士、東の筑波」と称されるといいます。筑波山は男体山と女体山からなる双耳峰で、その両峰にそれぞれ神があてられており、2峰が相並ぶ山容から、自然と男女2柱の祖神が祀られるようになったともいわれます。まず、男体山山頂にある筑波山神社の男体山本殿から解除することにしました。

筑波山神社・男体山本殿の祭神は、筑波男ノ神 (つくばおのかみ:筑波男大神)で、人格神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とされます。航空写真地図を観て、筑波山神社・男体山本殿に光を降ろしました。そして、男体山全体に光を降ろしました。「光が入った」と伴侶が伝えて来ました。次に、筑波山神社の女体山本殿に移りました。

女体山山頂にある筑波山神社・女体山本殿の祭神は、筑波女ノ神 (つくばめのかみ:筑波女大神)で、人格神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)とされます。航空写真地図を観て、筑波山神社・女体山本殿に光を降ろしました。そして、女体山全体に光を降ろしました。「中が空洞になっているイメージ。大きな足が見えた」と伴侶が教えてくれました。

地図を良く見ると、筑波山は筑波山地の一部だと分かりました。封じられている神は、筑波山地全体に封印されていると感じました。筑波山単独ではなく、筑波山地全体を解除する必要がありました。ここで、筑波山地周辺を調べて行くと「富士山」という名前のついた低山が3つありました。

これまでの解除の経験から「富士山」や「丸山(円山)」という名前の山は古墳であり、封印する役目をしていると感じていました。静岡県と山梨県に跨る本物の富士山はある意味で看板にされて来たと感じます。茨城県石岡市柿岡にある富士山(152m)を解除することにしました。航空写真地図を観て、「富士山」に光を降ろしました。

「煌びやかな服を着た渡来人が3人後ろにいる」と伴侶が伝えて来ました。闇の役割の渡来人のエネルギー体でした。「あなた方の役目が終わりです。光に還ってください」と私は伝えました。「我々の役割だ」と言って引き下がりません。再度、光を降ろして、虹の龍神が発動して光に強制送還されました。

渡来人たちは、筑波山地を封じるために古墳としての「富士山」を作ったと感じました。筑波山の男体山と女体山の解除を終えて、筑波山地全体の山々に移りました。筑波山地の山々を調べて行くと、筑波山の次に加波山(709m)が大事だと感じて、加波山を解除していくことにしました。

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posted by 地球の子 at 16:19| 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする