2015年8月8日(土)、富山県・一宮の解除を行うために、まず、射水(いみず)神社から開始しました。射水神社は、富山県高岡市の高岡古城公園内にある越中国一宮の神社で、祭神は、瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)といいます。航空写真地図から射水神社を確認して、光を降ろしました。

「光が入りました」と伴侶が伝えて来ました。次に、二上射水(ふたがみいみず)神社に移りました。二上射水神社は、富山県高岡市の二上山南麓にある越中国一宮の神社で、明治時代に遷座した射水神社の元の鎮座地です。二上射水神社は、二上山を神体山とし、二上大神を祭神として祀っています。
航空写真地図から光を降ろしました。「光は入ったと思います」と伴侶が伝えて来ました。次に、二上射水神社の神体山の二上山に移りました。二上山は、富山県・高岡市と氷見市に跨がる標高274mの山で、高岡市の最高峰です。二上山の頂上には、通称「奥の御前」を呼ばれる「日吉社」の小さな祠があります。
航空写真地図で二上山を確認して、光を降ろしました。「大国主さんの弟が出て来た。大国主さんと会っている」と伴侶が教えてくれました。二上山には、大国主命の弟が封印されていて解放されたのです。北海道・道南の大千軒岳から解放されたイエス・キリストの原型である大国主命の兄と同じ封印された縄文の神でした。
次に、気多神社(けたじんじゃ)に移りました。気多神社は、富山県高岡市伏木にある神社で、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)、奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)といいます。越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っているといいます。
気多神社は細かく解除して行きました。画像を見ると、「とやまの名水 気多神社の清泉」という案内板がありました。小さな横穴から水が湧き出ているようでした。この「清泉」に光を降ろしました。「白龍さんが出ました」と伴侶が伝えて来ました。封印されていた白龍が解放されたのです。
次に、「かたかごの丘」にある総社跡伝承地に移りました。木々に囲まれた小さな場所に木製の鳥居がたっていました。画像を見て光を降ろしました。「古墳じゃないかな」と伴侶が伝えて来ました。次に、航空写真地図を見て、気多神社の全体に光を降ろしました。
「4つの一宮は渡来人たちの移動拠点だった」と伴侶が伝えて来ました。富山県には、高瀬神社、射水神社、気多神社、雄山神社の4つの一宮があり、渡来人たちの移動拠点だったといいます。日本海に面した富山の地は、船で移動していた渡来人たちにとって重要な場所だったのでしょう。
気多神社の解除を終えて、幾つか気になる場所を解除して行きました。まず、白山宮から始めました。白山宮は、富山県南砺(なんと)市上梨にある神社で、祭神は、白山権現菊理媛命といいます。奈良時代初め、泰澄大師が人形山の頂にあった社を平安末期に移築した県内最古の木造建築で、本殿は国の重要文化財です。
画像を見て、白山宮に光を降ろしました。「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。次に、五箇山に移りました。五箇山は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指します。赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷から「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となったといいます。
五箇山は、平家の落人が住み着いたと伝えられている場所でもありました。航空写真地図を見て五箇山に光を降ろしました。「平氏と源氏の亡くなった武者たちの魂が昇って行った」と伴侶が教えてくれました。五箇山は、源平の古戦場の地だったようでした。次に、中江の霊水に移りました。
中江の霊水は、富山県南砺市東中江にある水波廼女神社から湧き出している霊水のことです。水波廼女神社は村の祭神・水波廼女神(みずはのめがみ)を祀り、「水神様の水」とも呼ばれています。昔から、地域住民が生活や五箇山和紙の生産に利用されており、 「とやまの名水」にも選ばれています。
航空写真地図を見て水波廼女神社の中江の霊水に光を降ろしました。「開いた。白龍さんが出ました」と伴侶が教えてくれました。湧水が出る所には、白龍が封印されています。封じられた白龍が解放されました。富山の地の解除が終わりました。富山の地が開いて光が広がって行くのを願っています。
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