2017年05月19日

米国 インディアン 〜巡礼の旅(375)〜

「インディアンの長たちが魂をあげるよう要望して来た。アメリカでの白人によるインディアン虐殺の出来事を一つ一つ拾って行った。光を降ろすことで、悲しみと苦しみを伴って命を終えた人たちの魂が昇った。馬に乗った白い光を放つ若者が、ありがとうと伝えて来た。」

2015年2月21日(木)、その晩、私は暖かくなった部屋でデスクワークをしていました。突然、足元に異常な冷気を感じました。足が冷たくなるのは地上に留まっている魂が来ているというサイン。自分に光を降ろすと、「インディアンの長たちが集団で来ている」と伴侶が教えてくれたのです。

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「一つ一つ拾って行って欲しい」とインディアンの長は伴侶を通じて伝えて来ました。「一つ一つ拾う」という言葉は、全てを現していました。いつ頃、どの場所で何があったのかを理解しながら亡くなった人たちの魂をあげることでした。それが命を奪われた人たちの思いを汲むことでもありました。

「分かりました。みなさんが光に還れるよう、一つ一つ拾って行きます」と私は伝えました。アメリカ大陸には、先住民としてのアメリカ・インディアンが住んでいました。インディアンの人たちは、白人によって土地を略奪され、沢山の人たちの命までも奪われて行きました。

光の時代から闇の時代に変わる時、世界各地で、光の人たちは闇の人たちに虐殺されて行きました。日本においても、光の人たちが封じられました。先住民である縄文人たちが、渡来人たちに命を奪われて行きました。そして、光の時代の真実が隠されて、歴史を消されたのです。

私は、インディアンの歴史と白人による虐殺について調べて行きました。「無差別虐殺」「無差別銃撃」「強制移住」という言葉が目につきました。白人たちのエゴと欲の闇で、穏やかに暮らしていた沢山のインディアンたちが、故郷の土地と命を奪われて行ったのです。

これ以上に残虐なものはないだろうという程、想像を絶するような惨い光景が頭をよぎりました。私たちは、白人によるインディアンの虐殺が行われた出来事の内容を把握しながら、航空写真地図を観て、遠隔で光を降ろして行きました。ウィキペディアによるインディアンの強制移住、虐殺の事象は以下の通りです。

(1)サンドクリークの虐殺(アメリカ合衆国コロラド州カイオワ郡)

1864年11月29日にアメリカのコロラド地方で、米軍が無抵抗のシャイアン族とアラパホー族インディアンの村に対して行った、無差別虐殺。2人の白人兵士が死んだ、インディアンと兵士との諍いの後、コロラドの軍隊は、25人のインディアンを殺すことで報復した。白人による無差別銃撃:このとき野営には600人のインディアンがおり、男はほんの35人の戦士と老人、合わせて60しかいなかった。

(2)グリージーグラス川の戦い(リトルビッグホーンの戦い:アメリカ合衆国モンタナ州リトル・ビッグホーン川流域)

1876年6月25日にアメリカ合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われたアメリカ陸軍と北米先住民インディアンとの戦いである。ちなみに、これは白人側の呼称であって、インディアン側の呼称は、「グリージーグラス川の戦い。インディアン側の勝利。戦死 268名。

(3)ブラックヒルズ戦争(アメリカ合衆国ノースダコタ州、サウスダコタ州)

1876年から1877年に掛けて、スー族の領土にあるブラックヒルズの金鉱を占領するため、合衆国が和平条約を破ってスー族、シャイアン族、アラパホー族インディアンに行った「インディアン戦争」(民族浄化)。モンタナ準州(モンタナ州)とダコタ準州(ノースダコタ州、サウスダコタ州)。米国陸軍の勝利。犠牲者500-1000人。

(4)チェロキー族の涙の旅路 

1838年10月から1839年3月にかけてのチェロキー族の強制移住。インディアンの領地で金鉱が見つかり地価が暴騰。アメリカ南東部に住んでいたチェロキー族とセミノール族、チョクトー族、クリーク族をインディアン準州(現在のオクラホマ州のオザーク高原近く)に移動させた。 厳しい冬の時期を陸路で、しかも多くの者は徒歩で1,000kmもの旅をさせられたために1万2,000人のうち8,000人以上が死亡した。のちにインディアンの間では、この悲惨な事件を「涙の旅路(Trail Of Tears)」と呼ぶようになった。

(5)ナバホ族の涙の旅路(ロングウォーク・オブ・ナバホ)

1862年、キット・カーソンによる殲滅戦に降伏したナバホ族も、300マイル(約483km)以上離れたボスケ・レドンド(Bosque Redondo)という灼熱不毛の地に徒歩で強制移住させられた。 険しいサングレ・デ・クリスト山脈を越え、ニューメキシコ州をほぼ完全に横断するかたちのこの旅路は「ロング・ウォーク」と呼ばれる。彼らはそこで農耕を強制されたが、やせた砂漠の土地での農耕は不可能であった。この往復路で女・子供・老人を含めた数百人のナバホの民が死んだ。

(6)1890年のウンデッド・ニーの虐殺

1890年12月28日、サウスダコタ州ウーンデッド・ニーで、ミネコンジュー他のスー族インディアンのバンドに対して、米軍の第7騎兵隊が行った民族浄化。1868年にスー族と米国政府はララミー条約によって、サウスダコタ州にあるスー族の聖地ブラックヒルズは永久にスー族のものであると確約したが、ジョージ・アームストロング・カスターがブラックヒルズに金鉱を見つけると、開拓者が金を求めてブラック・ヒルズに侵入し、条約は破られた。一人がナイフを持って手放さなかっただけで200人以上が虐殺された(ウンデット・ニーの虐殺)。インディアンの滅びた日とされている。

ナバホ族の涙の旅路の場所に光を降ろすと、「誇りを打ち破っていいものか」とインディアンの長が伝えて来ました。1890年のウンデッド・ニーの虐殺の地に光を降ろすと、馬に乗った光を放つ白い若者が「ありがとう」と伝えて来ました。私たちは、白い若者の言葉に安堵しました。

白人がインディアンを虐殺することで、闇が広がり、アメリカは深い闇となりました。アメリカの地は闇の実験場となったように思います。大事な光の土地である故に、深い闇に覆われて封印されたと感じます。アメリカは、光の中心である日本を封じる役割もあり、深い闇となったのです。

アメリカは歴史が浅い故に、真実を完全に消すことはできませんでした。映画や小説の西部劇は、白人を善、インディアンを悪とした、勧善懲悪のストーリーです。全ては、真実を隠蔽するために作られたものです。真実を隠す時、創作された勧善懲悪の物語を上塗りします。西部劇は、日本における神話と同じです。

日本の場合、真実は完全に隠蔽されました。先住民である縄文人は、「やまとびと」と呼ばれていました。まだ、光の縄文時代は、文字がない時です。文字は、真実を隠すことが出来ます。シュメールの地に闇を降ろした闇の宇宙存在・アヌンナキは、楔形文字も降ろしました。

真実を隠して、光を封印するために、嘘の事柄を文字で綴った神話が創られたのです。世界各地の先住民は、喋る言葉だけで、文字は持ちません。文字は闇の時代のためのものです。闇の時代から光の時代に移行する過程で、真実を隠すという文字の役割も終わるのかもしれません。

インディアンや縄文人のように、世界各地で、先住民の光の人びとが虐殺された真実の歴史が隠されて来ました。闇の時代を作るためには、人や土地の光を全て封印することが必要でした。私たちが暗闇の経験ができるのは、こうした多くの人たちの貴い命の上に成り立っています。

闇の時代、真実を隠して、まがい物の世界をつくる洗脳という箱に人々は入ります。闇の終焉を迎えている今、私たちは洗脳の箱から出るために、自分の感覚で真実を突き止めて行くことが必要です。虐殺された多くのインディアンの人々の御魂が光に還り、アメリカの地に光が広がって行くことを願っています。

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posted by 地球の子 at 23:14| 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする