葉山に戻った2日後の10月下旬、夜から強い頭痛に見舞われました。八ヶ岳の解除のために長野の縄文遺跡を調べていて、縄文のビーナスや仮面土偶などの人面土器の画像を見ていたからだと感じました。八ヶ岳周辺の縄文遺跡からは人面付土器が多数発掘されていました。

この頃、八ヶ岳に関係する情報が集まって来ていました。八ヶ岳は、富士山の後ろに隠されている重要な山で、地母神(じぼしん)が封印されていると感じていました。地母神は多産、肥沃、豊穣をもたらす女神で、大地の豊かなる体現として「大地の母」としての象徴的存在です。
地母神は、あらゆる光の女神の原型であり、地球の大元の女神と言えます。八ヶ岳周辺の縄文遺跡から縄文のビーナスや人面付の土器などが出土したのは何か意味があると感じていました。激しい頭痛の原因を探るために自分に光を降ろしました。「色々な宇宙人が来ている」と伴侶が伝えて来ました。
八ヶ岳周辺の縄文遺跡には、色々な姿の宇宙人が来ていたようでした。頭痛は目に見えない宇宙人の解除のためのサインでした。人面土器の幾つかに光を降ろすことにしました。まず、「半人半蛙(はんじんはんあ)」土器です。曽利遺跡出土の深鉢(高さ55cm)に描かれた蛙人間の人面の絵です。
「太った蛙の足が上に半月に開いて、長い手が下方に伸び、眼は大きく、手は三本指。右側に"みづち"と呼ばれる水棲動物が描かれている」と表現されていました。ここでの「みづち」とは闇の龍と認識しています。「手が三本指」の「三」は闇の象徴です。闇の証として作られたと感じました。
半人半蛙の土器の画像を見て光を降ろしました。「いいと思うよ。還って行った」と伴侶が伝えて来ました。半人半蛙の宇宙人は光に還って行きました。次に「縄文のビーナス」に移りました。棚畑遺跡から出土し、茅野市尖石縄文考古館に所蔵される国宝の土偶で、縄文時代中期に製作されたものです。
縄文のビーナスは、高さ27cmで、腹部と臀部を強調した妊婦を象った土偶です。縄文のビーナスの画像を見て光を降ろしました。「意図的に作られたもの。架空の存在」と伴侶が教えてくれました。八ヶ岳の地母神を存在を隠すために、偽りの女神を象って証として残したと感じました。
次に「仮面土偶」に移りました。仮面土偶は、中ッ原遺跡から出土した、高さ34cmの大型土偶の国宝です。逆三角形の仮面を被っているように見えることから名前が付けられました。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られたとされます。ここでも、三角形を使って「三」という闇の象徴を現しています。
仮面土偶の画像を見て光を降ろしました。「いいと思う。行った」と伴侶が伝えて来ました。最後に、土偶装飾付有孔土器に移りました。諏訪原遺跡から出土した高さ50cmの土器です。大きな口とアーモンドアイの目に、まるでピースサインをして、三本指の手を強調しているような図柄の蛙人間の人面です。
画像を見てに光を降ろしました。「探らなければならないものがある。光を降ろして気づくことが大事だった」と伴侶が伝えて来ました。人面土器の解除から全体像が浮かんで来ました。八ヶ岳は地母神の故郷であり、地母神を崇める光の縄文時代のやまとびとの集落がありました。
縄文遺跡のある八ヶ岳周辺は、大事な光のポイントでした。やまとびとの光の人たちは、渡来人という人間ではなく、アークトゥルスの宇宙船によって直接的に攻撃され殺戮されて行ったと感じます。そして、遺伝子操作によって蛙や蛇とのハイブリッドの闇の人間を地上に降ろして行ったのです。
光の時代が実在した真実を消して、自分たちの証を残すために、人面土器や土偶を作って歴史を上塗りしたと感じます。遮光器土偶も、アンドロメダの分離星人を象って証を残し、光の時代の歴史を消すために作られたのです。全ては光の時代から闇の時代に変えるためのものでした。
考古学的な縄文時代は意図的に闇の時代に変えられました。光のやまとびとを全滅させた後、八ヶ岳の地母神もアークによる闇のエネルギーで封印されたと感じます。私たちは、地母神を解放するために、八ヶ岳巡礼の旅を計画しました。地母神は八ヶ岳の最高峰・赤岳に封印されていると感じていたのです。
それ故、赤岳を残して、他の八ヶ岳の山々を遠隔解除することにしました。八ヶ岳は、長野県の諏訪地域と佐久地域および山梨県の境にある山塊で、南北30km余りの大火山群から成る山体です。南八ヶ岳と北八ヶ岳の中で10の山をピックアップして、光を降ろしていきました。
航空写真地図を見ながら、阿弥陀岳(2805m)、横岳(2829m)、硫黄岳(2760m)、天狗岳(2646m)に順に光を降ろしました。中山(2496m)に移ると、高見石に光を降ろしました。「光が出た」と伴侶が言いました。続いて、縞枯山(2463m)、北横岳(2480m)、大岳(2380m)に光を降ろしました。
ここで双子池が気になったので、光を降ろしました。「ここはポータル。地底の人たちが出て来た」と伴侶が伝えて来ました。最後に、蓼科山(2531m)に光を降ろしました。「ハートが暑くなった」と伴侶が言いました。私も両足と下半身が温かくなりました。翌日、八ヶ岳巡礼の旅に出発したのです。
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