2017年2月22日(水)、英彦山の巡礼の旅を行いました。 九州の地を開くためには、英彦山の封印解除がとても重要だと感じていました。英彦山は羽黒山(山形県)、熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残る山です。

修験道は山を封印する役割を担っていました。英彦山(ひこさん)は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町とにまたがる標高1,199mの山で、北岳・中岳・南岳の3峰からなります。耶馬日田(やばひた)英彦山国定公園の一部をなし、弥彦山(新潟県)、雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山に数えられます。
英彦山を開くためには、封印の役目をしている英彦山神宮を解除する必要がありました。英彦山の中央の中岳の山頂から山腹にかけて、上津宮・中津宮・下津宮があり、その下に奉幣殿があり、英彦山全域に摂末社が点在しています。当日は、9:10に小倉駅から電車に乗って約1時間半、彦山駅に到着しました。
小雨の降る中、11:10のバスに乗って約20分で銅の鳥居のバス停に着きました。そこから20分程坂道を登り、ケーブルカーに乗車して、10分で英彦山神宮奉幣殿(ほうへいでん)の境内に到着しました。ケーブルカーは、貸切状態だったため、2人の係員の方が親切に応対してくれて、天の采配を感じました。
ケーブルカーの中で係員の方は、英彦山の神様の名前が「日子」から来ていることを説明してくれました。「太陽の子供」ということです。太陽神と関係があると感じました。英彦山神宮の主祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)といいます。
係員の方の説明は重要なメッセージだと思いました。太陽の闇を解除するために、英彦山の解放は大事だと感じました。小雨の中、係員に傘を借りて誰も居ない境内を散策して行きました。エゴの赤の闇というよりも、純粋な青の闇を感じました。拝殿で英彦山を開く旨を伝えて挨拶しました。
実は、9日前の2月13日(月)、事前に、英彦山神宮の幾つかのポイントを遠隔で解除していました。日本三大霊水の一つとされる、末社の大南神社の「般若岩の霊水」に光を降ろすと、「凄い闇だったみたい」と伴侶が伝えて来ました。鬼杉、岩窟の中の本殿にも光を降ろしました。
石祠の上津神社、石祠の中に修験の炎を背後に剣を持つ不動明王のような石仏が祀られている鳥尾神社、いずれも石仏が祀られている南岳山頂の石祠と北岳山頂の石祠、英彦山神宮上宮に光を降ろしました。岩窟の中の本殿に光を降ろした時、「修行僧たちが5〜6人いるから意図して」と伴侶が伝えて来ました。
「こんなものを作ってと言っている」と彼女が伝えて来ました。本来、岩窟は修行の場であり、社殿など無かったのでしょう。「どうぞ光にお還りください」と伝えて、再び光を降ろしました。「昇って行った」と伴侶が教えてくれました。英彦山を封印して来たのは、大陸からの渡来僧のようでした。
英彦山神宮奉幣殿の境内を散策していると、人工的に作られた「天之分水神(あまのめくまりのかみ)(龍神)」と記された湧水の流れの所が気になりました。光を降ろすと、「ここは人寄せのために作られた所」と伴侶が伝えて来ました。拝殿の所で、中岳の中心に英彦山全体を意図して光を降ろしました。
強い巻風が吹いたのを感じました。「雲に乗った人が天に昇って行った。サルタヒコの原型かもしれない」と伴侶が伝えて来ました。私には「孫悟空」が直感的に浮かびました。インド神話の猿神「ハヌマーン」、日本神話の神「サルタヒコ」、「赤の天狗」の原型となる闇の存在だと感じました。
猿が太陽の遣いとして降ろされた闇の役割であることから、英彦山神宮の神の「日子」は、英彦山を封じるために太陽から送られた存在だと思いました。「黒龍がいそう」と伴侶が伝えて来たので、英彦山が開かれるよう意図して光を降ろしました。「大国主さんがいた」と伴侶が伝えて来ました。
「大国主さんに頭をさげて挨拶している黒龍のような神様が出てきた」と彼女が続けました。英彦山に封印されていた縄文の神が解放されたのです。山を封じる役目の赤の天狗の修験道は、太陽の闇と関係していると感じます。アークトゥルス、闇の太陽、ボゼなどの太陽人と関連しています。
青の闇としてカラス天狗は、まだ謎の状態です。全体の構図としては、青の闇が赤の闇に封じられて来たことは確かです。それは、青の闇の役割のシリウスの人たちが赤の闇のアークに封じ込まれたことを意味します。英彦山が本来の姿になり、光が広がって行くことを願っています。
【関連記事】
○熊本 阿蘇山 〜巡礼の旅(23)〜
○山梨 河口浅間神社 〜巡礼の旅(95)〜
○鳥取 大神山神社奥宮 〜巡礼の旅(172)〜