2018年04月08日

兵庫 摩耶山の解放 〜巡礼の旅(436)〜

「摩耶山は原生の森がある、精霊たちの宿る光の重要拠点。裏インドの闇としての牛頭天王と共に日本に渡って来た法道仙人は、摩耶山の光を封じるために天上寺を開創した。摩耶山の精霊たちが自由になり、神戸の摩耶山から光が広がって行くことを願っている。」

2017年11月13日(月)、神戸出張2日目は丸1日スケジュールが空いた状態でした。過去の経験から、丸1日空く時には、巡礼の旅で訪れる場所があるという意味でした。どこかなと思案していると「摩耶山(まやさん)」が浮かびました。過去に1度、摩耶山に行こうかと思ったことがありました。

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事前に、ネットで摩耶山について調べてみました。摩耶山は、兵庫県神戸市灘区、六甲山地の中央に位置する標高702mの山です。摩耶山には、高野山真言宗の天上寺があります。摩耶山を開くためには、封じる役目をしている天上寺のポイントに光を降ろして解除する必要がありました。

天上寺は646年に孝徳天皇の勅願により、インドの伝説的な高僧・法道(ほうどう)仙人が開創したと伝わります。摩耶山の名は空海が天上寺に釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)像を安置したことに由来するといいます。「比叡山、高野山、摩耶山」と並び称されるくらいの大寺院であったとされます。

最盛期には、伽藍300棟、3000名の修行僧がいたとされますが、1976年に賽銭泥棒の放火により天上寺は全焼してしまいました。現在は北方約1kmにある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建されています。天上寺が大寺院であったことは、摩耶山がとても重要だったことを示唆しています。

私は、「法道仙人」が気になりました。法道仙人は、6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、牛頭天王(ごずてんのう)と共に日本へと渡ってきたとされます。牛頭天王は日本における神仏習合の神とされ、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされました。牛頭天王は、京都祇園社(現八坂神社)の祭神とされます。

牛頭天王は、7歳で身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭、3尺の赤い角があったいいます。牛頭天王から、斬首された牛の頭が連想され、裏インドの闇の象徴だと感じます。裏インドの闇は、精霊の光を封じるために創造されたもので、摩耶山は大事な精霊の光が封じられた場所だと事前に推測していました。

当日、午前9時に私一人でホテルを出発して、三宮駅からバスに乗り、摩耶山ケーブル駅を目指しました。摩耶山ケーブルは火曜日が運休でしたので、月曜日が1日空いたのは、摩耶山の解除のためだったと確信していました。三宮駅からの乗るバスを間違えて、阪急六甲駅まで行ってしまいました。

折り返しのバスで、観音寺で下車して、急坂を15分程徒歩で登って、摩耶ケーブル駅に到着しました。摩耶ケーブルとロープウェイを乗り継いで約20分で摩耶山山頂の星の駅に到着しました。天狗岩、奥之院跡、旧天上寺跡(摩耶史跡公園)と再構築した現在の天上寺を解除ポイントに選びました。

星の駅から虹の駅に下る険しい山道を進んで行きました。登山靴だけが山登り用の仕様で、あとは普段着の服装でした。ストックがないので、下りの道は、かなり大変でした。しばらく行くと、鳥居の奥に「天狗岩大神」と記された石碑の左手に「石丸猿田彦大神」と記された大岩が3分割されて祀られていました。

鳥居のある神社として封じる形になっています。天狗には、長い鼻の赤い天狗と青い天狗がありますが、いずれも、羽のある天の精霊を原型モデルとして、封じるために創られた闇のエネルギー体だと感じています。岩に「天狗」と名前を付けているのは、石の精霊を封じる意味があるようでした。

「この地を開きに来ました」と挨拶して、光を降ろしました。巻風が起こった後に、太陽の陽射しが入って来たので、「開いた」と分かりました。いつもなら伴侶が観えるものを教えてくれますが、私一人の場合は、風が吹いたり、日光が当たったりして、OKのサインを見せてくれるのです。

天狗岩から険しい山道を下って行くと、旧天上寺の奥之院跡がありました。奥之院は、行者堂とも呼ばれる修験道者の行場の一つであり、内部には、不動明王と弘法大師像が安置されていたといいます。摩耶山を封じている一番大事な場所だと感じました。摩耶山で亡くなった御魂を上げることにしました。

留まっている全ての魂が光に還るよう意図して光を降ろしました。「ゴ〜」という音がして木々が揺れ、巻風が起こりました。龍神たちも来てくれていると感じました。さらに、この地が開くよう意図して光を降ろすと、陽の光が入って来ました。明るい陽射しが入ったので、開いたという分かり易いサインです。

さらに下ると「円心入道赤松公の碑」がありました。足利尊氏の下で室町幕府を開くのに尽力し、赤松家の始祖 となった名将・赤松円心則村の石碑です。旧天上寺は、赤松公の居城があった所だといいます。赤松円心則村の御魂が上がるよう光を降ろすと、陽が当たって明るくなりました。

山道を下って行くと、旧天上寺跡に着きました。旧天上寺跡の稲荷神社、三社権現を含む境内全体に光を降ろしました。今までに降ろした光で、すでに開いていた感じでした。摩耶山山頂の星の駅から旧天上寺跡までの行きは、奥之院道を通って来ましたが、帰りは、左手に原生の森を見る観音道を通って行きました。

星の駅に戻った後、15分程、歩いて天上寺に到着しました。石段の参道の手前に、気になる石碑がありました。「摩耶修験総本山 八宗兼学道場旧跡」と記されていました。「八宗兼学」を後で調べてみると、「日本の仏教の8つの宗派の教義を併せて学ぶことを指す」とありました。

八宗とは、天台宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、時宗です。主な八宗兼学の寺は、四天王寺、勝尾寺(大阪府箕面市)、東大寺、善光寺などがあり、裏インドと関係があると感じました。天上寺の石段の参道を登ると、枯山水の庭園がある新しい境内がありました。

石の周りの白砂に描かれた波紋の同心円は、精霊を封じた石から分離する闇のエネルギーが出ているという証を残すためのものだと感じました。仏像や石仏たちに、ついてくるように声掛けして、法道仙人像の前で、この地を開きに来た旨を伝えて、闇のエネルギー体が上るよう光を降ろしました。

さらに、摩耶山全体が開かれるように光を降ろすと、山の木々が揺れる音がして強い巻風が起きて、陽の光が入って来ました。「摩耶山が開いた」と感じました。摩耶山は、精霊が住む深い原生林のある大事な光の場所でした。精霊の光を封じるために八宗兼学道場だった天上寺が創られました。

裏インドの大きな闇を用いて摩耶山の光が封じられたのです。封印は、より強く輝くための封印です。人も自然も地球も、深い闇を経験するからこそ、大きな光になることが出来ます。摩耶山の精霊たちが自由になって、本来の光が放たれ、神戸の地から光が広がって行くことを願っています。

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posted by 地球の子 at 21:31| 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする