十勝巡礼の旅1日目の最後の目的地は「帯広神社」でした。「緑ヶ丘公園」からバスと徒歩で「帯広神社」に移動しました。「帯広神社」は、帯広市東3条南2丁目にある神社で、祭神は、大國魂神、大那牟遲神、少彦名神の開拓三神とされます。
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「帯広神社」には、2014年9月に「チョマトー」での闇の解除ワークを含めた巡礼の旅で、一度訪れていました。「帯広神社」は、開拓団体「晩成社」と深く関係していました。1883年(明治16年)、静岡県松崎町出身の依田勉三らが開拓団体「晩成社」を組織し、下帯広村オベリベリ(今の水光園付近)に移住し開拓を始めました。
1885年(明治18年)頃から祭祀を行っており、1890年(明治23年)には祠を建てて「帯廣神社」と称し、これが「帯広神社」の起源ともされています。十勝開拓の起源の「晩成社」は、当初から 十勝の精霊の光を封じる役割だったと感じていました。「帯広神社」の境内を散策していくと、野生のリスが沢山いました。
十勝の光は精霊が宿る水であり、「火のエネルギー」で「水のエネルギー」を封印したと感じます。拝殿に移動して、火を意図して光を降ろしました。「伊豆の裏インドの火をここに置いた」と伴侶が伝えて来ました。伊豆は、世界地図のインドに相当します。裏インドの「火」は伊豆からもたらされたものでした。
十勝巡礼の旅は、1日目のワークを終えてホテルに移動しました。翌6月5日(水)の2日目は、車での移動でした。JR帯広駅前のレンタカー店で車を借りて、「六花の森」に向かいました。「六花の森」は、北海道河西郡中札内村にある六花亭の庭園施設です。敷地内には工場、美術館、ミュージアム、レストランなどがあります。
「六花の森」も開拓団体「晩成社」と深い縁がある場所と感じていました。40分程、車を走らせて現地の駐車場に到着しました。入口で入場料を払って園内を散策して行きました。様々な花や植物が人工的に創った庭園の中にありました。また、帯広市中央から来ている札内川の支流が園内には流れていました。
この札内川が重要だと感じていました。しばらく歩いて行くと、芝生の平地の先に小高い丘がありました。丘の上にはモニュメントが置かれていて、気になりました。光を降ろすと「渦巻きがあった」と伴侶が伝えて来ました。「渦巻き」は、アンドロメダ銀河の象徴であり「火」の闇のエネルギーと分かっていました。
「渦巻き」は、札内川が流れる光の場所としての「六花の森」の地を封じる役目でした。次に、画家の作品を展示している幾つかの作品館を見学しました。1つの作品館の中に入ると気分が悪くなりました。何かの闇の影響と感じて、伴侶に観てもらうと「画家の人がいて監視している」と伝えて来ました。
他界した画家の魂が留まっているようでした。祈りを通じて光を降ろすと「昇って行った」と伴侶が教えてくれました。園内を一巡した最後に、喫茶室に立ち寄ってお茶をしました。しばらくすると、足が冷たくなりました。亡くなった人の魂が留まっていると感じて、「六花の森」全体に光を降ろしました。
「昇って行っています」と伴侶が伝えて来ました。お土産の品を観ていると花柄の包み紙が目に入りました。赤い花を中心に同心円状に描かれていて、光を封じる役割と気づきました。「六花の森」の解除を終えて、「晩成社史跡公園」に向かいました。あいにくの小雨の中、約30分程で現地に到着しました。
「晩成社史跡公園」は、北海道広尾郡大樹町にある公園です。開拓団体「晩成社」の依田勉三が生活していた歴史的な場所です。1893年(明治26年)夏の建設時から1916年(大正4年)春まで、依田勉三らが住んでいた住居の復元や、井戸跡、サイロ跡、ムロ跡、もみじひら歌碑、祭牛之霊碑などがあります。
現地は、草木が生えて施設が見えなくなっていました。殆ど訪問者がないような感じでした。車を停めて外に出ると雨がやんでいました。駐車スペースの場所に案内板があり、解除ポイントを探しながら観ていました。事前に調べて気になっていたのが「祭牛之霊碑」でした。使役していた牛の慰霊のための石碑のようでした。
案内板の奥に、小高い丘があり、草むらの中に3つの石碑が見えていました。土地が開くように意図して光を降ろすと「光が入って、何かが昇って行った」と伴侶が教えてくれました。留まっていた闇のエネルギー体が光に還って行きました。その後「気分が悪くなった」と急に伴侶が言いました。
何か闇の影響だと感じて光を降ろしました。「自分の中に逆十字がある」と言いました。伴侶は十勝の生まれで、十勝の地の封印と深く関係していると感じました。再度、逆十字を意図して光を降ろしました。闇の十字架が光に還って浄化されたと感じでした。最後に「晩成社史跡公園」全体に光を降ろしました。
「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。「晩成社史跡公園」のある大樹町は、札内川などの川が流れ込む海に面した場所です。精霊が宿る光の場所を封じるために晩成社が拠点にしたのだと感じます。光を降ろして間もなく、大雨が降って来ました。私たちは、急いで車に乗り込み、帰路についたのです。
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○東京 水のエネルギーが封印された湧水地の解放(1) 〜巡礼の旅(480)〜
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