昨年から今年にかけて、冷気や悪寒を覚えて、その後1週間続いていました。天皇派の闇のエネルギーであるシリウスの純粋な闇のエネルギーが統合する段階だと感じていました。そんな中で、再び、体の痛みのサインが現れ、闇の解除が必要と思いました。
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2020年1月3日頃から鼻に軽い痛みがあり、鼻をかむと鼻血が混じったり、血の塊が出て来ました。私の場合、痛みや不調のある身体箇所は、日本列島の解除する場所を教えてくれています。自分の鼻の部分は、日本列島でいうと山形県の辺りになると感じていました。まだ光を降ろす対象があるようでした。
山形県についてネット検索して、場所や人物を自分の感覚で選択して行きました。「天童城」「山形城」「北畠親房(きたばたけちかふさ)」「吉田大八」「最上義光」を候補としてピックアップしました。日本の城は、一般的に戦いの場所であり、亡くなった人たちの魂を上げる必要があります。
天童城は、山形県天童市にあった山城です。山形盆地の中東部、独立丘の舞鶴山に築かれ、別名舞鶴城、天童古城と呼ばれます。南北朝時代、北畠天童丸が居を構え、築城主とされます。北畠氏、天童氏と城主が変わり、最終的には戊辰戦争で焼失しました。山形城は、山形県山形市霞城町にあった城です。
別名は霞ヶ城と呼ばれます。1356年、斯波(最上)兼頼によって築城され、鳥居氏、堀田氏、秋元氏などに城主が変遷し、1871年(明治4年)に廃城となります。その後、山形市が購入し、大日本帝国陸軍の駐屯地を誘致し、歩兵三十二連隊の兵営敷地となりました。山形市は、広島市と同様に軍都でした。
軍都ということは天皇派の拠点です。天童城と山形城、それぞれに光を降ろしていくと「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。御魂が光に還って行きました。次に北畠親房に移りました。北畠親房は、天童城の城主の北畠氏の先祖に当たり、南北朝時代の南朝の実質的な指示者とされます。
御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「この人はやることはやったと思っている」と伴侶が伝えて来ました。吉田大八は、天童市の名産である将棋駒に原点の人です。吉田大八は、本名を吉田守隆といい、幕末期の天童藩家老です。天童藩士の窮乏対策として将棋駒の製造を推奨し、藩主名代として務めました。
しかし、戊辰戦争に関わる情勢の変化により失脚、切腹という悲運な末路を迎えました。光を降ろすと「宇宙人みたいな人。天皇派」と伴侶が教えてくれました。最上義光は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名です。最上氏第11代当主で、出羽山形藩の初代藩主です。
山形城の城主で伊達政宗の伯父に当たります。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、上杉景勝と戦いを通じて、最上家を57万石の大名に成長させて全盛期を築き上げました。 最上義光に御魂が上がるよう光を降ろしました。「平将門のように戦いの怨念がある。槍を持って戦っている感じ」と伴侶が言いました。
鼻の痛みや出血は、やはり天皇派の闇を統合するためだったと感じました。東北地方、北海道は、シリウスの地であり、米国派と同和派に光を封じられて来ました。戊辰戦争での会津VS長州の構図が典型です。米国派の闇さらには、同和の闇という重い闇のエネルギーが純粋な闇のエネルギーを封印して来ました。
今回、光を降ろした対象は、殆どが天皇派の関係だったと感じました。天皇派の闇は、シリウスの純粋な闇のエネルギーです。深い闇にするために、純粋な闇の上に、エゴの闇が築かれて来ました。純粋な闇のエネルギーが統合され、本来のシリウスの光が蘇る時に来ています。
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