2020年06月27日

青森 光のエネルギーラインを封じるための津軽要塞 〜巡礼の旅(545)〜

「津軽海峡を防衛するための津軽要塞。軍事的施設だけでなく、津軽海峡に光のエネルギーを通さない封印の意味がある。闇の封印を解くために函館と青森の津軽要塞の各所に光を降ろした。津軽海峡が開かれることで北海道からの光が本州に流れる。」

今年1月中旬、伴侶が「首の痛みが酷くなっている」と言いました。体の痛みや不調は、多くの場合、闇の解除ワークを促すサインと分かっていました。以前に「左顎が襟裳岬の辺りになると思う」と伝えていたので、場所は「津軽海峡」かもしれないと感じました。

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「津軽海峡」は、北海道南端と本州北端(青森県)との間にあり、東西約130km、最大水深約450mの日本海と太平洋とを結ぶ海峡です。伴侶は、幼少期に、1988年(昭和63年)まで津軽海峡を運行していた「青函連絡船」に幾度も乗ったことがありました。津軽海峡は、彼女に縁の深い場所でした。

津軽海峡についてネットで調べていくと「津軽要塞」がヒットしました。津軽要塞は、津軽海峡を守備範囲とした大日本帝国陸軍の要塞です。太平洋戦争終戦まで海峡の海上閉鎖を目的とした津軽要塞があり、各砲台への軍事物資や兵員輸送目的の鉄道建設が行われていました。

津軽海峡の中央部は公海であり、外国船舶の通航に利用される国際海峡とされます。そのため、軍事上の要衝でありチョークポイントのひとつに数えられています。津軽海峡は、軍都の闇で封じられており、光を降ろす必要があると感じました。津軽海峡を防備するために、函館側にも要塞がありました。

現実的には、津軽要塞は、函館要塞とセットのようでした。まず、函館要塞から解除することにしました。函館の地は、伴侶にとっては昔の居住地であり、縁ある場所でした。函館要塞は、函館山周辺に点在していました。函館山周辺にある函館砲台跡、千畳敷砲台、立待保塁を意図して光を降ろしました。

続いて、司令部跡としての千代台公園に光を降ろしました。「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。次に、津軽要塞に移りました。津軽要塞は、津軽半島の竜飛崎砲台、下北半島の大間崎砲台などが初期に設置されました。津軽要塞としての大間砲台、トーチカ跡などの大間周辺に光を降ろしました。

「OKです。光は入りました」と伴侶が言いました。さらに、津軽海峡に光を降ろしました。「首の血の巡りが良くなった感じ」と伴侶が教えてくれました。最後に伴侶がの首を意図して光を降ろすと「上と下で行き来が出来るようになったみたい」と伝えて来ました。津軽海峡を開くことは重要です。

第2次世界大戦前は、軍事的な意味で津軽要塞という軍事施設が設置されました。しかし、これは、エネルギー的な側面でも光のエネルギーの流れを遮る役目をしていたと感じます。軍都という天皇派の闇が、北海道からの光を封じていたのです。戦後、日本は米国派の闇が広げられて来ました。

津軽海峡を封じるために、青森県側に、各種原子力施設を建設したり、建設中であったりします。下北半島には、東通原子力発電所、六ヶ所村原子力燃料サイクル施設、建設中の大間原子力発電所と使用済み燃料中間貯蔵施設があります。天皇派という純粋な闇の上に、米国派のエゴの闇が置かれたのです。

深い暗闇になるために純粋な闇の上に、エゴの闇が置かれます。津軽海峡は、日本列島の首であり、自然豊かな北海道の光を本州に流すための要所になっています。光を通さないために要塞という軍都の闇を置いたのです。津軽海峡が開かれて、北海道の自然の光が津軽海峡を通って、日本全体に広がって行くことを願っています。

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posted by 地球の子 at 13:23| 青森県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする