「麻薬」の製造拠点をネットで検索して調べました。ウィキペディアによると、世界最大の密造地帯は「黄金の三日月地帯(ゴールデンクレセント)」と「黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)」です。「黄金の三日月地帯」は、アフガニスタン、パキスタン、イランの国境が接する地帯です。

「黄金の三角地帯」は、タイ、ミャンマー、ラオスの国境が接する山岳地帯です。「麻薬」が、どのようなルートを通って、日本に入って来るのか、です。自分で思案している時、伴侶に聞いてみると「香港かもしれない」と答えて来ました。
ネットで調べてみると「ヘロイン」については、「ゴールデントライアングル、広東省、香港、世界」といいます。やはり「香港」から世界に拡散されて行くようです。「香港」と言えば、歴史的には「アヘン戦争」に繋がります。
「アヘン戦争」は、現在の中国である「清」と「英国」の間で1840年から2年間にわたり行われた戦争です。インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていたのが「英国」です。英国に対して、アヘンの蔓延に危機感をつのらせた「清」がアヘンの全面禁輸を断行しました。
「清」が、英国商人の保有するアヘンを没収、焼却したため、反発した英国との間で戦争となりました。結果は、「英国」の勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、「英国」への香港の割譲となったのです。「麻薬」について、さらにネット調査していくと、非常に有意義な記事を見つけました。
《知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史〜芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!》(2016.5.18 辻田真佐憲 講談社)。「日本と薬物中毒との本格的な接点は、1895年の台湾領有にさかのぼる」といいます。
1894年から1895年の日清戦争で、清に勝利した日本は、台湾を領有しました。当時の台湾は、中国でもっとも早くアヘン吸煙がはじまった場所のひとつで、アヘン吸煙者が大勢住んでいました。日本はアヘン問題に対応せざるをえなくなったのです。
ここで日本は、「海外から輸入したアヘンを台湾で売りさばくだけで、濡れ手で粟のように利益が得られる。これは、植民地統治の財源になるのではないか」ということに気づいたのです。この結果、日本は、アヘンの専売に傾倒して、租借権を獲得した遼東半島でも行いました。
次第にアヘンのもたらす利益に魅入られ、蝕まれていったのです。「麻薬」と「日本」の関係の歴史を調べて行くと、植民地化政策と深く関わっていることが分かります。そのきっかけが既述した「日清戦争」です。「清」の字は、父親の名前にもあります。
私が23年間、勤務した会社の名前にも関係しています。さらに、伴侶の旧姓にも「清」の字が使われています。これらは単なる偶然ではなく、中国の「清」の国や「日清戦争」がワークにおいて重要なヒントになることを暗示していたと思います。
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