前日の夜、左側の首筋と右手首に痛みが出ました。また、解除のサインだと思いました。場所的には、新潟県の弥彦山と千葉県の能忍寺だと直感しました。2箇所とも1度は光を降ろしていましたので、今回は、別の角度でのワークになると感じました。

「能忍寺(のうにんじ)」と「弥彦山(やひこやま)」を探って行くことにしました。能忍寺は、不老山能忍寺が正式名とする、千葉県館山市にある薬師如来を本尊とする単立寺院です。単立とは、包括宗教団体に属さない独立した宗教団体のことです。
2015年4月に巡礼の旅で、丘のような低山にある能忍寺を訪れました。その際、光を降ろすと山から鳳凰が解放されました。ネットで調べて行くと、禅宗系の寺院のようで「サンガ」という言葉が目に留まりました。「サンガ」とは、一般的には仏教用語で、僧や仏教の出家修行者により形成される組織とされます。
しかし、「サンガ」は「和合衆」の意味に訳されていました。「和合」と言うと「同和」です。また、「サンガ」と「山窩(サンカ)」が通じるように感じます。「山窩」は、日本に過去に存在したとされる放浪民の集団で、本州の山地に住んでいたとされます。
キリシタンの山師である「丹波弥十郎」のように山に隠れ住む山の民の集団です。「丹波弥十郎」は、金山というエゴの闇を広げたキリスト教徒でしたが、仏教系の山の民の集団も居たように思います。いずれにしても、同和の闇を広げる隠密の集団だと感じます。
こうしたことを意図して能忍寺に光を降ろすと「裏インド。支配」と伴侶が伝えて来ました。鳳凰が封印されていたので、やはり大きな闇の役割でした。次に「弥彦山」に移りました。弥彦山は、新潟県長岡市にある標高634mの山です。2015年8月の遠隔ワークで黒龍が解放されました。
弥彦山は、英彦山(福岡県)、雪彦山(兵庫県)と共に日本三彦山と呼ばれます。 いずれも、人名が付いた山であり、丹波弥十郎が住んだとされる「弥十郎ヶ嶽(やじゅうろうがたけ)」と共通します。弥彦山、英彦山(ひこさん)、雪彦山(せっぴこざん)は、いずれも同和の闇を広げる役割の山窩集団が隠れ住んだ山だと感じました。
日本三彦山の中の英彦山が気になり、さらに調べて行きました。英彦山(ひこさん)は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる標高1199mの山です。羽黒山(山形県)、熊野大峰山(奈良県)とともに日本三大修験山に数えられます。
「修験山」とは、修験道を信仰する修験者や山伏が修行を行う山を指します。修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行い、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰と仏教が組合わさった日本独特の宗教です。英彦山について調べて行きました。
《山伏集落 800軒確認 英彦山 江戸期の繁栄裏付け 添田町》(2015/11/19 17:51 西日本新聞)という興味深い記事を見つけました。英彦山に、800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認しました。英彦山は江戸時代、「英彦山三千八百坊」とうたわれるほど栄えたとされます。
山伏が暮らした宿坊や仏堂などがあったとみられる平たん面を800余箇所確認し、集落に通じる古道や「窟」と呼ばれる修行場の岩穴も見つかりました。その数字は人口3千人、800坊を意味するとされていましたが、詳細は不明でした。
今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になったといいます。山伏は、現代版の工作員だと感じます。表向きは修行僧ですが、その裏では、法力や術を用いた諜報活動などの秘密の仕事をして、闇を広げる工作活動をしていたと思います。
最終的には、修験者が山で修業をして生活することで山を封印し、裏の工作活動によって人を封印することにもなります。英彦山とどうように、雪彦山、弥彦山も同じだと感じます。英彦山、雪彦山、弥彦山に、それぞれ光を降ろして行きました。
「いいです」と伴侶が伝えて来ました。光を降ろす際に、福岡県の英彦山に縁が深い知人が浮かびました。過去世で英彦山に暮らす修験者として同和の闇を広げる工作員だったと感じます。兵庫県の雪彦山、新潟県の弥彦山にも別の2人の知人の過去世だと直感しました。
3人の知人の過去世を意図して光を降ろすと「OKです」と伝えられました。深い闇の経験は大きな光になるためのものです。闇が光に統合して、日本が輝いて行くことを願っています。
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