2021年03月04日

鹿児島 坂本龍馬の虚像を仕立てた裏利権を握る同和の闇の薩摩 〜巡礼の旅(601)〜

「写真を駆使して薩摩の悪事を隠蔽する情報操作を行った工作員の上野彦馬。後世で坂本龍馬の虚像を仕立ててヒーローとして広めた小説家・司馬遼太郎。真実を隠す工作員たちが働き日本の暗闇が作られて来た。その中心にいた人物が薩摩藩士の大久保利通だった。」

その日は、少し歩くと左の股関節の部分に痛みがあるのが分かりました。場所的には鹿児島県の位置で、闇の解除のサインだと感じました。ネットで光を降ろす場所を探していきました。自分の感覚で、幾つかの候補地を選んでいきました。


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蒲生(がもう)八幡神社、龍門滝、馬込の貫(まごめのぬき)、天降川(あもりがわ)、塩浸(しおびた)温泉龍馬公園を候補地としてピックアップしました。本命の確信がないまま、一つずつ光を降ろすことにしました。

蒲生八幡神社は鹿児島県姶良市蒲生町にある、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡三神を祭神とする神社です。境内にある推定樹齢1,600年の楠の大木「蒲生の大楠」が気になりました。光を降ろすと「大きい龍が出て来た」と伴侶が伝えて来ました。

蒲生八幡神社全体に光を降ろして龍門滝に移りました。龍門滝は、網掛川中流の鹿児島県姶良市加治木町にある高さ46m、幅43mの滝です。画像を観て龍門滝に光を降ろすと「入りました」と伝えられました。次に、馬込の貫に移りました。

馬込の貫は、霧島を流れる天降川の上流の奥天降にある岩場のトンネルです。西郷隆盛が、天降川の流れを引き込んで水田を作ろうと、トンネルを掘ることを提案したといいます。馬込の貫に光を降ろすと「OKです」と伴侶が伝えて来ました。

天降川は、鹿児島県湧水町の国見岳(標高648m)南麓を源流とし、鹿児島県中央部を流れる二級河川です。天降川に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。ここまでのワークで、核心に繋がる変化はありませんでした。最後の候補地は、塩浸温泉龍馬公園です。

塩浸温泉は、坂本龍馬が妻のお龍と新婚旅行で訪れた際、逗留したという温泉です。塩浸温泉龍馬公園を候補地に選んだのは、特定の場所に光を降ろすためではありませんでした。ワークのためではなく、坂本龍馬に関して何かを知る必要があると感じていました。

坂本龍馬は、ドラマ、映画、時代劇などに登場する歴史上のヒーロー的な存在ですが、謎も多い人物です。個人的には、天皇派の武器商人と思っていましたが、再度、龍馬についてのネット情報を調べて行きました。

坂本龍馬についてネット検索で調べて行くと《兵器商社亀山社中設立【坂本龍馬】グラバー終身工作員は司馬遼太郎の竜馬ではない》に行き着きました。「上野彦馬」は、初めて聞く名前でした。「死の商人グラバーの配下の影武者坂本龍馬は、グラバーに庇護された写真家の上野彦馬であろう」と推理されています。

グラバーは、幕末に活躍したスコットランド出身の武器商人です。上野彦馬は、幕末期から明治時代にかけて活動した写真家です。日本における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られています。

上野彦馬のウィキペディアには、幾つかの興味深いことが記載されています。長崎の蘭学者の父親の下に生まれており、オランダ人の教師の下で、科学を学んでいます。長崎に上野撮影局(写真館)を開業し、坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影しました。

さらに、金星の太陽面通過の観測写真も撮影しています。オランダと関係していることから「同和派」と感じます。坂本龍馬の姿は、1つの写真のみを通して世の中に広まっています。写真技術を持つ上野彦馬が工作できることは明らかです。

上野彦馬に光を降ろすと「工作員」と伴侶が伝えて来ました。やはり、同和派の工作員でした。司馬遼太郎は「龍馬がゆく」「坂の上の雲」など坂本龍馬像を描いた作品を書いた小説家です。司馬遼太郎についてネットで調べると「日本人を洗脳する工作員」の可能性を指摘するサイトがありました。

ワークで司馬遼太郎に光を降ろすと「同和でした。薩摩藩のことを隠すために龍馬を仕立てた」と伝えられました。歴史小説を用いた司馬遼太郎は、坂本龍馬の真実を隠し、架空の龍馬像を人々に刷り込んだのです。

「薩摩藩のことを隠す」とは、薩摩藩が実質的に武器を含めた裏世界の仕事をしていたことを示唆します。坂本龍馬が斬り殺されたとされる近江屋事件の黒幕について調べて行くと「大久保利通」に行き着きました。

大久保利通は、薩摩藩士であり、実質的な首相に登りつめた「維新の三傑」と評される人物です。私は大久保利通が黒幕であったと確信しました。大久保利通に光を降ろすと「とっても重い」と伴侶が伝えて来ました。魂が重く上がらないので、再度、全開で光を降ろしました。

「いいです。731の闇に通じる同和の大元と感じる」と教えてくれました。同和派の魂は、非常に思いのが特徴です。同和派のボスが大久保利通で、実働部隊の1人が上野彦馬だったと感じます。仕上げとして、小説家・司馬遼太郎が薩摩の同和の闇を隠すために坂本龍馬像を仕立て上げたのです。

薩摩藩の藩主・島津家の「丸十字」の家紋は、純粋の闇の「十字」をエゴの闇の「丸」で封じる意味があります。同和派は、天皇派を操って利益を得ていました。当時、グラバー、坂本龍馬のフリーメイソン天皇派を利用して、大久保利通を代表とする同和派の薩摩藩が武器、麻薬という裏世界の利権を牛耳っていたのだと思います。

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posted by 地球の子 at 14:10| 鹿児島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする