2021年12月07日

千葉 日本の近代医療の原点の1つとなるキリスト教の医療伝道 〜巡礼の旅(641)〜

「日本の近代医療の起源の1つがキリスト教・日本聖公会の医療伝道にある。千葉県・館山と北海道・函館から医療伝道が始まった。人命救助の名目の裏で松果体収穫を行う隠された闇。医療を隠れ蓑にして真実を隠し金儲けを行う重たい同和の闇で封印されて来た。」

八ヶ岳の麓の清里高原のキリスト教の封印に気づいて、ワークを行った後も、右手の指先のこわばりを感じていました。もしかしたら館山にもキリスト教の闇が置かれたかもしれないと感じました。過去に房総半島のエネルギーワークを行っていました。


1200px-北条海岸02.jpg

2015年4月の房総半島巡礼の旅で、千葉県館山市の安房神社、洲崎神社、不老山能忍寺などで闇の解除・統合のワークを行いました。その後も幾度か南房総の岬や海岸線にも光を降ろして来ました。館山×キリスト教でネット検索すると《安房大貫キリスト教会》がヒットしました。

そこには、「医療伝道」という初めて目にする言葉と共に、日本の近代医療の先駆けとなる情報が記載されていました。「安房大貫での宣教は、日本聖公会宣教の初期にあたる1882年(明治15年)に始まりました。当時、横浜港が開港されたことによる伝染病の流行にこの小村も冒されておりました。」

「築地にあった聖パウロ教会から大貫村出身の高橋久平が派遣され、医療を伴った伝道活動が大貫でのキリスト教の始まりでした。1889年(明治22年)には名医と評判が高かった築地聖パウロ教会信徒である伝道師泰呑舟が大貫村に移住し医療伝道を開始しました。」

ようやく日本の医療の闇の仕組の全体像が掴めました。やはり主体はキリスト教だったのです。安房大貫キリスト教会も、清里聖アンデレ教会と同様に、日本聖公会のキリスト教会でした。日本聖公会は、宗教改革の中から英国で生まれたキリスト教の一教派の聖公会が主体です。

聖公会は、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから中道(Via Media)の教会であるとされます。明治時代は、米国聖公会、英国国教会のS.P.GとC.M.S、カナダ聖公会の4つがアングリカン・コミュニオンとして伝道して来ました。1859年に米国聖公会宣教師チャニング・ウィリアムズが日本聖公会の初代監督になりました。

1887年に日本聖公会が成立されました。また、「医療伝道」とは、医療活動を通し、地域に奉仕しながら伝道することとされます。西洋医学の医療活動をすることでキリスト教を布教していったのです。過去のワークで「聖路加国際病院」が米国派の中心拠点だと分かっていました。

聖路加国際病院は、1901年(明治34年)、米国聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラーが前身の築地病院を買い取り、聖路加病院としたのが始まりでした。館山市での医療伝道についてネットで調べていくと《医療伝道と幼児教育に捧げたイギリス人・コルバン医師夫妻》に行き着きました。

英国聖公会の医療宣教師コルバン博士夫妻の活動が記されていました。コルバン医師夫妻は、1898年(明治31年)、布教拠点である元町の聖ヨハネ教会のある函館に着任しました。聖ヨハネ教会は、1874年(明治6年)に英国人のデニング司祭が来函し、北海道の聖公会では最も古い歴史を持ちます。

聖ヨハネ教会は、長い歴史の中で、特に医療、教育事業を積極的に展開する活動をしてきました。当時、函館の貧民街であった大森町に診療所「コルバン病院」を建てて、医療伝道を通して献身的奉仕活動をしたとされます。

1905(明治38)年にコルバン医師が倒れ、北条町八幡海岸(現在の館山市)で転地療養を行ないました。病状悪化後、英国に一時帰国しました。1912(大正元)年に再来日、自給宣教師として活動しました。八幡海岸に結核療養者のための養生院(コルバンホーム)を建てました。

その後、北条町のキリスト教会(現在の聖アンデレ教会)で伝道に尽力しました。関東大震災後も医療伝道を続け、南三原に教会と幼稚園を設立し、安房地域の幼児教育にも貢献したといいます。闇の解除・統合を目的にして、ワークの対象に光を降ろすことにしました。

安房大貫キリスト教会、館山聖アンデレ教会、泰呑舟(はたどんしゅう)、コルバン医師夫妻の夫々に光を降ろしました。ここで、函館と館山に注目しました。キリスト教聖公会の医療伝道が行われた場所が、どうして、北海道函館市と千葉県館山市だったのかです。

函館は、北海道の入口となる港街であり、光の場所だったから封印する必要があったと感じます。現在の函館市周辺地域には、聖ヨハネ教会の他にも、カトリック元町教会、函館ハリストス正教会、トラピスト修道院、トラピスチヌス修道院など多くのキリスト教施設があります。

過去のワークでは、函館周辺には、大きな剣、ドラゴン、亀、マリアなどが、光を封じる闇のエネルギー体として置かれており、光を降ろして解除・統合していました。さらに、キリスト教は、函館を拠点にして北海道の先住民・アイヌ民族を秘密裏に封じて行ったと感じています。

一方、館山市は、房総半島の先端にあり、渡来人の忌部氏が上陸した地でもあります。純粋な闇の役割の忌部氏は、麻と水の場所である房総半島から関東平野を封じて、神社を置いて行きました。館山の地は、関東を封印するための入口としての光の場所だったと感じます。

日本を深い闇にするために、大きな光の地である北海道と房総半島をキリスト教の大きな重たい闇で封じる必要があったと感じます。北海道と房総半島のキリスト教の闇の解除・統合のワークは、まだ残っています。

【関連記事】
松果体収穫の医療と原爆という真実を隠す工作の闇の歴史を引継ぐ長崎大学
東京 満鉄の闇を引継ぐ電通を中心とする日本の暗闇の構図 〜巡礼の旅(631)〜
米国 夢で教えられた統合のヒントのジョンズ・ホプキンズ大学とクエーカー教 〜巡礼の旅(633)〜
posted by 地球の子 at 12:35| 千葉県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする