2021年12月13日

北海道 アイヌ民族が虐げられ隠蔽された北海道開拓の暗黒の歴史 〜巡礼の旅(642)〜

「北海道開拓の名の下にアイヌ民族が虐げられて利用された。大麻や阿片栽培による資金稼ぎとキリスト教の医療伝道による松果体収穫で封じられた。松、薬の裏世界の金儲けに通じる。全ては権力者のための金儲けであり、中国、朝鮮、台湾、樺太の植民地統治に繋がる。」

これまでのワークやヒプノセラピーから、北海道開拓が開拓という名の下で純粋なものが封印されたことが分かっていました。日本列島に光を供給する源となる自然豊かな北海道に大きな闇が置かれて来たのです。その1つが、大麻や阿片です。


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秘密裏に資金稼ぎのための大麻や阿片でという麻薬が生産されていたことです。富国強兵、殖産興業の旗の下、明治維新以降の日本は、近代化を進めるために大きな資金が必要でした。日清戦争後、台湾、朝鮮半島、中国の植民地を阿片政策によって統治して、軍資金を得て来ました。

台湾、朝鮮半島、中国満州の開拓と共に、麻薬生産、密売をして来たのです。北海道開拓は、日本の植民地統治と同じ手法が用いられたと感じます。犠牲になったのは、台湾人、朝鮮人、中国人など現地の人々でした。北海道での犠牲は、現地人としてのアイヌの人たちです。

中国満州での731部隊による人体実験は、北海道のアイヌ民族にも行われていたと感じています。人体実験と共に松取り(松果体収穫)が行われていたと見ています。日本の植民地開拓と北海道開拓の違い1つは、キリスト教の存在です。

深い闇の主体は、医療伝道、札幌農学校(現在の北海道大学)、お雇い外国人がキーワードになります。これら3つには、いずれもキリスト教が深く関わっています。闇の仕組を構築するには、隠蔽と改竄が必須です。それは、今の日本の政府や行政機関を見れば分かります。

ネット検索による情報収集とエネルギーワークによって、北海道開拓の真実を紐解いて行くことにしました。北海道開拓の始まりは、玄関口である函館です。江戸時代の鎖国政策が終わり、近代化のための窓口として、函館、横浜、神戸、長崎、新潟が中心の港とされました。

キリスト教の各宗派の宣教師は、5つの港で布教を始めました。函館で注目した場所は、元町の聖ヨハネ教会です。1878年(明治11年)に開所された日本聖公会の北海道教区の教会です。最初に司祭となったのは英国人宣教師のウォルター・デニングです。

デニング司祭(1856年-1913年)は、英国聖公会宣教協会に属し、マダガスカルに派遣されました。1873年(明治6年)に、日本の長崎に赴任し、翌年、北海道に渡り、函館で初めて伝道活動を行いました。1876年(明治9年)アイヌの中心地平取(びらとり)に渡りました。

そこでアイヌ語を研究したとされます。「アイヌの父」と呼ばれたアイヌ研究家として、ジョン・バチェラーがいます。ジョン・バチェラー(1854年-1944年)は、イギリス人の聖公会の宣教師です。イギリス教会宣教会(CMS)に入会し、香港で学びました。

香港で学んでいる時健康を害して、1877年(明治10年)に、静養のために函館に来ました。函館で伝道している中で、アイヌ民族のことを知り、アイヌ伝道を志します。バチェラーは、1879年(明治12年)に、CMSの信徒伝道者に任命され、函館を拠点にアイヌへの伝道活動を始めます。

1879年にアイヌの中心地の一つである日高地方の平取を訪問しました。1885年(明治18年)、幌別村(現在の登別市)を訪れ、アイヌへキリスト教教育の他、アイヌ語教育を始めます。1888年(明治21年)、アイヌの金成太郎を校主としてキリスト教教育を行なう私塾の相愛学校を設立します。

1892年(明治25年)、アイヌが無料で施療できるように、アイヌ施療病室を開設します。医療を隠れ蓑にした松取りだったと推測します。ウォルター・デニングとジョン・バチェラーの御魂が上がるよう光を降ろすといずれも「プレアデスの闇」と伝えられました。

2人が重たくなっているのが分かります。ウォルター・デニングやジョン・バチェラーのアイヌへの熱心な布教には目を見張るものがあります。しかし、別の意味で裏があると感じました。実は、北海道には、昔から野生大麻が多いことが知られています。

北海道の気候風土は大麻栽培に適しており、大切な収入源として多くのアイヌ民族が携わって来たことがサイトに記されています。松浦武四郎の告発です。ヒプノセラピーで松浦武四郎は、自然豊かな光の大地・北海道を金儲けのための医療で封じた人物と伝えられました。

「1858(安政5)年、松浦武四郎は現在の八雲町から様似町の一帯でアイヌの人たちが大麻を栽培しているが、場所請負人の利権を脅かすため秘密にされていたと告発する(近世蝦夷人物誌)」という情報(北海道の大麻栽培史)もあります。

しかし、アイヌと大麻を結びつけるネット情報は極めて少なく、アイヌ民族が江戸時代から大麻栽培を行って来たことが意図的に伏せられていることが窺えます。また、私塾「相愛学校」を母体とした愛隣学校には、日本基督教会の信徒である片倉景光が関わっていました。

片倉景光は、北海道開拓で先人を切り、白石区の地名を残した旧仙台藩家老・白石片倉家第14代当主です。北海道開拓の片倉家と諏訪の片倉財閥は、アイヌとも深く関わっていたと感じます。北海道開拓は、和人も異人も、裏でアイヌ民族を利用して資金稼ぎをしていたことが垣間見えます。

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posted by 地球の子 at 12:43| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする