2021年12月19日

北海道 清教徒が入植した米国マサチューセッツ州の影響を強く受けた北海道開拓の歴史 〜巡礼の旅(643)〜

「東北地方を旅した英国人のイザベラ・バードキリスト教は医療伝道という松取り工作員だった。米国マサチューセッツ州から北海道開拓のために来道したお雇い外国人が多数いる。キリスト教の闇で、北海道の豊かな自然の光を封じるための役割を担っていた。」

函館に関係するキリスト教のアイヌ伝道活動をした宣教師の1人として、チャールズ・ネトルシップがいます。1889年(明治22年)、英国聖公会所属の宣教師としてニュージーランドから来日します。当時、英国聖公会が北海道のアイヌ教育に非常に力を入れていました。


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1892年(明治25年)、ジョン・バチュラーの援助により函館・元町にアイヌ民族の学校を設けました。翌年、谷地頭山腹に校舎を新築し、ネトルシップは校長となります。キリスト教の医療伝道をネットで検索していくと《英国人冒険家イザベラ・バードの見た明治期の日本》に行き着きました。

1878年(明治11年)、英国人の冒険家、紀行作家のイザベラ・バードが東京から日光、新潟を経て、北日本各地を巡りながら北海道へと至る旅をして、旅行記(完訳 日本奥地紀行)を残しています。英国人のイザベラ・バードが気に成りなりました。

イザベラ・バードが新潟に立ち寄った目的は、医療伝道活動について学び知ることだったといいます。彼女が東京以北の日本を旅したことが興味深く思いました。東北、北海道の純粋な土地を封じる意図が垣間見え、明らかに工作員だと感じました。

イザベラ・バードが接触した宣教師には、聖公会所属以外に「エディンバラ医療宣教会」がありました。1841年に米国の宣教医のP・パーカーがスコットランドの首都エディンバラを訪問した際、アバクロンビー医師に医療伝道の急務を訴えました。

その時に、アバクロンビーが海外の医療伝道に関心を持つ人々のキリスト教団体に働きかけました。その後「エディンバラ医療宣教会」が設立され、アバンクロンビーが会長になりました。設立以来、インド、中国、アフリカ、トルコ、シリア、エジプト、ローマ等に宣教師を派遣しました。

1885年までに170名を世界各地に派遣したとされます。米英中心のキリスト教団が医療伝道を通じて、医療を世界に広げた歴史が分かります。チャールズ・ネトルシップとイザベラ・バードに光を降ろすと「プレアデスの闇」と「スパイ」と伝えられました。

さらに、日本初の医療伝道でネット検索すると「ジェームス・カーティス・ヘボン」がヒットしました。ヘボン(1815年-1911年)は、米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師です。ヘボン式ローマ字の考案者として知られており、幕末に訪日し、横浜で医療活動を行いました。

宣教師デュアン・シモンズと共に、横浜の近代医学の基礎を築いたといわれます。東京で明治学院を創設し、初代総理に就任しており、日本の教育にも貢献しました。ヘボンとシモンズの御魂が上がるよう光を降ろすとヘボンについては「文鎮のように重たい」と伝えられました。

キリスト教による日本での医療伝道は、米国派の聖公会が中心ですが、教派を超えて行われて来たと感じます。裏インドの闇の役割としての軍産複合体がベースの米国は、キリスト教が土台となっていたことが分かります。

続いて、北海道開拓についてネットで調べて行くと《北海道・マサチューセッツ協会》のサイトを見つけました。北海道開拓時代に米国マサチューセッツ州出身の優れた専門家が来道しました。当時、お雇い外国人と呼ばれた専門家たちです。

ケプロン、ライマン、クラーク、ホイーラー、ペンハロー、ブルックス、カッターなどのお雇い外国人です。1990年(平成2年)、北海道と米国マサチューセッツ州が姉妹提携の調印を行いました。それを契機に「北海道・マサチューセッツ協会」が設立されました。

日本は、幕末から明治にかけて、欧米の技術・学問・制度を導入して「殖産興業」「富国強兵」を推し進め近代化を目指していました。お雇い外国人とは、明治維新前後の近代化のために日本の政府や府県などによって雇用された外国人です。

1871年(明治4年)-1881年(明治14年)での北海道の開拓使「お雇い外国人」は78人で、その60%以上が米国人です。一方で、日本全体のお雇い外国人の数は、統計資料によると1868年(明治元年)-1889年(明治22年)で、2,690人です。英国人が40%以上で、米国人が15%だといいます。

北海道開拓が、いかに米国人の力を借りていたかが分かります。開拓長官・黒田清隆は、外国人雇用と機械購入を目的に渡米、連邦政府農務局長・ホーレス・ケプロンと面会し、開拓使顧問に迎える契約を結びました。

ケプロンは米国から優秀な人材を呼び寄せ、農業、工業、鉱業、医学など、さまざまな分野に送り込みました。ケプロンやクラークなど、北海道開拓の際の主要なお雇い外国人が、米国マサチューセッツ州出身でした。「どうしてマサチューセッツなのだろうか」という疑問が浮かびました。

しかし、すぐに「清教徒が入植した場所だ」と思いました。調べてみると、英国からの清教徒によってプリマス植民地が設立された場所でした。1620年にメイフラワー号の乗船客ピルグリム(清教徒)が、現在の米国マサチューセッツ州プリマスに移住しました。

ピルグリムは、ジェームズ1世による弾圧を恐れてメイフラワー号に乗りアメリカに渡ったのです。16世紀、イングランド女王エリザベス1世がイングランド国教会を確立しましたが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになりました。

特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていました。イングランド国教会は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称で、世界に広がる「聖公会」のうち最初に成立し、その母体となった教会のことです。

キリスト教の聖公会の母体である英国国教会から分離した教派が、米国マサチューセッツ州に移住して、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することを目指しました。マサチューセッツ州の名称は先住民のインディアンであるマサチューセッツ族に由来します。

清教徒は、布教と開拓の名の下にインディアンと対立して虐殺した事象も残っています。その米国マサチューセッツ州出身の専門家たちがお雇い外国人として北海道開拓のために来道したのです。清教徒の米国入植によるインディアンの犠牲と北海道開拓によるアイヌの犠牲が重なって来ると感じます。

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posted by 地球の子 at 11:40| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする