テレビ番組で神奈川県葉山町にある登録文化財「旧東伏見宮別邸」を知りました。一昨年10月末まで約12年居住していた葉山に、御用邸以外の皇室別荘があるとは知りませんでした。調べて見ると、正式名は「イエズス孝女会修道院旧館(旧東伏見宮葉山別邸)」と記されています。

イエズス孝女会修道院旧館は、東伏見宮依仁親王(1867-1922)の別邸として、大正3年(1914年)に竣工しました。昭和27年(1953年)に横浜カトリック司教館が買い取り、翌年イエズス孝女会修道院に譲渡され、2回の改修を経て現在に至っているといいます。
葉山には、明治27年(1894年)の御用邸設置以前から、有栖川宮、北白川宮が別邸を置かれていました。その後も、東伏見宮、高松宮、秩父宮が別邸を置いたとされます。葉山町に多くの皇族の別荘が作られたのは、海を通して富士山を見ることができる風光明媚なロケーションが理由だといいます。
また、葉山御用邸が置かれた時は、日清戦争が始まった時でした。葉山町の選定には、隣である横須賀市に大日本帝国陸軍の要塞砲兵第一連帯(後の東京湾要塞砲兵隊)があり、大本営としての天皇のアクセスも考慮されたようです。
イエズス孝女会は、1871年、スペイン・サラマンカ市において福者イエズスのカンディダ・マリアによって創立されました。主に教育事業を通して人々のために働くことを目的としています。日本には1951年、2人のシスターが宣教師として来日して、神奈川県葉山町にあけの星幼稚園を設立しました。
以来、各地で幼稚園や学生寮を経営し、社会・教育活動をしているといいます。イエズス孝女会についてのネット情報は少ないです。キリスト教カトリック教会ですが、個人的にはイエズス会と関係があると思います。皇族の別荘地がカトリックの修道院に譲渡されたことがヒントだと感じます。
横浜カトリック司教館を調べると、カトリックの広がりは、歴史的にも長崎を起点にしているようです。ウィキペディアによれば東伏見宮依仁親王は、軍歴として1884年(明治17年)に英国留学しました。さらに、1890年(明治23年)フランス・ブレスト海軍兵学校を卒業します。
その後、横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任し、海軍大将の地位に就いています。英国に留学し、さらに仏国の海軍兵学校を出ていることが不思議にも見えます。多くの皇族が英国へ留学するのは、色々な意味で欧州との繋がりが重要だからだと感じます。
《皇室別荘集中する葉山》の記事を読んで行くと「皇室侍医であったドイツ人医師のベルツの進言もあり、明治天皇も葉山の地を気に入って、有栖川宮別邸の隣接地に明治27年、葉山御用邸が創設されたと伝えられる」と書かれていました。
皇室侍医のベルツの正式な名前は、エルヴィン・フォン・ベルツ(1849年-1913年)です。ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとりです。27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くし、滞日は29年に及ぶといいます。
ベルツのウィキペディアを見ると「1897年(明治30年)、樺太アイヌ調査の為、北海道石狩を訪問」と記されていて気になりました。北海道開拓時代、札幌農学校を中心にしてアイヌ民族が人体実験にされていたことは分かっています。
医療伝道を目的とした米国のキリスト教宣教師やお雇い外国人も関係していたと感じていました。ネットで調べて行くと《ベルツの見た樺太アイヌ 100年ぶりに明らかになったベルツの樺太アイヌ調査》の記事を見つけました。
コレラや天然痘によって多くの樺太アイヌが亡くなったと下記の記述がありました。「八幡(はちまん)墓地にひとつの石碑が建っています。明治初めに樺太から連れてこられ、石狩河口右岸の来札(らいさつ)でサケ漁に従事し、コレラや天然痘によって多くの方が亡くなった樺太アイヌの数奇な運命を伝える石碑です。」
さらに調べると《北海道開拓の先覚者達(81)〜アイヌ民族―6》には以下の時系列の情報が記載されていました。「日本政府はこの樺太アイヌの人々を日本に移住させることにした。」「1875年9月、108戸841人が北海道に移住し、宗谷に住み着いた。
翌年、開拓使は彼らを農業開拓に従事させるべく、石狩の対雁(ツイシカリ・今の江別)に強制移住させる。」「1879年にはコレラが流行。30人の死者を出した。1886年には対雁から石狩川河口へ再度移住させられたが、再びコレラや天然痘が流行し、翌年には370人が病死。
移住した841人のうち、400人以上がわずか7年で亡くなったのだ。」以上の情報から客観的に捉えると、樺太アイヌは、北海道に強制移住させられて、松取りと共に実験台にされていたと感じます。731部隊に先駆けて行われていたアイヌ民族を利用した医学のデータ収集だったと思います。
ベルツは、東京帝国大学で内科学、産婦人科などを教え、臨床を重視する実直な学風を日本に伝えたことから「日本近代医学の祖」と呼ばれます。東大を辞めたあと、明治天皇の侍医となりました。日本は、広島長崎の原爆投下、地下鉄サリン事件などを含めた実験場でした。
現代医療のデータ収集のための実験の地と成って来たと感じていました。それは、明治維新、北海道開拓時代のアイヌ民族から始まっていたのです。ベルツを調べることで、金で支配していた欧州の闇が垣間見えます。日本における医療データ収集の暗闇は、表の米国だけではなく裏の欧州が深く関わっていたと感じます。
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