部落解放同盟の前身の団体として「全国水平社」があります。全国水平社は、1922年(大正11年)3月、西方万吉(さいこうまんきち)を中心として結成された、第二次世界大戦以前の部落解放運動団体です。大正デモクラシー期の日本において被差別部落の地位向上と人間の尊厳の確立を目的としていました。

西方万吉(1895年-1970年)は、戦前日本の部落解放、社会運動家、政治運動家、著述家で、本名は清原一隆です。奈良県御所市の被差別部落の寺院、浄土真宗本願寺派の西光寺に生まれ、水平社旗の意匠の考案者及び水平社宣言の起草者として知られています。
部落解放同盟と全国水平社の団体旗である「荊冠旗(けいかんき)」が気になりました。荊冠とは、ナザレのイエスが十字架の上で被せられた荊(いばら)の冠であり、受難と殉教の象徴とされます。水平社時代の荊冠旗は、黒地の中の血の色の荊冠が描かれていました。
黒地の黒色は差別が続く暗黒時代を象徴し、血の色の赤色は殉教の象徴とされます。部落解放同盟と全国水平社の団体旗に、どうしてキリスト教の思想が入っているのか不思議でしたが、浄土真宗という仏教宗派がキリスト教の闇を色濃く受継いでいることを考えると理解できます。
西方万吉の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「この人も橋下弁護士に乗っかっていたと思う。目から闇が出ている」と伴侶が伝えて来ました。西方万吉もシリウスの闇のサポート受けていました。橋下弁護士は、部落解放運動の歴史的人物の闇のエネルギーを背負っていたと感じます。
西光寺の場所をグーグルマップで探していた伴侶が、塀に描かれた目玉のシンボルマークを見つけたと教えてくれました。円の中心に目玉があり、それを取り巻くように6つの目玉が配置され、時計回りに動いている図案に見えます。
大阪万博のロゴマークと構図が似ているシンボルです。西光寺と目玉のシンボルに光を降ろすと「いいです」と伝えられました。荊冠旗にも光を降ろすと「これと西光寺の目玉を掛けたのが大阪万博のロゴ」と伴侶が伝えて来ました。部落解放運動と大阪万博は同じ闇で繋がっています。
部落解放運動の背後に存在してきた闇のエネルギーが大阪万博のロゴと現れたと感じます。荊冠旗のウィキペディアから「INRI」のウィキペディアに飛びました。INRIとは、イエス・キリストの磔刑において、その十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語です。
ラテン語で「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」で書かれ、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。INRIのウィキペディアを読んでいくと、イスラエルのエルサレムから南に約13kmの「ヘデロ大王の要塞都市ヘロディオン」の画像に着目しました。
ヘロデ大王は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ王国を統治した王で、ローマ元老院によって王族ではないがユダヤの王として認められ、ヘデロ朝を創設し、ローマとの協調関係を構築しました。へエロ王はローマの配下にあったのです。
「ヘデロ大王は、イエスを危険視し、後にベツレヘムで幼児虐殺を命じる」と記されていました。ヘロディオンに光を降ろすと「ユダヤ人の松果体を取ることをしていた場所」と伴侶が伝えて来ました。バチカンを中心とするローマ・カトリックのキリスト教の闇の根源だと思いました。
イエス・キリストが頭に荊の冠を被る姿は、人間の魂が宿る松果体を封印することを意味しています。魂を虐げて魂の光を封じるという意味です。現実的には、特権階級などの支配層の人間が幼児などの松果体を摂取することで魂の光を享受することになります。
イエス・キリストの磔刑の背後には、ユダヤ人の生贄としての松果体という魂の光の摂取があったのです。松果体摂取という隠された闇が、全国水平社や部落解放同盟の荊冠旗、大阪万博のロゴに反映されており、日本を支配する同和の闇に根源に繋がっていると感じます。
橋下徹弁護士の出生地と過去の居住地は《「最も危険な政治家」橋下徹研究(上原善広著)》によると、東京都渋谷区幡ヶ谷と大阪府八尾市とされます。この2つの場所に同和の闇の解除・統合のヒントがあると感じて、ネットで調べていきました。
まず、出生地とされる東京都渋谷区幡ヶ谷の「幡ヶ谷(はたがや)」の地名から「秦氏」と直感しました。八幡神社の名前は「秦氏」に由来すると分かっていたからです。秦氏のウィキペディアを調べると、八幡山や幡ヶ谷の地名も秦氏の拠点だったとされるとの記述があります。
秦氏はネストリウス派キリスト教(景経)を日本に伝え、松尾大社、伏見稲荷大社、広隆寺、梅宮神社など数々の寺社を作ったとされる渡来人です。秦氏の役割の核心は、魂の光を封印する松果体摂取という闇の仕組を日本に広めたことだと感じています。
秦氏の先祖は徐福の一団という説もあります。徐福は、秦の始皇帝の命を受けて、不老長寿の霊薬を探しに3000人の男女を船団で引連れて、南は九州から北は青森まで日本の各地に立寄ったという徐福伝説が残っています。この「不老長寿の霊薬」こそが、日本の先住民の松果体だったのです。
こうして日本の神社や寺院にて、松果体摂取という隠された闇の仕組が構築されて来ました。幡ヶ谷のウィキペディアを読むと「幡ヶ谷は、村の氏神である氷川神社と、そこから延びる国分寺道・中幡ヶ谷道周辺に集落が形成されたのが村の始まりである」と記述されていました。
ワークの対象候補の1つとして「幡ヶ谷氷川神社」を選びました。幡ヶ谷氷川神社は、東京都渋谷区本町にあり、かつては旧幡ヶ谷村の総鎮守、現在では幡ヶ谷地域の氏神様として尊崇されている神社です。主祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
神社の起源は古く、幡ヶ谷地域に住み着いた原住民が氷川神社から分祀されたものと推測されます。氷川神社(大宮氷川神社)は、埼玉県さいたまし大宮区にある神社で、主祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)です。
東京都、埼玉県周辺に約280社ある氷川神社の総本社です。大宮氷川神社のウィキペディアを読むと「門客人(もんきゃくじん)神社」が摂社としてありました。門客人神社は、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが客人神として祀られています。
このアラハバキ社は大宮氷川神社の地主神とされます。これまでのワークから素戔嗚尊は、牛頭天王と併せて、松果体摂取から派生した生贄に関係していることが分かっていました。幡ヶ谷氷川神社と大宮氷川神社に、それぞれ光を降ろすと「いいです。光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。
大宮氷川神社の摂社の門客人神社に光を降ろすと「いいです。先住民が沢山取れますようにと松を取るために祈願した神社」と伝えられました。松果体摂取は、人間の松果体だけではなく、動物の松果体もあると感じています。人と動物の魂の光を取っていたのです。
ウィキペディアによると、アラハバキの姿として、「東日流外三郡誌」の中で「遮光器土偶」の絵が示されているといいます。過去のワークから「遮光器土偶」は、分離の働きをする闇のエネルギーを駆使するアンドロメダの宇宙人の姿であることが分かっています。
このアンドロメダの宇宙人を模した遮光器土偶のアラハバキが「アヌンナキ」だと直感しました。パレスチナ自治区の都市ヘブロンにある宗教史跡マクペラの洞穴のワークを行っていました。マクペラ洞窟に光を降ろすとアブラハムのエネルギー体が光に還っていきました。
アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖とされますが、アブラハムの姿をしたのは6体程のアヌンナキでした。レンブラントの絵画作品「アブラハムとイクサ」には、神にひとり子イクサを捧げようとするアブラハムと、それを制止する天使が描かれています。
この描写が幼い子供の松果体摂取の原点だと感じます。「原始キリスト教はアヌンナキが人間の松果体に宿る魂の光を取っていたのを人間が真似たのが始まり」と伴侶が話してきました。門客人神社(アラハバキ神社)は、先住民がアヌンナキと神として祀っていた場所です。
「アラハバキ」とは人を殺めるための呪文でもあり、松果体の沢山取れますようにと祈願したのだと感じます。原始キリスト教を起源とする松果体摂取という隠された闇の仕組が、徐福や秦氏などの渡来人によって、寺社の構築と共に日本に広められていったのです。
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