2022年08月16日

インドネシア 支配者層の隠されたODA利権と大東亜共栄圏構想下で構築されたアジア諸国が絡む松果体利権網 〜巡礼の旅(682)〜

「菅前首相の初外遊先のインドネシアはODA利権の疑惑を感じる。国家の権力者同士が組んで国の予算を懐に入れる構図がつくられている。そのベースが太平洋戦争時の大東亜共栄圏構想。日本を中心とするアジア諸国には工作員が暗躍し支配者層の松果体利権網が構築されてきた。」

2020年9月30日、《菅首相、10月に初外遊 ベトナム・インドネシアで調整》のニュース記事を読みました。三浦春馬さんの自殺報道の記事から安倍晋三前首相のODA不正疑惑があると知ったので、ODA利権に何か関係している可能性があると感じました。

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日本の総理大臣が交替する際には、ODA利権が引継がれるのかもしれません。いずれにしても、ODAとODA利権についてネットで調べていきました。ODA(政府開発援助)は、発展途上国の経済発展や福祉の向上のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のことです。

ODAには、二国間援助と多国間援助の2種類があります。二国間援助は、先進国側が直接、発展途上国に、有償、もしくは無償の資金などを援助するもので、有償資金協力、無償資金協力、技術協力があり、担当する機関は、国際協力機構(JICA)です。

多国間援助は、日本においては、国際連合世界食糧計画(WFP)、国際連合開発計画(UNDP)、国際連合児童基金(UNICEF)、世界銀行(IBRD)、アジア開発銀行(ADB)などの国際機関に資金を拠出しています。日本からODAはアジアに対するものが大きいです。

日本のODA拠出がアジアに大きく偏っているのは、第二次世界大戦の戦後賠償が発端になっているからです。日本が最初にODAを拠出したのは、1954年にビルマと結んだ協定での賠償供与です。ウィキペディアによると、日本の二国間援助の累積総額で、1番援助している国は、中国(中華人民共和国)です。

日本の中国に対するODAは、2007年度末まで行われており、多国間援助を合わせて約6兆円になります。親中派の政治家が存在する意味は、ここにあると感じます。また、外務省のODA実績によれば、2018年の日本の二国間政府開発援助の供与相手国上位10か国は、以下の通りです。

1.インド、2.バングラデシュ、3.ベトナム、4.インドネシア、5.フィリピン、6.イラク、7.ミャンマー、8.エジプト、9.タイ、10.ケニア。総支出額は、インド(約2,231億円)、バングラデシュ(約1,297億円)、ベトナム(約673億円)、インドネシア(約637億円)、フィリピン(約562億円)などです。

また、《おしえて!ゲンさん!》によると日本の戦後賠償相手国は、支出額順に以下の通りです。フィリピン(1,980億円)、インドネシア(1,439億円)、ビルマ(ミャンマー:1,332億円)、タイ(150億円)、南ベトナム(140億円)などです。

菅義偉首相が10月に外遊予定のベトナム、インドネシアは、戦後賠償とODAのいずれにおいても拠出上位国になっています。ODA利権をネット検索すると《Wikipediaノート:中島慎三郎》が目に入りました。そこには、意味不明な言葉の羅列がありました。

「東南アジア ODA利権 ブローカー 政商 インドネシア政府要人 酒、お食事、夜のもてなし デヴィ夫人 瀬島龍三」が記されていました。9個のキーワードの中には、誰もがテレビで目にする著名人の名前もあります。ODA不正やODA利権を解明するためのヒントだと直感しました。

インドネシアのODAに関わる不正の全体像を描いていると感じて、個人名を中心に、さらに探っていくことにしました。意味不明な言葉の羅列が記されていた《Wikipediaノート:中島慎三郎》から、まず「中島慎三郎」について調べていきました。

ウィキペディアによると、中島慎三郎(1919年-2011年)は、日本の通訳者、ASEANセンター代表、インドネシア料理店経営者で、本名は中島進八郎です。1938年(昭和13年)、東京府立実科工業高校(現・東京都立墨田工業高校)を卒業し、陸軍航空本部建築課へ勤務します。

1939年(昭和14年)、日本大学在学中に、徴兵で陸軍野砲兵第一連隊に入隊し、南支(中国南部)、フランス領インドシナ、中支(中国中部)、マレー半島等を転戦し、最終階級は上等兵です。戦後は、福田赳夫元首相の通訳を務め、東南アジア問題では様々な検索を行います。

東南アジアに広い人脈を持ち、1966年、ASEANセンターを設立し、主宰を務めます。事務所は、東京都港区にあるインドネシア料理店ビルの地下にありました。2011年(平成23年)11月23日、死去し、享年92歳でした。日本アセアンセンターは、ASEAN加盟国政府と日本国政府との協定によって1981年に設立された国際機関です。

正式名称は「東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センター」といい、日本とASEAN諸国間の「貿易」「投資」「観光」という3分野における経済促進と、「人物交流」の促進を主な目的として活動しています。中島慎三郎は、ウィキペディアを見る限り、東南アジア諸国のODA利権の仕組構築に深く関係した工作員のような人物と感じます。

《Wikipediaノート:中島慎三郎》には、中島慎三郎について、「1965年9月に起きた親中国派によるクーデター「9月30日事件」後も米国はスカルノ続投支持の方針であったが、中島は藤原岩市(元F機関長)らとともにスカルノを排し、1966年(昭和41年)のスハルト政権誕生に力を尽くした。」、

「日本敗戦後、インドネシアにあった日本軍はインドネシア人へ武器を渡すことを連合国軍によって禁じられていたが、宮元静雄(元第16軍作戦参謀)らは膨大な数の武器がインドネシア側へ渡るよう密かに工作した。第16軍司令官は連合国軍によって処刑された。

しかし、インドネシア人はこの武器で英軍、オランダ軍と戦い独立を勝ち取った。」、「日本のODAインドネシア利権は、最初は スカルノ=岸信介・木下商店ラインだったのがデヴィ夫人や小林楠男の活躍で スカルノ=岸信介・児玉誉士夫・東日貿易になった。

クーデターでスカルノが失脚すると スハルト=福田赳夫ラインが形成され、今日に続くと。 で中島は自身のことをスハルト=福田ラインの人物だと誇示しているわけです。」と記されています。《日本占領時期のインドネシア》には、参考となる記述がありました。

第二次世界大戦中の1942年3月から1945年9月終戦にかけて、大日本帝国が占領した「蘭印」と通称される当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)について記述されています。日本が大東亜戦争(太平洋戦争)を通じて、何故インドネシアなどアジアの植民地を拡大しようとしてきたのかが問題です。

欧米の支配下にあったアジア諸国の独立を促すためという名目ですが、日本が「大東亜共栄圏」の構築を目指したのは、第一に松果体利権の拡大があったからだと感じます。松果体利権は、地球において、古くから最高の秘密とされて来た支配者の利権です。現代の支配層によるアドレノクロムを通じて利益を得る権利に繋がります。

松果体利権の獲得と拡大は、歴史的に植民地を拡大させてきた欧米列強も同じだと思います。大東亜戦争の敗戦後も、日本は植民地だったインドネシアにおいて、松果体利権の維持するために工作活動を続けて来ました。それが、戦後補償、ODA拠出に繋がったのです。

利権を持つ支配層の権力者たちが真実の姿を隠して利益を分配するスキームを作って来たのです。中島慎三郎の御魂が光に還るよう意図して光を降ろすと「いいです。工作員だった」と伴侶が伝えて来ました。やはり中島慎三郎は、日本の工作員でした。次に、「瀬島龍三」についての情報を得るためにネットで調べていきました。

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posted by 地球の子 at 13:35| インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする