琉球王国の王家第二尚氏第23代当主の尚衞氏が、三重県伊勢市在住ということが引っかかっていました。伊勢市というと「伊勢神宮」が思い浮かびます。琉球王国王家第二尚氏と伊勢神宮が何か関係あるのかもしれないと感じて、関連情報を収集することにしました。
ネット検索していくと《伊是名島二見ヶ浦海岸と伊勢市二見ヶ浦【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】》を見つけました。沖縄県の伊是名島(いぜなじま)には、三重県伊勢市にある二見ヶ浦と同じ名前の二見ヶ浦海岸があるといいます。
筆者は、尚衞氏の養女で第21代聞得大君(きこえおおきみ)の尚満喜(しょうまき)氏です。尚満喜氏は、現在、神職資格を取得し、東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人「琉球歴史文化継承振興会」の副代表理事を務めています。
伊是名島は、沖縄本島北方に位置しており、琉球王国の王家第二尚氏の始祖・尚円王(金丸)の生まれた島として知られています。琉球王国の王家第二尚氏と伊勢市が繋がったのです。伊勢市二見ヶ浦には、夫婦岩で知られる「二見興玉(ふたみおきたま)神社」があります。
ウィキペディアには「古来、伊勢神宮に参拝する前や祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。
現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行う。」と記載されています。伊勢神宮参拝の前に浄めのために二見興玉神社で祓い清めを受けることになっています。尚衞氏と尚満喜氏の二見興玉神社参拝の画像も《琉球歴史文化継承振興会》に掲載されていました。
伊是名島と伊勢の読みは「いぜ」と「いせ」であり、伊是名島は「伊勢の名の島」とも思え、深い縁があると感じます。さらに調査のためにネット検索していくと《どうしてこうなったのか?仲が良くない第一尚王家の伊平屋島と第二尚王家の伊是名島》がヒットしました。
丸い形の伊是名島から北に約5kmの所に細長い形の伊平屋島(いへやじま)があります。伊平屋島の島民と伊是名島の島民は不仲だといいます。伊平屋島は、第一尚氏王朝をひらいた尚巴志の祖父・佐銘川大主の出身地であるとされます。
伊是名島は、王家第二尚氏の始祖が生まれた島で、伊平屋島は王家第一尚氏の始祖の父が生まれた島です。琉球王国の第一尚氏の国王の座を第二尚氏がクーデターで奪取した歴史的経緯があります。こうした過去からの歴史に伴うカルマから、2つの島は不仲になったと思います。
琉球王国期には、伊是名島、伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされ、そのため行政区としては王府の聖域が多く存在する本島南部の島尻郡に属すことになり、現在につづいています。伊平屋村(いへやそん)の情報はウィキペディアに載っています。
「2005年7月に伊是名村との新設合併による新”伊平屋村”発足を目指したが、伊是名村で合併の是非を問う住民投票の結果、反対多数となり合併を断念した。」と記されており、伊平屋島と伊是名島の因縁が、さらに強まった感じがします。
伊是名島、伊平屋島、伊勢神宮のワードでネット検索していくと《靈(れい)の躰血(みち)アマテラスと伊平屋》の琉球の歴史について記述しているブログに行き着きました。伊是名島と伊平屋島にだけ残る「イルチャヨー」という神唄があるといいます。
イルチャヨーの神唄は、「航海安全を祈願する祭りとなっており、世願いとともに、神人たちによって受け継がれてきました。神が隠れている家のまわりを太鼓を打ち鳴らしながら踊り歩きまわっていると、太陽神に扮した神人が、隠れた家の中から出てくるという」
「これはまるで天岩戸神話の場面ではないですか。。。 イルチャョー、イルチャョー、 アマンチュヌ ハジマリ イルチャョー、イルチャョー、 シルンチュヌ ヌタテル イルチャョー、イルチャョー、 ニシムイヌ カナサギ」と記されています。
この神唄の文を読みながら場面を思い描いていると「松取り(松果体収穫)の場面だ」と閃きました。渡来人が隠れている先住民を探し出して、松果体の収穫を行う情景だと感じます。大きな魂の光を持つ先住民・やまとびとの松果体を収穫するために渡来人は襲撃したのです。
また、「伊平屋島にはクマヤ洞窟があり、そこは天岩戸神話の舞台であったといわれ、1968年(昭和43年)に盛大な神祭り、天岩戸神事が行われた場所でもあります。 イルチャヨーは天岩戸神話を彷彿させますね」と記載されています。イルチャヨーの神唄の祭は、天岩戸神話が松取りを暗示していると感じます。
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