2023年02月21日

北海道 札幌医科大学のワークが暗示する人体実験の闇と和田心臓移植事件 〜巡礼の旅(709)〜

「札幌医科大学のワークのカギは、初代総長で産婦人科医の大野精七とチャイナメディカルボード。大野精七は人体実験の人だと分かった。満州の731部隊と同じで婦人科医で、松と子宮の研究に及んでいた。それが、日本初の心臓移植手術の和田心臓移植事件に繋がる。」

北海道のローカル局STV(札幌テレビ)の番組に出演する札幌医科大学の横田伸一教授の姿を観るたびに何か怒りのような思いが湧いてきて、自分が反応していることが分かります。3年程前の葉山でのNHKの集金人に対する反応と同じであり、自分の過去世が関係していると感じました。

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NHKの集金人への反応からNHKのワークを行うことで、自分が過去世でNHKの設立に関与していたことが分かりました。こうした経験から、札医大教授に対する怒りの反応は、自分の過去世が札医大に関係しているサインだと分かりました。横田教授は、過去にテレビで不可解は発言をしていました。

新型コロナウイルス感染症に関して、専門家としての解説で、「人の移動そのものは感染拡大と直接関係ない」というような内容を話していました。「経済を回さなければならない」などと医療の専門家でありながら、経済のことについても言及していました。

政府や経済界が推進するGOTOキャンペーンや全国旅行支援を完全擁護しています。今年2月頃にテレビ出演する有名な医療専門家の中に多くいた工作員かとも思いましたが、ワークを行ってみると違うようです。幾度か光を降ろしても同じでした。

こうした経緯から札幌医科大学の調査とワークが必要だと感じました。札医大は、正式名が札幌医科大学です。1950年に設置された、北海道札幌市中央区に本部を置く日本の公立大学です。北海道総合開発の一環で北海道立女子医学専門学校を前身とする道立大学として開学し、医学部を設置しました。

大学は、医学部と保健医療学部の2学部4学科からなる医学系大学です。 札幌医科大学附属病院は北海道大学病院と共に、北海道の中核的病院に位置づけられています。ネット検索していくと《札医大/本学の沿革と建学の精神・理念》にWikipediaにないヒントがありました。

札医大はチャイナメデイカルボードと深く関係していました。「大野精七校長をはじめ女子医専教授陣の運動の結果、北海道知事及び道議会の賛同を得て、設立が認可され、北海道立の札幌医科大学が誕生した」「開学当時の大野精七学長は、一部にアメリカ式の大講座制を取り入れた。

・・・附属図書館をチャイナメデイカルボードの支援によって拡充するなど、多くの新機軸を導入した」と記されていました。「大野精七学長」「チャイナメデイカルボード」がキーワードです。「チャイナメデイカルボード」は、初めて聞く言葉で、「中国」と関係しているのは分かります。

しかし、得たいが知れない存在でした。ウィキペディアによると、大野精七(1885年- 1982年)は、茨城県出身で、東京帝国大学医学部卒の医師、医学博士です。1924年、北海道帝国大学産婦人科学教授に就き、1950年、北海道立札幌医科大学学長(初代)に就任し、同学の発展に貢献しました。

1961年、北海道文化賞受賞し、日本のスキー界の発展にも寄与しました。3年程前に、札医大病院に光を降ろすワークを行っており、地下で実験していたトカゲたちが還って行っていました。大野精七の御魂が光に還るよう意図して光を降ろしました。

「人の命を命とも思わない人体実験の人」と伴侶が伝えてきました。満州の731部隊や産婦人科なので、松と子宮の研究もしていた可能性があるといいます。実際に、北大と札医大は、アイヌの人体実験・データ収集・松取り(松果体収穫)に関係していました。

北大人骨事件が暗示する731部隊の人体実験》にありますが、北大、札医大、東大など旧帝大を中心に、中国満州という植民地や北海道という開拓地において、地域の先住民を犠牲にする人体実験をしていたことが分かっています。

札医大理事長と札医大病院長に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「北大には負けない」「悩むトカゲ。金と仕事で悩んでいる」と伝えられました。札幌市の医療は、札幌医科大学系と北海道大学医学部系の2派に分かれてライバルのようであり、人体実験の闇の名残があると感じます。

さらに、札幌医科大学についてネットで調べていくと有名な和田寿郎医師による《和田心臓移植事件》に行き当たりました。和田心臓移植事件とは、1968年(昭和43年)8月8日に札幌医科大学で行われた、日本初の心臓移植手術をめぐる事件です。

和田寿郎を主宰とする札幌医科大学胸部外科チームは、日本初、世界で30例目となる心臓移植手術を実施しました。ドナーは21歳の溺水事故を起こした男子大学生。レシピエントは心臓弁膜症の18歳の男子高校生で、多弁障害を抱え人工弁置換術では根治できないとされる患者でした。

手術後、意識混濁の症状も進みはじめたレシピエントは小康状態でしたが、手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ急性呼吸不全で死亡しました。レシピエントの死後、それまでくすぶっていた疑惑が一気に噴出しました。それは胸部外科が発表したすべての事実を否定するほど多岐にわたるものであったといいます。

ウィキペディアには、心臓移植後の経過についての疑惑の詳細が記載されています。1968年12月、和田心臓移植は大阪の漢方医らによって刑事告発されます。1970年夏に捜査が終了し、告発された殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪のすべてで嫌疑不十分で不起訴となったのです。

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posted by 地球の子 at 12:07| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする