テレビを観ていた伴侶が「国会の衆議院本会議場の議長席に松ぼっくりの彫刻がある」と驚いた顔で教えてくれました。確かに国会議事堂は、高貴の建築物の象徴として様々な彫刻があしらわれていることは分かっていましたが、松の彫刻があるとは知りませんでした。

すぐにネットで調べてみると《美珍麗・探訪の「国会議事堂B参議院」》の記事に「松ぼっくり」の彫刻がありました。少し分かりづらいかもしれませんが、上から7番目の写真(左(速記者席))の壇上の所と8番目の写真(議場バルコニー中央)の天皇の御傍聴席に松ぼっくりの彫刻があります。
《美珍麗・探訪の「国会議事堂C装飾」》の記事にも国会議事堂の建物内部に、幾つかの彫刻の画像が掲載されていました。こちらの写真の方が分かりやすいです。上から3つ目の写真(右:階段塔屋の外壁(アカンサスの蕾?))には、「松ぼっくり」とそっくりの彫刻が載っていました。
その後、私もテレビの報道番組で衆議院本会議の映像が出た時に確かに、議長席の前の彫刻に「松ぼっくり」があるのを確認しました。どうして国会に「松ぼっくり」の彫刻が置かれているのか、です。それは、国会が「松果体を支配する者」が集まる場所という意味だと感じます。
あるいは、「松利権を有する者が真の支配者」と言えると思います。《ホルスの目としての松果体による人間の支配》にありますが、人間自身が松果体によって支配される闇の仕組になっています。ピラミッド社会の支配層が松利権を有して大衆を支配する構図になります。
「松ぼっくり」のオブジェで有名なのが、「バチカン美術館」です。《ヴァチカン》には、ヴァチカン美術館の中のピーニャの広場に置かれたブロンズ製の巨大な松ぼっくりの画像が掲載されています。ピーニャ(pinya)とは松ぼっくりを意味します。
バチカンもまた、松果体利権の支配者ということを示唆しています。ネットで調べてみると、国会議事堂の「松ぼっくり」の彫刻や模様は、「アカンサス」の植物に由来する装飾です。《アカンサス (装飾) - Wikipedia》には、「アカンサスは、葉を表す装飾の中でも、非常に一般的なものである。
建築意匠の場合は、地中海産のアカンサス・スピノザ種の葉が岩石や材木に彫刻される。」「アカンサスの装飾は、コリント式やコンポジット式のオーダーの柱頭、フリーズなど様々な部分に現れる。 古代ギリシア文化がこの装飾の起源であり、渦を巻く葉の先端はローマ人によって磨きをかけられた。
アカンサスのデザインの人気は、ビザンティン、ロマネスク、ゴシック建築の時期まで続き、ルネサンス期に復興、現在まで支持され続けている。 」と記されています。《アカンサス - Wikipedia》には、「アカンサスは、その名前にはギリシア語で「トゲ」と言う意味がある。
アザミに似た形の葉は古代ギリシア以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされる。特にギリシア建築のオーダーの一種、コリント式オーダーはアカンサスを意匠化した柱頭を特色としている。ギリシアの国花。」とあります。
アンカサスの装飾は、古代ギリシアが起源であることから、松果体収穫の祭典であった古代オリンピックにも関係していると感じます。《アカンサスと松ぼっくり》には、皇居の二重橋前の濠のフェンスにある松ぼっくりの装飾の画像が載っています。
皇居を住まいとする天皇も松果体の支配者であることを暗示していると感じます。国会議事堂は、日本の国会が開催される建物です。現在の建物は、1936年11月に帝国議会議事堂として東京都千代田区永田町一丁目に建設されました。
建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院が配置されており、その建設計画は明治期にまで遡ります。国会議事堂の設計・建築について、ウィキペディアを読んでいくと、「1918年9月になって新議事堂の意匠設計が一般公募されることになった。
翌年2月、応募作品118通中、一次選考・二次選考を通過した4図案の中から、宮内省(現在の宮内庁)技手の渡辺福三案(実際には宮内省内匠寮有志による案)が1等に選ばれた」と記されています。《内匠寮 - Wikipedia》によると、内匠寮(ないしょうりょう)は、律令制において中務省に属する令外官の一つです。
また、近代の宮内省に設置された内部部局の一つで、内匠寮の起源は、728年、聖武天皇の時に新設されたのが始まりです。近代における宮内省内匠寮の起源は、1869年の職員令によりその前身組織が宮内省に設置されたことに遡ります。
宮内省における造園家第1号とされ、明治神宮旧御苑などを手がけている小平義近が宮内省に使部として入ったのは1869年に24歳のときであることが知られています。工務課のメンバーは1918年に実施された国会議事堂の公開建築設計競技(議院建築意匠設計懸賞募集)に際した時です。
当時宮内省内匠寮の有志が吉武東里を中心にして数案を作成して参加します。このうち渡辺福三名義での参加案が1等、永山美樹の名で出した案が3等1席に当選しました。吉武は大蔵省臨時議院建築局技師に転じ、矢橋賢吉と大熊喜邦のもとで国会議事堂の設計・建設に携わっています。
ワークの対象として、国会議事堂の設計・建設に携わった矢橋賢吉と大熊喜邦、明治建築界の三大巨匠の一人である妻木頼黄、初代内匠頭の肥田浜五郎を選びました。矢橋賢吉(1869年-1927年)は、日本の建築家、大蔵省営繕官僚で、近代公共建築の中心人物です。
明治建築界三大巨匠の一人とされる、大蔵省営繕の総元締めとして絶大なる権力を持っていた妻木頼黄の片腕です。大熊喜邦(1877年-1952年)は、日本の建築家、営繕官僚で、公共建築の中心的人物です。妻木頼黄・矢橋賢吉の後を引き継いで国会議事堂の建設を統括しました。
妻木頼黄(つまき よりなか:1859年-1916年)は日本の建築家で、明治建築界の三大巨匠の一人です。大蔵省営繕の総元締めとして絶大なる権力を持っていた営繕官僚です。肥田浜五郎(1830年-1889年)は、豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣、技術者、明治期の官僚です。
肥田浜五郎は、過去世で私と縁がある人だと感じました。国会議事堂の建設に関わった4名の人物の御魂が上がるよう意図して順番に光を降ろしていきました。「地球に残ったアヌンナキ」「プレアデスの闇」「トカゲ」「アーク。松は取ってないけど、これらの人は聖なるものを作る人」と伝えられました。
また、国会議事堂が開かれるよう光を降ろすと「いいです」と伴侶が言いました。国会議事堂は、闇の叡智の結晶として建てられたものだと感じます。《日本を封じるピラミッドとしての国会議事堂》にありますが、国会議事堂には日本各地の石が用いられており、ピラミッドも創られています。
エジプトのピラミッドは、松果体収穫をする場所だと感じています。石の精霊を闇にするために、ピラミッドの内部で、人間の松取りをしてミイラにするのです。《日本の暗闇の中心となる皇居の地下施設と東京地下の秘密通路の存在》では、国会議事堂は、皇居を含む東京の地下施設に繋がっていると分かっています。
それ故、国会議事堂の地下に松果体収穫の施設があっても不思議ではないと思います。過去のワークで国会議事堂からアークの円盤が解除・統合されました。アークは光に統合して、今は水面下の軍事作戦「Q」として闇を終わりにするために動いています。
米国の国会議事堂の地下から子供たちが救出されたというネット情報もあります。アークが作ったアドレノクロムの闇のネットワークが破壊されつつあります。国会議事堂を含めた東京の地下施設の松利権という大きな闇の役割が終わることを願っています。
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