2023年08月06日

北海道 ロスチャイルド工作員が関与した松システム構築のための千歳飛行場建設 〜巡礼の旅(729)〜

「千歳飛行場の建設の裏にロスチャイルド工作員が存在した。北海道は明治時代から北海道開拓という松取りにおいて松の供給源。自衛隊と共に空路輸送と多数の工作員の移動が不可欠。湧水の地の千歳を暗闇にするためにも、松システムの基盤となる千歳飛行場だった。」

千歳基地と東千歳駐屯地のトップと場所のワークを行うことにしました。グーグルマップで観ると千歳基地と東千歳駐屯地は隣接しています。千歳基地トップの千歳基地司令兼第2航空団司令と千歳基地に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「アーク。Qの可能性がある」「いいです」と伴侶が伝えて来ました。

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東千歳駐屯地トップの第7師団長と東千歳駐屯地に光を降ろしました。「上級の人。Qの可能性」「通信場所」と伝えられました。千歳市にある自衛隊基地のトップがQであれば、自衛隊全体が、米軍と同様に闇を終わらせる役割に変わっている可能性があります。

闇の仕組としての松システムを作った軍隊が、その松システムを壊す仕事をしているのです。アドレノクロムの闇のネットワークの構築は、軍隊がその中心的な役割を担って来ました。軍隊を背後でサポートしていたのがアーク(アークトゥルス)の宇宙人です。

闇の仕事をして来たアークが統合し、構築して来た闇の仕組を壊す水面下の軍事作戦「Q」が遂行されています。日本の軍隊は、旧日本軍、米軍(在日米軍)、自衛隊に引継がれてきました。千歳市の自衛隊基地の歴史を振返り、ワークを行う必要性を感じました。

東千歳駐屯地のウィキペディアの沿革の日本海軍の項目に「1942年(昭和17年):水谷政次郎が農場用地を大日本帝国海軍に寄付、第2千歳飛行場滑走路(800m)を整備し後に1300mに延伸。1943年(昭和18年)9月6日:東京商科大学北遣隊により第2千歳飛行場誘導路完成」と記されていました。

「水谷政次郎」と「東京商科大学」がキーワードです。千歳飛行場の建設に日本海軍が深く関わっていたことが分かります。《ロシアの調査で謎とされる千島列島・松輪島の旧日本軍の地下要塞》などのワークから日本海軍は基地建設などを通じて松果体収穫を行っていたと感じます。

何故、水谷政次郎が農場用地を海軍に寄付したのか、どうして東京商科大学が千歳飛行場建設に動員されたのかが疑問になります。水谷政次郎は1877年(明治10年)、四国・香川県で中村平三郎の次男として生まれます。20歳のときに大阪に出てきて粉屋で丁稚奉公します。

明治37年にパンの商売を始め、マルキパンの名が広がり「日本のパン王」と呼ばれました。1932年(昭和7年)から1937年(昭和12年)にかけて、北海道に大農場を建設し、500ha規模の農場を5つも確保しています。この一つが千歳にある千歳マルキ農場で、現在の千歳空港です。

マルキの農場跡を海軍に寄付をし、それをアメリカ軍に接収され、自衛隊にいき、それを民間空港にして千歳空港になりました。水谷政次郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。水谷政次郎が工作員である故に、千歳の農場を海軍に寄附した形になったのです。

ウィキペディアには、「東京商科大学は、1920年(大正9年)4月、東京市に設立された旧制官立大学。略称は「東京商大」。一橋大学の前身。1875年(明治8年)、駐米日本代理公使を終えて帰国した森有礼が、渋沢栄一の協力を得て、銀座尾張町に創設した商業学校」と記されています。

過去のワークから、渋沢栄一は、現在のアドレノクロムの松システムを構築した中心と分かっています。重要な闇の役割を担った人物です。東京商科大学北遣隊が第2千歳飛行場誘導路(千歳空港)の建設に関わったのは、千歳空港が松システムに関係していたからだと感じます。

ウィキペディアの「東亜経済研究所と南方軍政」の項目には、「1941年12月8日の日米開戦後、東京商大東亜経済研究所(現・一橋大学経済研究所)に集まった教員の中から「南方占領地での軍政に協力しつつ自分たちの独自の研究を進めていこう」という声が高まった。

当時の高瀬荘太郎学長が実弟(高瀬啓治陸軍大佐)を通じて軍部に働きかけ、南方への調査団派遣が本決まりになった。東亜経済研究所の担当は昭南市(シンガポール)の南方軍軍政総監部(のちマライ軍政監部)の調査部付として英領マラヤの民族・経済状況の調査を行うことだった。

同研究所のスタッフを中心に赤松要教授を筆頭に石田龍次郎・小田橋貞寿・板垣与一・山田勇らの教員が南方に派遣された」とありました。東京商大東亜経済研究所は、日本軍と繋がった松取り工作の調査をしていたと感じます。ワークの対象として、まず、東京商科大学の創設者の森有礼(もりありのり)を選びました。

森有礼(1847年-1889年)は、日本の武士(薩摩藩士)、外交官、政治家です。第1次伊藤内閣で初代文部大臣となり、諸学校令制定により戦前の教育制度を確立しました。1847年、薩摩国鹿児島城下春日小路町で薩摩藩士・森喜右衛門有恕の五男として生まれました。

1865年、五代友厚らとともにイギリスに密航、留学し(薩摩藩第一次英国留学生)、ロンドンで長州五傑と会います。その後、ロシアを旅行し、さらにローレンス・オリファントの誘いでアメリカにも渡りました。オリファントの信奉する新興宗教家トマス・レイク・ハリスの教団と生活をともにし、キリスト教に深い関心を示しました。

トマス・レイク・ハリスも気になりました。トマス・レイク・ハリス(1823年-1906年)はアメリカ合衆国の神秘主義者、詩人、宗教家です。性愛哲学の布教者でもあり、信者とコロニー生活を送り、幕末には薩摩藩からの留学生らも参加しました。

トマス・レイク・ハリスが若い頃に傾倒したという思想家・スウェーデンボリ(スウェーデンボルグ)もワークの対象としました。エマヌエル・スヴェーデンボリ(1688年-1772年)は、スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家です。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されています。

森有礼、トマス・レイク・ハリス、スウェーデンボリに光を降ろしました。「工作員」「トカゲ」「コブラの祖」と伝えられました。コブラ(COBRA)とは、宗教の形態などでチャネリングや霊力を通じて人間を支配する闇の仕事をしてきたプレアデス人の集団です。

過去のワークでは、森有礼などの薩摩藩士や帝国海軍はロスチャイルドと深く繋がっていることが分かっています。千歳基地のWikipediaには、王子製紙、伊藤組が寄附したことが記載されていました。「1934年(昭和9年)10月 - 千歳村の村費、王子製紙、伊藤組などの寄付によって、着陸場を約4万5千坪に拡張し、千歳飛行場開場式を実施」。

王子製紙は、現在の王子ホールディングスと日本製紙です。王子ホールディングス会長・矢島進、日本製紙社長・野沢徹、伊藤組土建の創業者・伊藤亀太郎と会長・伊藤義郎にそれぞれ光を降ろしました。「中国マフィア」「上級トカゲ」「どさくさに紛れて絡めとる人」「松。ペド」と伝えられました。

現在の新千歳空港は、その歴史から日本海軍、米軍、自衛隊が関与しており、その裏の目的には松利権の拡大があったと感じます。《北海道炭礦汽船による炭鉱と発電所から繋がる松果体収穫の闇》にある北炭による炭鉱と発電所からの採取された松の輸送に関わっていたと見ています。

北海道の地では、北海道開拓の始まりと共に、金儲けのためにアイヌ民族、朝鮮人労働者、開拓者などの人命を犠牲にした松果体収穫が裏側で行われ、原料供給場所となっていたと推察します。いずれにしても、北海道千歳市に置かれた自衛隊基地と新千歳空港は、松システムにとって重要な拠点だと思います。松システムという闇の仕組が終わり、千歳の地が本来の光の場所に戻ることを願っています。

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posted by 地球の子 at 13:58| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする