天城山を調べていくとwikiに「天城山心中」のことが書かれていました。『1957年(昭和32年)12月10日、学習院大学の男子学生である大久保武道と、同級生女子の愛新覚羅慧生の2名が、大久保の所持していたピストルで頭部を撃ち抜いた状態の死体で発見された。女性が満州国皇帝の親族であることから、当時のマスコミ等で大きく報道された。この事件を天城山心中という』。
また、天城越えを調べていくと《【第69回】みちびと紀行〜下田街道を往く(天城越え)》に行き着きました。そこには、『天城山中では、昭和32(1957)年12月、満州国皇帝溥儀の姪で学習院大学2年に在籍していた愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)と、同級生大久保武道が、ピストル自殺を遂げた事件が起こった。
このことが、「天城山心中」、「天国に結ぶ恋」とマスコミに騒がれた。そのことで会の発足当時は、天城山にやってきて自殺する男女が多く、その捜索活動もしていたらしい。「天城越え」が命がけの恋の歌なら、この場所はまさにその舞台となったわけだ』と記されていました。
「天城山心中」によって恋人同士の自殺の名所となり、天城山で心中するカップルが多くなったといいます。表の観光名所と裏の松利権によって天城山の光を封印するには、効率的な仕掛けだったかもしれないと感じました。「天城山心中」の情報はwikiに記されています。
『天城山心中とは、1957年12月10日に、伊豆半島の天城山において、4日前から行方不明となり捜索されていた学習院大学の男子学生のO(大久保武道・当時20歳)と、同級生女子の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい・当時19歳)の2名が、Oの所持していた拳銃で頭部を撃ち抜いた状態の死体で発見された。
当時のマスコミ等で「天国に結ぶ恋」として報道された事件。慧生は清朝最後の皇帝にして、旧満洲国の皇帝でもあった愛新覚羅溥儀の姪にあたり、溥儀の実弟愛新覚羅溥傑の長女。母は「流転の王妃」で知られる旧侯爵嵯峨家の嵯峨浩。[事件の経緯](出会い)1956年、4月。Oと愛新覚羅慧生は、それぞれ学習院大学文学部国文学科に入学した。
Oは青森県八戸市出身で、父親の大久保弥三郎は八戸市議、東北銀行八戸支店長を経て、南部鉄道常務を務め、八戸の漁具問屋の経営も行う裕福な家庭で育ち、大学入学を機に上京した。合気道が強く、バンカラを地で行くような学生だった。一方、慧生は、幼少期を満洲国で過ごした後、母:浩の実家である旧侯爵嵯峨家で育った。
初等科から学習院女子中等科、同高等科を経て同大学文学部国文科に入学し、初等科卒業以来、初めて男子と同じクラスになる。Oは丸坊主で学生帽を被り、質実剛健、感情と行動に距離がなく、猪突猛進、愚直な性格で、都会的で洗練された学習院の学生の中では異質な存在であった。
一方、慧生は美しく社交的で快活、いつも学内の中心にいる存在であり、訛りを気にしてクラスで1人ぽつんといたOに声をかけて気を配るというクラスメイトの関係から始まる。Oは優しくしてくれる慧生に感激して女神のように崇めはじめるが、慧生は学内の華であり、心を寄せる男子学生の取り巻きも多く、Oは特別な存在ではなかった。
ただ慧生の周りにはいないタイプの無骨で愚直なOの行動は、上流階級育ちの彼女には新鮮な驚きがあった。6月下旬、Oは初めて慧生と2人で会話をして身の上を聞き、自宅まで送った。この時、Oの他の学習院生とあまりに異なる風体に慧生の家族の反応は厳しく、慧生はOの自宅への来訪を禁じ、次々送られてくる手紙も一方的なものであると家族に説明していた。
Oは入学当初から「命がけ」という言葉をよく使い、「ごまかしながら生きるより、清く死を選ぶ」という死に対する衝動が常にあった。8月頃のOから慧生に宛てた手紙にも、慧生への熱情の中に死を含ませた文章を綴っている。この頃の慧生はOに好意はあるものの、それはあくまでも友情であり、特殊な生い立ちである自身の今後の人生を考え、迷いながらも冷静さを保とうとしている。
また慧生に思いを寄せる男子学生は他にもあり、その男子学生とOで決闘騒ぎも起こっている。11月30日、元々身体の弱い慧生が体調を崩して大学を休むと、自宅の嵯峨家にOが見舞いに訪れる。病気であるからと家族に面会を断られても、通された応接室から1日動こうとしないOの極端な行動に、特に慧生の祖母が警戒し、彼との交際を厳しく禁じた。
11月26日に訪ねた際に不在と言われたOは翌日慧生に宛て、慧生の家族に心配をかけたことを詫び、今までもらった慧生からの手紙は焼却し、以後没交渉とすると宣言した。12月に入るとOは慧生への思いを断つべく実家に帰省し、断髪して座禅を組み断食修行を行った。
絶縁状を受け取った慧生は毎日のようにOに手紙を送り、体調を崩した事で冷静さを失い、揺れていた気持ちが一気に傾くことになる。慧生の手紙を見て喜んだOは東京に戻って12月30日に嵯峨家を訪れ、再び面会を断られて犬に吠えられ一筆書いたのみで帰っている。
(事件後)慧生の母・嵯峨浩や嵯峨家は2人の交際を認めておらず、事件はピストルで脅され連れ出された上での無理心中であるとしている。一方、O家では「2人の合意の上での情死」という認識で、八戸のO家の墓には慧生の戒名が刻まれている。2人の同級生や関係者はマスコミに様々に証言した他、2人の書簡も公表された。
1958年には映画「天城心中 天国に結ぶ恋」が公開されるなど、悲劇の純愛物語として流布された。1959年、嵯峨浩は慧生の一周忌にあたり自らの半生記「流転の王妃」を出版し、その中で「慧生には死ぬ気はなく、事件は心中ではない」と主張した。
その2年後の1961年には、親友の木下明子と寮長の穂積五一が、慧生とOの書簡を中心にまとめた「われ御身を愛す: 愛親覚羅慧生・O遺簡集」(鏡浦書房)を出版した。2人の往復書簡は、今まで互いに受け取った手紙をそれぞれが束にして小包とし、事件の朝にOの母・S宛てに別々に投函したものだという』。
学習院大学の学生である青森県八戸出身の大久保武道と同級生で満州国皇帝溥儀の姪の愛新覚羅慧生が天城山中でピストル自殺を遂げたという「天城山心中」の事件は、個人的には、仕組まれた工作事件だと感じます。事件後に、映画「天城心中 天国に結ぶ恋」が公開され、「流転の王妃」や「われ御身を愛す: 愛親覚羅慧生・O遺簡集」が出版されています。
天城山中での悲劇の美談としての心中劇を創作して、映画や書籍で世の中に広めたものだと見ています。支配層にとって、アイドルやスーパースターと同様に、多くの人が同情を寄せるようなインパクトのある悲劇や美談を創ることは、諸々の金儲けに繋がるのです。
天城山心中の事件の当事者の2人が本当に亡くなったとして2人の御魂を上げることにしました。学習院大学の男子学生・大久保武道(当時20歳)と同級生の女子学生・愛新覚羅慧生(当時19歳)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「亀」「鶴」と伝えられました。
やはり2人は八咫烏の亀派と鶴派の工作員であり、鶴派と亀派が協働で悲劇の美談になる心中事件を創作したようです。それ故に、天城の地が八咫烏の鶴派と亀派の重なる同和派の拠点だったとも言えるのです。大久保武道は、青森県八戸出身で父親の経歴からも南部藩の末裔の八咫烏工作員だと見ています。
一方の愛新覚羅慧生は、満州国皇帝溥儀の姪であり、やはり、日本の皇室と繋がる八咫烏の工作員一家だと捉えています。「天城山心中」は、八咫烏の工作員同志が仕組んだ悲劇の美談の心中劇だったのです。支配層は、こうした嘘芝居劇を創作して、工作員たちが金儲けできる仕掛けを起こしてきていました。
「天城山心中」という芝居劇を創作することで、映画会社や出版社などの支配層の工作員たちに、表と裏の金が懐に入ることになります。一石二鳥も三鳥にもなる仕掛けをつくることをしていきます。次に、天城山や天城峠に関係する自治体の「伊豆市」のワークを行うことにしました。天城山の工作は、当然のことながら伊豆市の支配層が恩恵にあずかります。
伊豆市の情報はwikiに記されています。『伊豆市は、静岡県の伊豆半島中央部に位置する市。この半島で最大の面積を占める基礎自治体である。[概要]平成の大合併のピーク期あたりの2004年の4月1日に、伊豆半島中北部の4町、田方郡修善寺町・土肥町・天城湯ケ島町・中伊豆町が合併し伊豆市が発足した。
伊豆市は県の面積の4.1%を占め、現在、浜松市・静岡市・川根本町に次いで4番目に広い基礎自治体である。このように広大な面積を有しているが、深山な伊豆半島に位置するため、市域の67%は山林で占められており、可住地面積は17.3%程で、人家の多くは狩野川とその支流の脇のわずかな平地に集まる。
温泉と自然環境を主軸とした観光地を有している。[地理]市域の多くが、伊豆半島のおよそ標高500〜1,000m級の分水嶺に囲まれる。そのために市域は分水嶺内側の狩野川水系上流域を占める内陸部と、駿河湾に接する海岸部の二つに大別される。この二つの地域間には標高約570 mの船原峠がある。
そのため、移動において地域住民の地理的・心理的障壁となっており、生活圏の境界にもなっている。海岸部は内陸部に比べ、暖流である黒潮の影響で幾分か温暖である。 今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、市内の海岸に最大8mの津波が到達することが予想されている。
市域はかつて火山島であった伊豆半島にあるため、火山活動に由来する地形が残る。先述の市域を囲む分水嶺の山稜も大型火山が侵食されて形成されたもので、内陸側のすそ野には大型火山の名残の比較的緩やかな山並みが続く地域もあり、北部域ではゴルフ場や別荘地、テーマパークとして利用されている。
これら大型火山の活動はすでに終えているが、半島西部の伊豆東部火山群は現在も活動中であり、それら単成火山が造りだした地形も市内に多く存在するが認知度は低い。気候は一般的に温暖な地域と認識されている伊豆半島であっても、天城山近くの山間部では積雪のある年も珍しくない。この天城山では年間降水量が4,000mmを超えることもある多雨地帯である』。
土地の光を封じる闇を解除・統合するには、松利権を有する支配層に光を降ろす必要があります。伊豆市の支配層として市長・市議会議長・観光協会会長・商工会議所会頭をベースにワーク対象に選びました。伊豆市長は、菊地豊(4期目)です。菊地豊の経歴はwikiに記載されています。
『菊地豊 (1958年-)は、静岡県伊豆市出身の政治家、元陸上自衛官(最終階級:一等陸佐)。静岡県伊豆市長(4期)。[概要]防衛大学校(第25期)卒業後、陸上自衛官に任官。同期に岡部俊哉陸上幕僚長、杵渕正巳駐東ティモール特命全権大使など。国際連合モザンビーク活動司令部作戦担当幕僚、在ドイツ日本大使館付防衛駐在官、第5普通科連隊長、内閣衛星情報センター主任分析官等を歴任した。
その後、2007年1月、1等陸佐で退官。その後は英会話教室を経営。2008年、出身地である伊豆市の市長選に立候補し、初当選。2012年、前伊豆市議会議員の西島信也を破り、再選。2016年、3選を果たした。2020年の同選挙で4選』。現役の首長が自衛隊幹部候補生あがりの人物は初めて知りました。
自衛隊は、昔の大日本帝国軍の実質的な後身であり、支配層・八咫烏の松取り工作部隊であり、自衛隊員は、支配層の工作員と捉えられます。伊豆市長・菊地豊に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。やはり天城山という重要な工作拠点のある支配層の工作員のようです。4期も市長を継続しているのは、支配層のバックアップがあるからだと感じます。
伊豆市の市議会議長・青木靖(あおきやすし・造園業)、伊豆市観光協会会長・勝呂克彦(明治館代表)、伊豆市商工会長・山田健次(山竹種苗)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「同和」「サンカ」「金春アヌンナキ」と伝えられました。天城山を擁する伊豆市は温泉場があり、古くから多くのサンカ・同和と呼ばれる現場工作員が存在してきたと理解しています。
伊豆市観光協会会長は、土肥温泉の老舗旅館「明治館」の代表です。個人的には幼少期に明治館に家族で宿泊した記憶が残っていました。西伊豆土肥温泉「明治館」は、若山牧水や与謝野晶子など、文人墨客が愛した明治年間創業の由緒ある老舗の温泉宿です。お礼参りとして明治館の所在地(静岡県伊豆市土肥2849-3)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
伊豆市には、支配層の工作拠点となる3つの温泉場があり、それに伴う温泉旅館組合があります。天城湯ヶ島温泉旅館組合・修善寺温泉旅館協同組合・土肥温泉旅館協同組合の3つです。各温泉旅館組合のトップもワーク対象に選びました。天城湯ヶ島温泉旅館組合の組合長は、川端康成の執筆の宿の老舗旅館「湯本館」の社長・土屋晃です。
土屋晃と湯本館のワークは《静岡 出口王仁三郎の「大本」と繋がっていた川端康成ゆかりの老舗旅館「湯本館」 〜巡礼の旅(748)〜》で行っており、「サンカ」「いいです」と伝えられていました。《伊豆魅力プロジェクト》によると、修善寺温泉旅館協同組合組合長は、森孝夫(新井旅館 総支配人)、土肥温泉旅館協同組合代表理事は、野毛貴登(牧水荘土肥館代表取締役)です。
新井旅館公式サイトによると、『明治5年に「養気館新井」を開業。「養気館新井」の由来としては、“この湯は人の気を養う為に湧く温泉”ということから「養気館」、また創業者相原平右衛門が、修善寺町本立野の新井という部落で、酒造蔵元新井を営んでいたことから「新井」と、二つの意味が重なって名付けられた。
(新井旅館に訪れた多くの文人・墨客達(横山大観、芥川龍之介・川端康成・島崎藤村ら画家・文人・歌舞伎役者・歌人など31人が訪れている))』と記されています。《西伊豆随一の大野天風呂!若山牧水が愛した「牧水荘 土肥館」》には、『「牧水荘 土肥館」の創業は明治6年。歌人若山牧水がおよそ70泊もした、牧水の名前を屋号にした名旅館。
宿の玄関口の片隅に、牧水が詠った歌碑が建てられていて、館内には牧水に関する資料が展示される「牧水ギャラリー」があり、牧水ファンにとってたまらない宿ではないでしょうか。宿は、海に面した風光明媚な場所にあって、生粋の温泉が楽しめる人気な温泉宿です』と書かれています。
いずれの老舗旅館も明治の文豪たちが敬愛して有名になった場所であることが分かります。修善寺温泉旅館協同組合組合長・森孝夫(新井旅館 総支配人)、新井旅館所在地(静岡県伊豆市修善寺970)、土肥温泉旅館協同組合代表理事・野毛貴登(牧水荘土肥館代表取締役)、牧水荘土肥館所在地(静岡県伊豆市土肥289-2)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろしました。
「反社」「いいです」「反社」「いいです」と伝えられました。やはり、支配層の現場工作員のようです。天城山と伊豆市の関係のワークを一通り終わった後、急に自分の右膝に強い痛みが走りました。誰かが光に還りたくてサインを送ってきていると感じました。伴侶にみてもらいながら自分の右膝を意図して光を降ろしました。
「死んだ人が沢山いる」と伝えてきました。天城山が支配層の工作場所なので、古くから松取り工作などで命を奪われた人たちの魂が留まっているようでした。伊豆市の天城山を中心に全ての留まっている御魂が上がるように意図して光の柱を降ろすと「いいです」と伝えられました。
一連のワークを終えて、安堵の気持ちになりました。過去のワークから伊豆半島は、レムリアの光の「火」のエネルギーが残る重要な場所だと分かっています。支配層・八咫烏の松工作の闇の仕組が終焉となり、伊豆半島の重要な光の場所である天城山が本来の光の姿を取り戻して、光が広がっていくことを願っています。
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