現在の更生保護施設「札幌大化院」のトップは誰なのかをネット検索で探していくと、《札幌就労支援事業者機構公式サイト》に『更生保護法人札幌大化院 理事長 福本政之』と記されていました。札幌大化院の理事長は福本政之でした。さらに、福本政之についてネットで調べていくと、《札幌鉄鋼団地協同組合公式サイト》に行き着きました。
そこには、株式会社福本商店の会社概要が紹介されており、『代表者名 福本政之』とありました。札幌大化院の理事長・福本政之と株式会社福本商店の代表・福本政之が同姓同名の別人の可能性もありますが、鉄鋼(製鉄業)の裏に松利権の闇が絡んでいることから、同一人物の可能性が高いと感じました。
《同和の闇の源流となるサンカの人々を支配する目玉のエネルギー体の統合》などの記事から製鉄の源流となる「たたら製鉄」には、松取り後の遺体の焼却処理によって証拠隠滅の工作が成されていると捉えています。更生保護法人札幌大化院の理事長・福本政之に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金」と伝えられました。
やはり拝金主義者の工作員になっているようです。次に、札幌大化院の理事長・福本政之から繋がった「札幌鉄鋼団地協同組合」について追っていきました。《札幌綜合鉄工団地の形成》に、札幌鉄鋼団地協同組合の歴史が記載されています。『[札幌綜合鉄工団地の形成]四章一節で述べたように、戦後復興期の札幌鉄工業界は、炭鉱機械の代金未収などによって苦しい経営を余儀なくされていた。
そのなかで中小規模の鉄工業者は三十年十一月、札幌綜合鉄工業協同組合を結成した(道新 昭30・11・6)。このほか札幌鋳物工業協同組合、札幌機械工業協同組合があり、これら三組合を中心に札幌鉄工団地期成会がつくられ、土地の選定をはじめていた。
三十六年二月に、場所を篠路町に内定したが(道新 昭36・2・9)、札幌市が、候補地は農地に囲まれており工業団地には不適当としたため、他の場所を探すことになった(道新 昭36・2・17)。その後紆余曲折を経て九月には琴似町発寒に決定した(道新 昭36・9・10)。同月、札幌綜合鉄工団地協同組合が設立され、理事長は松宮利市(藤屋鉄工)、副理事長は落合定雄(北日本電極)であった。
国と道からの助成金を得て三十七年には本格的造成工事がはじまった。表10は、鉄工団地に移転した工場の一覧である。四十年一月末日で四九の工場が建設された。業種を機械、車輌、鋳物、歯切、鍛造、鉄骨サッシ、製缶、特殊の八部門に分けて、団地内を部門別に配置している。
そして共同施設を建設し、共同受注を行い生産能率、品質精度の向上、生産コストの低下をねらっていた(団地の概況)。ところが、四十年半ばには経営不振から倒産の危機に瀕する工場もあらわれた。工場の移転がスムーズに進んだのも、四十年度までに移転を済ませなければ国の助成対象からはずされるという事情もあった(道新 昭40・6・23)。
また、鉄工団地協同組合に対し札幌市がマンホールのふたなど発注しただけで、道その他の官庁からの発注はなかった(道新 昭40・7・7)。共同施設建設用に道が交付した助成金は、組合員企業の運転資金に流用されており、そのため共同施設建設はできなかったのである。道は九月に目的外流用による貸付金の早期償還命令を出した(道新 昭40・9・30)。
札幌市商工部は、同団地の二八工場に関する企業診断の結果をまとめた。これによると将来とも大丈夫なものは二、現在は不安定だが将来性はあるものが一二、今はよいが借金返済期に苦しくなるものが七、だという。しかし、協同組合の努力で受注は上向きとなり見通しはあるという(道新 昭40・10・11)。
そして十二月には機械需要の好転、札幌市による給食施設、建設工事の発注の増、商工組合中央金庫、中小企業金融公庫からの長期運転資金融資の内定などにより経営は好転したようである(道新 昭40・12・3)。なお、鉄工団地建設の過程で、小規模メーカーを中心に北海道機械工業協同組合(理事長中静修治)が結成された。
独自に丘珠の農地を買収・転用し丘珠鉄工団地を建設した(道新 昭36・5・25)。発寒の鉄工団地よりやや遅れて四十年から本格工事、移転がはじまり、四工場が操業しており、最終的に二九工場が予定されている。共同事業としては丘珠鉄工会館を建て宿舎、職業訓練所に用い共同求人も行っている(道新 昭40・3・21)』。
引用サイトにある『札幌綜合鉄工団地協同組合が設立され、理事長は松宮利市(藤屋鉄工)』から札幌綜合鉄工団地協同組合の初代理事長・松宮利市と分かりました。松宮利市が代表に就いていた藤屋鉄工を調べると、現在は富士屋鉄鋼鰍ノなっているようでした。富士屋鉄鋼鰍フ代表取締役社長・松宮勇市に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。
「金」と伝えられました。どうやら鉄鋼関係の経営層は金の闇に覆われている感じです。現在の札幌鉄鋼団地協同組合のトップを調べると《札幌鉄鋼団地協同組合公式サイト》に『理事長 藤枝靖規(株式会社協和機械製作所 代表取締役社長)』と記されていました。札幌鉄鋼団地協同組合の理事長・藤枝靖規
(株式会社協和機械製作所 代表取締役社長)にも私単独で光を降ろして光は入っています。
札幌大化院の設立者・助川貞二郎を調べる過程で、助川貞二郎が創設した社会福祉法人「札幌厚生会」の存在を知りました。公式サイトには、札幌厚生会の情報が記載されています。『[ご挨拶]当法人は昭和28年4月の開設より、すべての人をかけがえのない人として尊重するという精神のもと「人とともに、人のために」を基本理念として掲げ、救護施設、高齢者施設、児童施設の運営に携わってきております。
近年、社会福祉法人をとりまく情勢も時代の流れとともに大きく変化を遂げ、今後さらに社会福祉法人としての責務は勿論のこと、新たな役割が求められる時代となってきております。役職員一同、社会福祉法人が担うべき役割の重要性を認識し、法人の基本理念を重んじつつ、今後も使命感を持って事業の推進に努めてまいります。
これからも、皆様方のより一層のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。理事長 伊藤条一[法人設立の背景]・大正元年9月15日札幌市の実業家、助川貞二郎ご夫婦が恩赦の慈悲を記念し、札幌市内北1条西2丁目1番地に保護場平屋建1棟を設け、札幌記念保護会と称し引取り人の無い釈放者の収容保護を開始。
・大正10年8月地主の薮惣七氏の好意により、札幌市内南1条西17丁目1番地に移転新築し事業を継続。・昭和4年10月初代院長、助川貞二郎氏の死去に伴い、助川貞利氏が三代目院長に就任。(戦中、戦後は軍需工場の不良工員錬成場宿泊施設や樺太引揚者の収容室としても利用される)。・昭和24年札幌市内唯一の緊急保護施設として業務を再開。
・昭和26年昭和25年施行の生活保護法等の整備により、40名定員となる。・昭和28年 大化院院舎の一部分割、札幌厚生会への寄付行為が法務大臣により認可。社会福祉法人札幌厚生会を設立。初代理事長に助川貞利氏が就任。厚生施設静心寮の設置経営に至る』。札幌厚生会の理事長は、伊藤条一です。
伊藤条一のプロフィールは公式サイトに記されています。『伊藤条一(いとう じょういち) 昭和31年1月8日、札幌市白石区に生まれる。札幌光星高等学校卒業。札幌大学経済学部卒業。昭和53年 父・伊藤知則北海道議会議員秘書として3年間、政治を経験。昭和56年 新雪交通株式会社代表取締役に就任。
平成 3年 北海道議会議員に初当選(9回連続当選)。平成14年 株式会社北海道観光物産興社代表取締役に就任 <現在の主な役職>道議会経済常任委員 道議会食と観光調査特別委員 自民党道連副会長 など』。伊藤条一は、自民党所属の道議会議員(9期)です。
社会福祉法人 札幌厚生会の理事長・伊藤条一、本部所在地(北海道札幌市白石区川北2272-9 札幌厚生会静心寮)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国」「松拠点。一帯に地下がある」と伝えられました。中国派という八咫烏鶴派の工作員のようです。9期連続当選という有力な地方議員の政治家が裏の松利権を有する社会福祉法人のトップに就任しているのです。
また、札幌厚生会の本部の一帯には、支配層の松関連の地下施設があるようでした。再度、札幌厚生会の本部の一帯の地下を意図して光の柱を降ろすと「いいです」と伝えられました。次に、札幌大化院の創設者・助川貞二郎が開通に尽力した「札幌石材馬車鉄道」を追究しました。札幌石材馬車鉄道の情報は、wikiに記載されています。
『札幌石材馬車鉄道は、札幌の南にある石切山での石材採掘、馬車鉄道による札幌市街地への輸送、およびそれらを用いた建設業などを行っていた会社。のちに業務を馬車鉄道のみとし、市街地に多くの路線を敷設。札幌市電の前身となった。[概要]1902年(明治35年)5月に札幌石材合資会社札幌石材の薮惣七は石材を運搬するために馬車鉄道敷設を道庁に出願した。
道庁では沿線の影響を札幌区へ諮問した。これに対し区会は慎重論と推進論で議論が進まなかった。さらに日露戦争による外国品輸入制限のために事業中止命令が出され敷設計画は延期を余儀なくされた。ようやく1907年(明治40年)になり軌道特許状が下付されたので、札幌石材馬車鉄道株式会社に改められた。
1910年(明治43年)5月、最初に開業した路線(のちの石山線)は山鼻(現在の南2条西11丁目付近)から石山通を南下した。硬石山付近で豊平川を渡って後の定山渓鉄道石切山駅付近を経由し、穴の沢(現在の石山緑地付近)に至るものであった。主に石切山の軟石を運んでいたが、当初から12人乗りの客車によって1日3往復の旅客輸送も行っていた。
冬は馬そりによる輸送に切り替えられた。市街地に敷設された路線のほとんどは札幌市電のルートと重なっている(1条線、豊平線の一部、および西4丁目線、中島線、苗穂線など)。ただし函館本線の北側には進出しなかった。1918年(大正7年)の北海道大博覧会を前に路面電車化の工事が始まると、改軌のためすべての軌道が一旦撤去された。
この時点で20人乗りの客車を30両以上保有していた。馬鉄のまま残された石山線については1919年(大正8年)区会において軌道撤去が諮問され、諮問のとおり是認され馬車鉄道は全廃された』。札幌石材馬車鉄道は、表向きは札幌軟石など石切り場から石材を運搬するための鉄道ですが、その裏では、支配層の松の輸送が目的だったと見ています。
札幌石材馬車鉄道の後身が現在も札幌市の公共交通機関としての「札幌市電」です。札幌市電の情報はwikiに記載されています。『札幌市電は、北海道札幌市中央区において運行されている軌道(路面電車)である。上下分離方式で運用されており、設備・車両は札幌市交通局(札幌市)が保有し、電車運行は札幌市交通事業振興公社が担当する。
通称は札幌の市電、または単に路面電車、市電。[概要]1909年(明治42年)に建築用石材として需要が急増した「札幌軟石」の輸送線として山鼻 - 石切山間に敷設された。1912年(明治45年)からは路線網を市街地まで拡張した札幌石材馬車鉄道(のち札幌市街馬車軌道)を基とし、1918年(大正7年)に札幌電気軌道として開業、1927年(昭和2年)に市営化された。
以後、現在に至るまで長期に亘り札幌市民の足として利用されている。最盛期には札幌市内の東西南北を結ぶ総延長25 km余りの路線を有していた。しかし、利用客の減少や地下鉄の建設により4次にわたる路線縮小の末、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線を残すのみとなった。
その後、2015年(平成27年)に都心線(かつての西4丁目線の一部と同ルートだが、軌道位置は中央分離帯から歩道脇〈サイドリザベーション方式〉に変更)が開通し、環状運転を開始した。2020年(令和2年)4月1日に上下分離方式が取られ、札幌市の路面電車事業の運送事業を札幌市交通局から一般財団法人である札幌市交通事業振興公社へ移管された。
冬季の除雪のために運転されるササラ電車は、冬の訪れを告げる風物詩として各メディアでも取り上げられている。「市電」という呼び方のほかに、地元では単に「電車」と呼ばれることがある。札幌市交通局の一部刊行物や各停留場の標識柱においても「電車」という表記が見受けられる』。
札幌市電(路面電車)の運送事業を担当している組織は「一般財団法人 札幌市交通事業振興公社」です。札幌市交通事業振興公社の情報はwikiに記載されています。『一般財団法人札幌市交通事業振興公社は、北海道札幌市中央区に本部を置く一般財団法人。札幌市交通局事業管理部総務課が所管する。
1988年(昭和63年)11月に札幌市交通局が100%出資して財団法人として設立され、公益法人制度改革に伴い一般財団法人に移行。代表設立者は板垣武四札幌市長(当時)。札幌市の交通問題に対する市民の意識の啓発、交通道徳の普及、札幌市の行う交通事業の利用者への利益増進に関する事業等を行うことにより、交通事業の健全な発展を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的としている。
理事長は交通局の公営企業管理者が兼務している。[事業概要]地下鉄駅業務、定期券発売業務、遺失物取扱業務などを行っており、2020年度(令和2年度)からは軌道事業の上下分離方式の導入に伴い軌道運送事業も行っている』。札幌市交通事業振興公社の代表設立者は、当時の札幌市長・板垣武四(いたがきたけし)です。
板垣武四(元札幌市長・5期20年就任)の経歴はwikiに記されています。『板垣武四(1916年-1993年)は、1971年初当選の第7代札幌市長。北海道上川郡和寒町出身。[来歴]呉服屋を営む家庭の13人兄弟の11番目として生まれ、小学校4年時に兄や母親と死別し継母と仲良くなれず別の兄の住む札幌に移る。
山鼻小、札幌一中(現札幌南高)を経て北海道帝国大学予科へ進学するも、法学への道を諦めきれず予科を退学し上京。旧制第一高等学校を経て、札幌一中時代の友人の下宿に居候しつつ三浪を経て東京帝国大学法学部卒業。1941年に三菱電機神戸製作所入社、神戸大空襲に被災し緑豊かな六甲山地の光景から望郷の思いが募り札幌への帰郷を決意、1946年札幌市役所に入職。
秘書課長を皮切りに経済部長・札幌観光協会理事時代にはさっぽろ雪まつりの創設に携わり、1956年に助役。1971年より札幌市長。5期20年にわたって務める。この間、地下鉄の開通、政令指定都市への移行があった。アジアで初めてとなった冬季オリンピックの開催により都市基盤を整備し近代化と国際化に貢献。
オリンピック開催後には「人情の町へ」のスローガンのもと文化や福祉を重視した開発を行い各区毎の区民センター・図書館・体育館の建設、豊平環状中央分離帯のリンゴ植樹、百合が原・モエレ沼などの緑化事業(環状グリーンベルト構想)の展開、冬季ユニバーシアードやパシフィック・ミュージック・フェスティバルの開催やさっぽろ文庫の刊行など多くの功績を残す』。
板垣武四の業績から見えることは、5期20年に渡って札幌市の支配層のトップに君臨して、札幌の街を深い闇の場所に変えてきた中心的人物だということです。それは、「札幌オリンピック開催」や「さっぽろ雪まつり創設」など支配層の松利権に直結する"人集め子どもさらい"を含めた、表裏の金儲けの闇の仕組を構築してきたことになります。
札幌市交通事業振興公社の代表設立者・板垣武四(元札幌市長・5期20年就任)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。やはりトカゲ・レプタリアンが絡む支配層・松利権集団の工作員だったようです。札幌市交通事業振興公社の現理事長・中田雅幸、電車事業所所在地(北海道札幌市中央区南21条西16丁目2-20)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金」「いいです」と伝えられました。
北海道は、日本列島に光を供給する大事な場所でした。大事な光の地ゆえに、古くから光が封印されてきました。やまとびとやアイヌなどの純粋な先住民が松取りの犠牲になり、精霊が闇に変えられてきました。特に、北海道開拓時代は顕著でした。光を封印されてきた水の場所である札幌の地が本来の輝きを取戻すことを願っています。
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