2024年10月28日(月)、静岡県沼津市にある門池公園の門池(かどいけ)でのエネルギーワークを通じて龍を解放した後、静岡県御殿場市にある駒門風穴(こまかどかざあな)に向かいました。門池公園から徒歩20分でJR下土狩駅に着き、JR御殿場線に約20分乗車してJR富士岡駅に着きました。そこからタクシーで15分程で現地の駒門風穴に到着しました。

当初、山奥の場所だと思っていましたが、駒門風穴は、国道155線(滝ケ原富士岡線)沿いの小高い丘の場所にありました。駒門風穴の詳細情報はwikiに記述されています。『駒門風穴は、静岡県御殿場市にある、富士山の火山活動で形成された風穴。国の天然記念物に指定されており、御殿場市においては特に「かざあな」の通称で知られる。
[概要]富士山の火山活動で形成された風穴(溶岩洞窟)で、天井に溶岩流の跡を留める。本穴・枝穴の2つに分かれており、両者の総延長の合計は約400mに及ぶ(本穴291m、枝穴110m)。洞窟内は年間通して13℃である。また、御殿場市の「観光十二選」に指定されている。
1922年(大正11年)3月8日、日本国政府の天然記念物に「(六)洞穴,(十)硫気孔及び火山活動によるもの」として指定された。指定の理由には、国内に溶岩流による洞穴自体が少数しか存在しないことと、富士山周辺にある風穴の中では駒門風穴は大きな風穴のひとつであること、溶岩流の状態を想起しやすく溶岩による鍾乳を留めていることが挙げられている。
2013年(平成25年)に、富士山と関連する物件が「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」で世界文化遺産に登録された際、「富士山」の構成資産として、周辺地域の計33の登山道・神社・景勝地などが同時に世界遺産への登録を受けた。「構成資産」の中には富士五湖や船津胎内樹型・吉田胎内樹型といった富士山の噴火活動に伴う景勝地が含まれている。
同様に富士山の噴火活動によって形成された駒門風穴も、当初その候補に含まれていたが、「富士山の信仰や芸術との関係性が証明できない」理由で、のちに候補から外され、世界遺産としての指定は受けていない。[文化]風穴入口の脇に3つの祠があり、駒門風穴諸社と呼ばれる。・子安神社-祭神:木花咲耶姫神
風神社-祭神:志那津比古神、志那津比売命神 蚕養神社(こがいじんじゃ)-大気都比売神 [生物]駒門風穴には駒門風穴にのみ生息する生物が多くいる。名前に「コマカド」とついている生き物が駒門風穴の固有種である。固有種には、 虫類 ・コマカドチビゴミムシ ・コマカドオビヤスデ ・コマカドツチカニムシ が生息している。
固有種以外にも、 蝙蝠類 ・コギクガシラコウモリ ・ユビナガコウモリ ・オオキクガシラコウモリ ・ネズミコウモリ 植物類 ・ヒカリモ 等が生息している』。駒門風穴は、富士山の火山活動でつくられた風穴(溶岩洞窟)であり、富士山の地下・地底と繋がっていると見ています。太古の昔には、富士山の周辺には、光の先住民が生活していました。
富士山自体も光のエネルギーを放つ重要な山だったと理解しています。「やまとびと」と呼ぶ日本の先住民たちは、山を大事にして山に暮らす人々だったと感じます。《四国から房総半島に渡来した忌部氏が山の洞窟に暮らす先住民の松を収穫する拠点だった安房神社》には、房総半島の先端部の千葉県館山市にある安房(あわ)神社と洞窟に暮らしていた先住民の山窩(さんか)について記述しています。
『サンカの源流は先住民です。サンカは、渡来人の支配下に置かれた先住民が仲間の先住民の松取りを行う仕事をしていた人たちです。とすると、やはり、山の洞窟が先住民の棲家だと感じます。「先住民×洞窟」でネット検索すると《洞窟の中に小学校や住居が並んでいるミャオ族の村》がヒットしました。
サイトには洞窟で生活するミャオ族の子供たちの写真が掲載されています。「ミャオ族(モン族)はベトナム、ラオスなどに住んでいる少数民族で、中国では貴州省や湖南省、雲南省、四川省などに住んでいます。中でも、貴州省安順のミャオ族は100名ほどの村人が洞穴に村を作って住んでいるそうです。
・・水は石からしたたってくるものを利用しており不足しがちなため、貯水池を掘っている。約100人いる村人はほぼみんなが洞窟の中に居住。地方自治体は外に移住して欲しいと説得したのですが失敗したそうです」とあります。ミャオ族などの先住民は、洞窟が石から水を生み光の場所と分かっていたのだと思います。
忌部氏などの渡来人によって日本の先住民の「やまとびと」は松取りの犠牲になり、光だった地底が闇に変えられたのです。安房神社はその拠点の1つだと捉えています。これは房総半島の先端の安房神社だけでなく、前述した能登半島の先端にある須須神社も同じだと思います』。光の先住民の「やまとびと」は、山と共に暮らしていた人々だったと見ています。
しかし、外部勢力の渡来人が日本に渡来して、先住民を征服してから暗闇が始まりました。中国大陸から渡来した徐福や朝鮮半島を経由した渡来人の秦氏が代表的です。渡来人たちは、日本の先住民の松果体である魂の光を採取するために日本に渡来してきました。徐福伝説によると、それが不老長寿の薬であり、現代の若返りの特効薬とされる高級麻薬のアドレノクロムに繋がります。
こうした渡来人によって先住民たちが襲撃されて、殺戮され松取りと呼ばれる松果体収穫が行われてきました。これが日本の光を封印してきたことになります。先住民の純粋な魂の光は、木、水、石などの自然に宿る目に見えない光の粒子と同じです。現実的に、先住民の人たちが殺されて生贄や松取りが行われることで、光だった精霊が闇に変えられてきました。
白の粒が黒の粒に変えられてきたのです。光の精霊が闇の魔物に変えられてきたのです。闇の精霊は生贄や松取りなどの命を取る仕事をします。ヒプノセラピー《松果体収穫は精霊を闇にするプロセスだった》には、クライアントの方が過去世で闇の精霊に変わった過去世を思い出しています。
『集団ではなく1人だったので、人を殺すのも躊躇なくやっていた。子供の自分で幸せだった。途中から人の首をやることが良くないことだと気づいていた。見ないふりをしていた。精霊を闇するやり方だった。精霊を闇にする過程。自分の感情を見て見ぬ振りをする。死体の首を斬っていた。私が精霊だったのかもしれない』。
駒門風穴も洞窟であり、古くから生贄や松取りが行われてきており、精霊のリーダー的存在である龍が封印されている可能性が高いと直感していました。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、富士山麓で巻狩を行っていました。実は、巻狩は、動物を狙った狩ではなく、先住民を対象にした狩だったと分かっています。
《源頼朝の富士の巻狩から見える真実が隠蔽された歴史的な出来事》には、『巻狩は、動物が対象ではなく先住民の人たちを虐殺し松取りするための嘘の意味に変えられた。源頼朝の富士の巻狩は、水源のある光の地を封じるために行われた先住民の松取りが目的だった。
悲劇と美談が盛られた曾我兄弟の仇討ち事件は、金儲けに繋がる工作や嘘という人間のエゴの闇によって真実が隠されて来た』と概略が記されています。また、江戸幕府の徳川家康も鷹狩を行っていました。源頼朝の巻狩と同じです。実は、御殿場の名前の由来は、徳川家康の鷹狩に関係していることが《富士市 | 【広報ふじ昭和61年】地名の由来》に書かれています。
『御殿(ごてん)(今泉地区) 今泉4丁目のあたりを御殿と呼びます。言い伝えでは徳川家康が鷹狩りのとき泊まる家があったので、それを御殿と呼び、そのまま地名になったと言われています。しかし、一説では、駿河大納言(だいなごん)が茶の湯を楽しんだ御茶室御殿があったからとも言われています。ここの稲荷神社は、その御殿の守護神としてまつられたものだと伝えられています』。
風穴でのエネルギーワークは、過去にもありました。2014年4月に三重県の伊勢神宮の巡礼の旅の一環で、「天岩戸」を訪れた時に、光を降ろしています。《三重 天の岩戸 〜巡礼の旅(66)〜》には、その際のワークの様子を記しています。『天の岩戸には、社の隣に岩が積まれた中に穴が開いていて、その前に鳥居が置かれていました。
そこから湧水が流れていました。私は社殿の前で、この地を開きに来た旨を伝えました。そして、天の岩戸全体に光の柱を降ろしました。「美しい女神様が出て来た。2人の侍女も両側にいる」と伴侶が教えてくれました。清楚な中にも華やかさがある縄文の女神のようでした。天の岩戸から出て来た女神は、「待っていました」と伝えて来たといいます。
解放された女神が本当の倭姫だと感じました。五十鈴川の源流である天の岩戸に封印されていたのです。天の岩戸から出て来た女神は、天の岩戸の上で、伴侶がお連れした大国主命、太陽の龍神(ニギハヤヒ)、月の龍神(セオリツヒメ)と一緒に話していたといいます。・・風穴の前で光の柱を降ろしました。「山の3か所から玉が取れた」と伴侶が教えてくれました。
「5頭くらいの龍神が山のあちこちから出て来た」と彼女は付け加えました。エネルギーポイントの蓋である玉が解放されて、龍神たちが自由を取り戻したのです。この風穴も封印の元でした。風穴の解除を終えて、山道を戻って、天の岩戸の所に来ました。「解放された女神様と侍女たちが見送ってくれている」と伴侶が教えてくれました。
私たちは天の岩戸の方に手を振ってお別れしました。本来の倭姫は、伊勢の山と五十鈴川を含む自然をお守りする役割を担ってくれるのでしょう』。風穴や洞窟には、龍や龍の使い手であり龍神などの光の存在が封印されている場合があります。今回の駒門風穴もそうでした。「国指定天然記念物 駒門風穴」の入口で料金を支払って、小雨が降る中で、歩いて進んでいきました。
駒門風穴の場所は、小さな林の中のような感じでした。私たち2人以外に誰もいませんでした。風穴の入口には、駒門風穴諸社と呼ばれる3つの石の祠があました。子安神社(祭神・木花咲耶姫神)、風神社(祭神・志那津比古神、志那津比売命神)、蚕養神社(こがいじんじゃ/祭神・大気都比売神)の3社です。
風穴の入口に立つと、冷たい空気が流れてきていることが分かりました。やはり何か大きな存在が封印されている感じがしました。「ここには大きな光が封印されている」と伴侶が伝えてきました。伴侶は、中に入らないというので、私が1人で、駒門風穴の中にゆっくりと歩いて入っていきました。
溶岩の表面が雨で濡れていて、非常に歩きずらい感じです。このまま進んでいくのは危険だと判断して、風穴の外に出て光を降ろすことにしました。駒門風穴の外に出て入口の場所で、風穴が開いて本来の姿になるよう意図して祈り光を降ろしました。「もう少し。もう一度やって」と伴侶が要請してきました。
再度、駒門風穴に封印されている存在が解放されるよう意図して光の柱を降ろしました。「凄く大きな龍が出た」と伴侶が伝えてきました。やはり大きな龍が封印されていました。風穴の階段の右手に古墳のような場所があり気になり、光を降ろすと「女性と子どもの御魂が上がって行った。ここは松取りの場所」と伴侶が言いました。
松取りの犠牲になった女性と子どもの魂が光に還って行きました。やはり、大事な光の場所を松取りの闇で封じていたのです。最後に、駒門風穴の場所に光の柱を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えてきました。ワークが終わり、駒門風穴を後にして国道の方に歩いていくと、急に両肩が重くなりました。何か闇のエネルギー体が乗った感じでした。
自分の両肩を意図して光を降ろすと「江川英龍(えがわひでたつ)」と伴侶が言いました。江川英龍は、江戸幕府の伊豆代官であり、私の魂を共有している人物でした。駒門風穴の龍を封印したのは、過去世の江川英龍だということを教えてくれたと感じました。駒門風穴の入口にあった、蚕養神社が気に成り、御殿場で養蚕が行われていたと思いました。
後で調べると、《御殿場デジタル資料館》に『御殿場地方は、近代から現代にかけて養蚕が盛んでした。富士山北麓もそうですが、溶岩洞窟内の冷涼な環境を活かして、かつては蚕卵紙(蚕の卵を産みつけた紙)を保存したそうです』と記されていました。蚕の卵を紙につけて、冷蔵庫の役割の駒門風穴に保存していたのです。
《馬と糸を伝って降りる子猫の夢から繋がった養蚕・製糸業の松取りの闇が潜む札幌市中央区の桑園地区》にありますが、養蚕業・製糸業は、支配層の松利権に深く絡んでいます。江戸時代から、表では繊維業を成しているのですが、裏では、労働者などを犠牲にした松取りの金儲けが行われてきました。養蚕・製糸業は、表裏の蓄財の工作と言えます。駒門風穴での龍の解放は、伊豆の国市や伊豆市修善寺での龍の解放に繋がっていくのです。
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