2025年04月23日

静岡 シリウスの術師が賀茂川神社に封じていた大きな龍 〜巡礼の旅(764)〜

「伊豆の国市の賀茂川神社は、古川の側の古墳の小高い丘にある清浄な空気の場所にあった。注連縄が巻かれた神木には、龍が封印されていると直感した。義弟に憑いていた出雲大社に繋がるシリウスの闇の術師が封じていた。術師と対峙して光を降ろすと消滅した。賀茂川神社に光を降ろすと大きな龍が解放された。」

2024年11月26日(火)の朝9時、事前調査でワークのポイントに選んでいた伊豆の国市にある賀茂川神社に向かいました。賀茂川神社は、伊豆の国市中285に所在し、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神とする神社です。伊豆の国市古奈のホテルを出発し、バスと徒歩で9時半過ぎに現地に到着しました。

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歩いている時に、私は左側の腰の痛みを覚えました。伴侶は右側の腰痛のサインが来ていました。経験的に、腰痛はシリウスの闇の術師のサインだと分かっていました。宗教の神道の宗教施設である神社のベースは、シリウスであり、強力な術を使うシリウスの闇の存在がいると見ていました。賀茂川神社の現地に、シリウスの術師が待っていると感じました。

道路を歩いていると、蜘蛛の巣も幾度も飛んできて、顔や体につきました。蜘蛛の巣も闇からのサインであり、闇の解除と統合を行う必要があると感じました。また、野鳥の小鳥であるハクセキレイも見かけていて、精霊からもサインが来ていると分かりました。スマホのナビの案内に従って加茂川神社を目指していくと、綺麗な水が流れる小川がありました。

古川(ふるかわ)という川でした。大通りから外れて古川沿いの小道を歩いていくと、古墳のような丘があり、そこが賀茂川神社でした。賀茂川神社の鳥居をくぐると丘を登る石段がありました。石段を登っていくと、冷気が流れてきて大事な光の場所と感じました。石段を登って境内に入り、社殿の後ろに回ると、神木がありました。

注連縄が巻かれた神木には、龍が封印されていると感じました。「ここは妹の夫に憑いている術師と繋がっている」と伴侶が伝えてきました。やはり、シリウスの術師と繋がっていました。意を決してシリウスの闇の術師と対峙することにしました。シリウスの術師に対して「この地を開きに来ました。闇の仕事を終えて光に還ってください」と伝えました。

すると、「お前ごときに、この俺にかなうものか。妹がどうなってもいいのか」と伴侶を通して脅してきました。強い術の力を有しているためか、かなり横暴な口調でした。それは、《島根 出雲大社 〜巡礼の旅(168)〜》にある2015年11月に巡礼の旅で訪れた出雲大社で対峙した、「長い間、脈々と作り上げてきたのだ」と伝えてきた闇の存在と同じエネルギー体だと感じました。

血縁と金を大事にするエゴの極致の闇の世界を構築してきたのです。サンカという土着の闇に通じていると感じました。シリウスの闇の術師は光に還ることに同意しなかったので、強制的に光を降ろしました。「消滅した」と伴侶が伝えてきました。南側の山裾にも闇が居ると感じました。「周りに闇の手下も集まっているから光を降ろした方がいい」と伴侶が言いました。

伊豆の国市の浅間山を含めた山に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「みんな還って行った」と伝えてきました。最後に、境内の中央で、加茂川神社の地が開くよう意図して光を降ろしました。「大きな龍が出た。今までに見たことがない龍」と伴侶が伝えてきました。日本の深い闇を終わらせる役割の龍だと感じました。

加茂神社の境内でのエネルギーワークを終えて参道の石段を下りてくると、入口の鳥居の所に加茂川神社の由緒が書かれた案内板がありました。『加茂川神社の由来 加茂川神社の祭神は京都の加茂神社と同じ加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)の二柱である。例祭は十月十五日(現在は近くの日曜日)。

本神社創建の伝承によると、天皇第五十三代、淳和(じゅんな)天皇の天長元年(八二四)甲辰(きのえたつ)十一月、たびたび不思議な慈光を放っていた大きな槻(欅・けやき)の木の下に神翁(かみおきな)が忽然(こつぜん)と現われ、里人に次のように告げた。「我は是、山城国加茂明神(かもみょうじん)なり。この地に縁あるを持って、ここに跡を垂れ、諸人の緒願に応ず」 

この告げとともに、慈光は消失した。そこで、里人らが相談のうえ、この地に神祠(かみのほこら)を建て、山城国(京都)から加茂明神を勧請(かんじょう)して祀ったという。のちに天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉東征の兵火にかかり、社伝・宝物の一切を烏有(うゆう)に帰し(火事などで何もかもなくなる)たが、仮の社殿が再建されたことを示す棟札が残っている。

奉造営豆州君沢郡中村賀茂川宮 慶長九年(一六〇四)1604 願主奉加衆 梅原右近・梅原左近・梅原隼人・平井三郎進・梅原主人助 共僧 大越家三蔵院・石井淡守 の緒人に依り仮の社殿が再建された。現在の社殿は明治四十四年氏子の至誠にて建立された。また、本社の奥の宮は約一里の山中にある水神社である。平成二十八年 元旦 賀茂川神社氏子総代会』。

賀茂川神社の由来には、「京都」「豊臣秀吉」「大きな槻(欅・けやき)の木の下」のヒントとなるワードがありました。「京都」は天皇の本拠地であり、八咫烏の拠点です。「豊臣秀吉」は、妹の夫(義弟)に関係しています。過去のワークで、義弟は、豊臣秀吉の分け御魂であることが分かっていました。

京都 豊国廟 〜巡礼の旅(160)〜》には、2015年10月に豊臣秀吉の墓所の京都・豊国廟(ほうこくびょう)にて秀吉の御魂を上げるワークを行っています。祈りを通して光を降ろす際に、豊臣秀吉のエネルギー体は、「どうしてお家が滅んだのだ〜・・何が悪かったのだ〜・・・あれだけ頼んだのに・・・恨んでやる〜」と伝えて来ました。

豊臣秀吉の出自はサンカであり、天下人まで上り詰めた成り上がりの人物で、非常にエゴが大きいと感じていました。天下人になった晩年に、エゴが大きくなり、気がおかしくなっていたことも知られています。また、調査とワークから、妹の過去世は、豊臣秀吉の妹で、徳川家康の正室だった朝日姫だと感じていました。

それ故に、今世の妹は、夫の支配下に置かれていました。徳川家の裏の仕事を担っていた私の過去世から、妹夫妻との間にカルマという宿題があったと見ています。豊臣秀吉の本名は、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)です。面白いことに、義弟の苗字と同じなのです。これもまた真実を知るためのヒントとなっていると感じます。

また、賀茂川神社の由緒には「大きな槻(欅・けやき)の木の下」のワードがあります。これもまた「木下」という豊臣秀吉の本名と義弟に繋がるヒントだと感じます。ちなみに、賀茂川神社の奥の宮である「水神社」については、過去の遠隔ワークで光を降ろしていました。水神社は、韮山反射炉から東の山中に約1kmの場所にあります。

古川の水源であり、大事な湧水地です。賀茂川神社は、韮山反射炉から南に約150mの場所にあります。韮山反射炉は、徳川幕府の韮山代官の江川英龍がつくった大砲製造のための鉄の溶鉱炉です。しかし、その裏では、支配層の松の証拠隠滅のための松工作拠点となっていました。韮山反射炉は、精霊を闇にして封じる役目だったのです。

賀茂川神社のワークを終えた帰路で、何羽かのカラスが鳴いて私たちの側に集まってきていました。カラスは八咫烏の象徴でもあります。ホテルに戻ってから八咫烏のワークを行うと「八咫烏の本拠地は富士山の地下」と伴侶が伝えてきました。富士山の八咫烏の拠点を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。やはり富士山の地下が重要でした。

地上の富士山は、白い雪をかぶった美しい姿の山容ですが、地下・地底は非常に重たい闇のエネルギーで汚くなってました。本来は、富士山の地底は、多くの光の精霊が宿る大事な光の場所でした。しかし、支配層の権力者によって、古くから生贄や松取りが成され、光の精霊が闇に変えられて、重たく大きな闇の拠点になってきたのです。

この富士山の地底の闇のエネルギーが日本と世界を深い闇にするための原動力のエネルギーになってきました。支配層の秘密結社である八咫烏が富士山の地底の闇を使って暗闇にする闇の仕組をつくってきたのです。今世の私の役割の1つが、富士山を開いて本来の姿にすることでした。富士山の地底の闇のワークを行った後、いつの間にか、2人の腰痛も治っていました。

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posted by 地球の子 at 14:02| 静岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする