2024年11月28日(木)、伊豆巡礼の旅で、事前に調べていた静岡県沼津市の淡島と長浜城址に訪れて、エネルギーワークを行う予定でした。しかし、修善寺の源氏関連の墓所や寺社に行く必要もあると思っていました。伊豆市の修善寺の地にも大事な龍が封印されていて、解放する必要があるとも感じていました。思案の末、遠隔でワークを行うことにしました。
修善寺の源氏関連の場所については、調査と遠隔ワークを行うことにしました。修善寺のワーク対象として、ネットで調べて、「安達藤九郎盛長の墓」「源範頼の墓」「源頼家の墓」「十三士の墓」の4箇所を選びました。静岡県伊豆市の修善寺の地は、鎌倉幕府を開いた源頼朝をはじめとする源氏の因縁が深い場所です。
源頼朝の弟の源範頼と頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が修禅寺に幽閉され、その後この地で殺害されたという場所です。修善寺は、本来、温泉が湧く光の地ですが、支配層の松取り工作によって光が封印されてきた場所でもありました。修善寺の南側には天城山があります。天城の山々の入口である修善寺の地は、弘法大師・空海によっても封印されてきました。
《伊豆 修禅寺奥之院 〜巡礼の旅(351)〜》では、修禅寺奥之院でのワークの様子を記述しています。概要は『修禅寺奥之院で光を降ろして、石仏や不動明王像のエネルギー体を光に還した。弘法大師が修行したとされる阿吽の滝から全体に光を降ろすと、金剛力士像の姿の裸の土地神が解放され、ポータルが開いた。
奥之院の上にある桂大師の大木を解除すると、天城山にはエネルギーを放つ大木があると分かった』とあります。また、《静岡 川端康成ゆかりの旅館・湯本館と繋がる緒明圭造の生家のある天城湯ヶ島 〜巡礼の旅(743)〜》などのシリーズ記事では、天城山を封じる役割を持つ川端康成や井上靖などの文豪の工作員についても関連ワークを行ってきました。
安達盛長(あだちもりなが・安達藤九郎盛長)と墓所の情報は《伊豆市 観光情報 安達藤九郎盛長の墓》に記されています。『安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆の流人であった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画したが、翌年66歳で死去。
妻は頼朝の乳母・比丘禅尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻。墓は以前は、修善寺の小山地区にある源範頼の墓のそばにありましたが、バイパス工事に伴い、桂谷トンネルそばの修善寺梅林登り口に移されました』。安達盛長(1135年-1200年)の御魂が上がるよう意図して安達盛長の墓所(所在地:静岡県伊豆市修善寺 修善寺梅林登り口)に光を降ろしました。
「いいです。"自分が仕えたのは源義朝。その人から言われたから頼朝を守っていた"と言っていた」と伴侶が伝えてきました。安達盛長は、源頼朝の父親・源義朝から頼まれた故に、頼朝の古くからの側近として守っていたようです。源範頼(みなもとののりより)の経歴はwikiに記されています。『源範頼(1150年-1193年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。遠江国蒲御厨(現・静岡県浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれる。その後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。治承・寿永の乱において、頼朝の代官として大軍を率いて源義仲・平氏追討に赴き、義経とともにこれらを討ち滅ぼす大任を果たした。
その後は源氏一門として、鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ伊豆国に流され、その後、誅殺されたという。武蔵国横見郡吉見(現・埼玉県比企郡吉見町)のあたりを領して吉見御所と尊称された』。源範頼の御魂が上がるよう意図して墓所(所在地:静岡県伊豆市修善寺1082)に光を降ろすと「今還った感じ」と伴侶が伝えてきました。
源範頼の魂が光を降ろして光に還っていったようです。源頼家(みなもとのよりいえ)の経歴はwikiに記されています。『源頼家は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で、母は北条政子(頼朝の子としては第3子で次男、政子の子としては第2子で長男)。父・頼朝の死により18歳で家督を相続した。
鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、更に3年半後に征夷大将軍となる。母方の北条氏を中心として十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされるが、当事者である北条氏の史書の記録のみでしか確認できていない。合議制成立の3年後に頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こった。
北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡した。頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉された後、暗殺された。頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握ることになる』。鎌倉時代の八咫烏の八咫烏の役割だった北条氏が鎌倉幕府の実権を握るために、源頼家が追放、暗殺されたと感じます。
源頼家の御魂が上がるよう意図して源頼家の墓所(所在地:静岡県伊豆市修善寺935)に光を降ろすと「修善寺に行った方がいい」と伴侶が伝えてきました。やはり現場に行かないと分からないことがあるようでした。「十三士(じゅうさんし)の墓」の情報は《伊豆市 観光情報 十三士の墓(鎌倉幕府2代将軍 源頼家 家臣)》に記されています。
『鎌倉幕府2代将軍・源頼家が暗殺された後、家臣13人は謀反を企てたが発覚し殺害されたとも、殉死したとも言われています。当初墓は、南町公民館上の御庵洞にありましが、平成16年(2004年)の台風で墓の裏山が崩落したため、現在は源氏公園の中に移設されてます。毎年7月中旬に「頼家まつり」が行なわれ、源頼家と十三士の武者行列と墓前供養が行われます』。
源頼家の家臣13人の御魂が上がるよう意図して十三士の墓(所在地:静岡県伊豆市修善寺935)に光を降ろすと「留まっていたけど上がって行った」と伝えられました。やはり、修善寺の地には、精霊のリーダー的存在の龍が封印されていると感じました。源頼家の墓のワークで「修善寺に行った方がいい」と伝えられたので、当日、修善寺の現地に向かいました。
宿泊施設の近くのバス停からバスに乗り、伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅に移動し、伊豆箱根鉄道で修善寺駅まで乗車しました。そこから東海バスに乗って修善寺温泉のバス停に到着しました。乗車時間は約1時間でした。バスと電車に乗車している時に、修善寺で光を降ろす必要のあるワーク対象の場所をスマホで検索して調べました。
修禅寺の隣りにある「日枝神社(ひえじんじゃ)」と北条政子が建てたという「指月殿(しげつでん)」が気になり、ポイントに選びました。修善寺温泉のバス停から5分ほど歩いて、日枝神社に着きました。修善寺の日枝神社に歩いていく途中で、右の腰に痛みを覚え、闇のサインだと感じました。修善寺にもシリウスの闇の術師がいるようでした。
日枝神社の情報はwikiに記載されています。『日枝神社は、静岡県伊豆市修善寺に鎮座する神社である。源範頼が兄・源頼朝から幽閉された修禅寺の信功院があった場所。[社史]この地は隣接する修禅寺の鬼門にあたり、元は空海が建立したと伝わる鬼門鎮守の山王社であったが、神仏分離令により修善寺から分離し独立した神社となった。
境内には、修禅寺の八塔司の一つの信功院が存在した。建久4年(1193年)に、源範頼が兄・源頼朝から、この信功院に幽閉された。その後、梶原景時率いる5百騎の兵の不意打ちに遭い、防戦の末に自刃したと伝わる。境内より、600メートル程度西の山腹に源範頼の墓と伝わる祠があり、1879年(明治12年)に骨壺が掘り出されている。
[祭神]大山咋神(おおやまくいのかみ)[境内]・庚申塔-源範頼が幽閉された修禅寺の八塔司の一つの信功院があった場所。のちに庚申堂となり、現在は文政元年(1818年)に建立された庚申塔が1基のみ残る。・手水場-巨石をそのまま使用した手水鉢。・夫婦杉-樹齢800年と伝わり、子宝の杉ともいわれる。
・イチイカシ-樹高25m、根回り5.5m。西日本に生育し、伊豆には珍しいとされ、静岡県指定の天然記念物となっている。[丹塗り矢伝説]日枝神社の御祭神の大山咋神がある日、山へ狩りに出掛けたの際に放った矢が小川に落ち流れてしまった。その時、下流を散策していた建玉依姫が、丹塗の美しい矢を川で見つけ持ち帰った。
床のそばに置いて毎夜眺めていると、いつの間にか妊娠し神の子(賀茂別雷命)を授かった。丹塗り矢は大山咋神の化身であったとの伝説がある。その伝説にちなむ願掛けがあり、女性は白い花を形どった「玉依の花」を男性は「丹塗り矢」を持ち、夫婦杉の前で縁結び・子宝を願掛けをし、絵馬のように願いごとを書いて奉納する』。
日枝神社には、外国人を含めて多くの観光客が訪れていました。日枝神社の入口の鳥居をくぐるとすぐ目の前の右手に大きな木がありました。「解放の人が木の穴にいる」と伴侶が伝えてきました。「解放の人」との再会は約10年ぶりです。一番最初に会ったのは、2014年10月に岐阜県の巡礼の旅で、位山を訪れた時でした。
《岐阜 位山 〜巡礼の旅(165)〜》には、その時のワークの様子を記載しています。解放の人は、黒マントを羽織って背中に大きな鎌を持っています。人々を自由にするために、集団や組織の見えない束縛の糸を切断する役割です。2014年10月、伴侶が札幌の円山原始林を散策していると、背中に大きな鎌を担いだ黒マント姿の存在が木の枝に腰かけていたといいます。
それ以降、「解放の人」は伴侶と一緒に行動を共にするようになりました。「解放の人」は源から派遣された存在です。今思うと、解放の人は、シリウスの闇の術の封印を切って支配を終わらせる役割があるようでした。今回の修善寺巡礼の旅で、解放の人が現れたことは、修善寺の地に置かれた見えない束縛の糸が張られていることでもあります。
日枝神社の境内を散策して、光を降ろす場所を探しました。日清戦争の石碑、夫婦杉、イチイカシの木などを順番に見ていくと、イチイカシの木に龍が封印されていると感じました。イチイカシの木に封印されている龍が解放されるよう意図して祈りながら光を降ろすと急に強い風がふいてきました。「白龍のような大きな龍が解放された」と伴侶が言いました。
やはり大きな白龍が封印されていました。日枝神社のワークを終えて、次の目的地の指月殿に向かいました。指月殿は、修禅寺、日枝神社の山裾とは反対の桂川を挟んだ南側の鹿山の山裾にあります。指月殿の情報は《伊豆市 観光情報 指月殿》に記載されています。『指月殿(北条政子寄進の伊豆最古の木造建築物) 桂川を挟んで相対する鹿山の麓にあります。
修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の木造建築物といわれています。この時宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏なども合わせて寄進し、門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。堂内中央に禅宗式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が安置されています。
しかし、持ち物はないはずの釈迦像が右手にハスの花を持っているのが特徴です。堂に向かって左手に頼家の墓があります』。桂川の橋を渡り、鹿山の山裾の指月殿に徒歩で移動しました。指月館の近くに来ると、落ち葉を掃除している中高年の女性がいました。「あれが門番。解放の人が出て行って術師をやった」と伴侶が伝えてきました。
シリウスの術師は、人間の中に隠れています。義弟の中にシリウスの闇の術師が居たように、門番の女性の中にもシリウスの術師がいたようです。これは、実際に、現地に訪れてみないと分からないことです。指月殿の隣には、遠隔でワークを行った「源頼家の墓」と「十三士の墓」がありました。指月殿・源頼家の墓・十三士の墓に、各々、光を降ろしました。
指月殿・源頼家の墓・十三士の墓のある一帯は、「源氏公園」と呼ばれる場所でした。源頼家の墓の後方に、鹿山の登山道がありました。「この山に龍が封印されているな」と直感しました。登山道の入口には、源義経像・吉田絃二郎の墓の案内板が掲示されていました。かなり急な山道をゆっくり登って行きました。
グーグルマップで見ると、鹿山の山道には、源義経像・吉田絃二郎の墓の他に、「おしゃぶり婆さんの像」「観音洞の大岩」もあるようでした。鹿山の山頂まで登る予定でしたが、途中から険しくなり、断念して光を降ろすことにしました。封印された龍が自由になるよう意図して、純粋に祈りながら光を降ろすと、強烈な音を伴って風が吹きました。
ゴーッという強烈な音と共に非常に強い巻風がふいてきました。「黒龍のような大きな龍が出た」と伴侶が伝えてきました。やはり龍が解放されました。加茂川神社から解放された大きな龍は、「青龍(せいりゅう)」だといいます。今回の修善寺巡礼の旅において、日枝神社で解放された大きな白龍と鹿山から解放された大きな黒龍と共に3体の龍はセットだといいます。
3頭の大きな龍は「三つ巴(みつどもえ)の龍」だといいます。三つ巴は、よく目にする家紋の「三巴紋」があります。《左三つ巴》によると『左三つ巴紋は、勾玉上の3つの巴を寄せて左向き(尾が流れる向き)に渦を描くように描く』と記されています。三巴紋は、北条氏の家紋の三つ鱗(みつうろこ)の反転だと感じます。解放された3頭の大きな青龍・白龍・黒龍が相まって渦を形成して、深い闇を終わらせる働きをしていくことを願っています。
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